「執筆の日々 - 澁澤龍子」〆切本2 から

 

「執筆の日々 - 澁澤龍子」〆切本2 から

執筆は遅いほうでした。平均すれば一日に一枚か二枚というほどでしたが、締切りが迫ってどうにもならないときには、三十時間でも四十時間でも休まずに書きつづけることがありました。
「頭が回らないなあ」などと言いながら、執筆に没頭するのでした。その後はさすがにぐったりして、丸一日ものも食べずに寝てしまいます。「餓死しそうになって寝ているのも気持ちがいいものだ」などと言うので、つい笑ってしまいます。
ときには寝ていて、ふとおなかがすいたような気がするらしく、「おいおい」とわたしを呼んで、「おなかすいていると思う、ぼく?」。時計を見るともう十二時間ぐらい寝ているわけで、「あ、もうすいているわよ」と。それから慌ててごはんを食べることもありました。
一日二十四時間という時間の観念がまるでないのです。ふだんから朝は何時に起きて夜は何時に寝るという習慣のない人でしたから、そんなこともできたのかもしれません。
澁澤龍彦」のネームの入った横長のマス目の四百字詰原稿用紙に、まず鉛筆で書きます。手でぐるぐる回すタイプの、何年も使って手垢のついた鉛筆削りが、削りかすが入ったまま、今も机の上に置かれています。それにパーカーの万年筆で筆を入れるのです。
こうして推敲を終えた原稿を清書するのは、わたしの役目でした。彼が悪筆だからというわけではありません。わたしの字よりずっと読みやすい、まるっこいいい字を書きました。推敲の跡をとどめていない完璧な原稿を出版社の人に渡したいということだったのです。彼が向こうの書斎で原稿を書いていて、「できたよ」と言うと、わたしがとりに行ってこちらで清書をするのは、ちょっと楽しい仕事でした。わたしの清書した原稿に目を通し、最後にあの人がタイトルと名前を入れ、完全原稿が出来上がりです。