(巻三十七)鉢植のみな鉢あふれ夏近し(鈴木桂子)

5月31日水曜日

(巻三十七)鉢植のみな鉢あふれ夏近し(鈴木桂子)

曇り。細君は義妹へのお返しなどを買いに柏の高島屋へ出かけ、ついでに夏帽子を見てくると言っていた。やはり旧人はデパートなのである。

デパートの産地訛の粽売り(炭谷種子)

が、義妹には簡単な手提げを用意したようだが、綺麗に包装してくれるので見栄えが違うと喜んでいたが、夏帽子は「高かった。」と云って買わずに戻ってきた。「アトレなら、あの半額だったから。」と云う。また、気が変わって買いたくなったら行っておいで、と申しておいた。で、鰻とちょっとした弁当も買ってきた。夜はうなぎだ。鰻は宮崎のだそうだが⁉

地物かと問はれて鰻が身をよぢる(白石めだか)

少なくとも柏の高島屋には御客がソコソコ居たそうだ。「やっぱり、飾ってある服なんかもいいものだわね、高いけど。」らしい。わたしゃ元々着るものに興味がない。まして遁世者となって、着るものなんかなんでもいいとなり、シマムラを除き、どうでもいいものを着ている。

昼飯喰って、一息入れて、コチコチして、雨は落ちていないようなので散歩に出かけた。まだ足が本調子ではないので猫詣でだけにした。クロちゃん不在、コンちゃんに一袋、お稲荷さんに御賽銭、トモちゃんに一袋。

生協で缶酎ハイを一本だけ買った。揚げせんべいとチーカマで寝酒しよう。

願い事-涅槃寂滅、即死でお願いいたします。

昨日、足の甲が痛んだので呑んでもいないし数値は安全圏内だしそんな筈はないだろうと思ったが痛風かと嫌な気分になった。今朝起きたら痛みはなくホッとした。死ぬのは構わない。むしろwelcomeだが、苦痛は嫌だ。苦しんで生きているよりはアッサリと終わってしまう、そういう運命であって欲しい。

Whatever happens to you has been waiting to happen since the beginning of time. Marcus Aurelius

で、藤沢周平を読み返してみた。

「森林浴 - 藤沢周平」文春文庫 小説の周辺 から

「森林浴というのは、身体にいいそうですよ」

と家内が言う。私がおよそ健康というものに無関心で、どちらかといえば不健康なことばかりやっているので、家内は時どき私の健康にまで気を配らなければならない。

森林浴という言葉だけは、私も知っていた。字づらからうける印象は少々大げさだけれども、要するに森林が吐き出す香気やら酸素分やらを呼吸したり、浴びたりするのは身体にいいという意味だろうと思っていた。しかし森林浴というからには、かなり大きな山林のある場所でなければ、効き目はあるまい。

秩父あたりかな」

と私が言うと、秩父ねえ、と言って家内はひるんだような顔をした。言った私も、森林浴のために電車に乗って秩父まで行く気はない。言ってみただけである。

「要するに、木があればいいだよ」

と私は言った。

「このへんで木のあるというと、どこだろ?」

「Y公園ね」

というわけで、広大な山林の精気を浴びる計画はみるみる縮小されて、初老の夫婦は家から徒歩十分ほどの、近所の小公園に散歩に出かけることになったのである。

途中私たちはM病院のそばを通った。M病院は私が住む町では一番大きく、かつ病院らしい体裁のととのている建物だが、専門は精神科である。私たちは三年ほど前に、私が間違えてその病院に入りこんだときのことを話題にした。

そのころ私は、強度の自律神経失調症に悩まされ、やむを得ず医者に頼る気になって、ある日病院をさがしに出たのである。一見して綜合病院ふうの外観をそなえるM病院を、散歩のついでに時どき見かけていたので、私はためらわずにその病院の門をくぐると、受付の前に立った。

そして、先方は附添いもなく一人で精神科の受付をたずねて来た私を怪しみ、私は私で、外来の人影もなく林閑としている玄関のたたずまいに不審を抱いたまま、しばらく不思議な問答をかわしたあとで、やがて真相が判明してそそくさとその病院を出たのであった。

そんなことを話しているうちに、私たちは目ざすY公園に着いた。まだ五月だというのに、真夏のような暑い日だったので、公園の木陰に入ると生き返った気分になった。私は大げさな深呼吸などをし、これはりっぱな森林浴だよ、などと言って喜んだのである。公園の中には、子供たちや子供を見守る若い母親たち、少しはなれたところでバドミントンを楽しんでいる男女などがいた。

私たちはぶらぶら歩きながら、奥の第二公園にむかったのだが、やがて家内が急に気づいたように言った。

「今日は大人が多いですね」

いかにも大人が多かった。ウイークデイの午前中だというのに、バドミントンやキャッチボールに熱中している男女が二十人ほどはいた。ほとんどが中年男女だった。だが家内がそう言ったとき、私たちはあらまし気づいていたのである。その一群の男女が、多分M病院から来た軽症患者であることに。よく見ると、女性の中には白衣の看護婦さんもいた。

私たちは何となく無口になって、彼らのそばを通り抜けた。開放療法というのだったか、患者を病院に閉じこめるのでなく、外に出して日常社会と接触させながら治療効果を上げる方法があるらしく、私はその治療方法に何の偏見も持つ者ではないけれども、意識してしまうとその対応の仕方がわからない。どうしてもぎごちなくなった。

第二公園と言っても、道路をひとつへだてるだけの並びの公園である。そこでは夫婦者らしいひと組の男女がキャッチボールをしていた。旦那が休日で、奥さんと公園に遊びに来ているというふうに見えた。私たちはそばのあずまやに腰をおろして、ひと休みした。

「しかし、気の毒だね」

いまは精神の平衡を犯されやすい時代なのだ。患者の多くは中年男女のようだが、家族が大変だ、などということを、私たちは小声で話し合った。そうしているうちに、家内がそっと私の袖をひいた。ボール投げをしている近所の若夫婦と見えた二人の胸にも、同じプレートがあるのに気づいたのである。

「これはおどろいた。こちらも患者さんか。いや待て、女のひとは看護婦さんだろう」

女性の方に、相手をいたわる気配が見えたので私はそう言ったのだが、それもあまり自信がなくて、私は突然に、ごく日常的に見えたものがくらりと裏返しになる、一種非日常的な世界に家内と二人ではまりこんだような、おかしな気分に襲われていた。

だが正気と狂気は、多分紙一重のものだろう。日常にも狂気は現われる。はやい話が、手のひらほどの小公園に森林浴に来た私たち夫婦にしても、そうと知れたらはた目にはどう映るかわかったものじゃないと思いながら、私は家内をうながして公園を出た。