「男の顔 - 開高健」日本の名随筆40顔から

 

「男の顔 - 開高健」日本の名随筆40顔から

武田泰淳氏のケースは夫人が巧みに防衛線を張って情報が洩れることを防いだために、訃報が、ある晴れた朝、まったく寝耳に水で、驚愕また驚愕だった。たしか本誌だったかと思うが、対談の企画があり、氏が承諾されたと聴かされ、しばらくぶりのことなので私もたのしみに心待ちしていたところ、ちょっと体の調子がおかしいので病院に入るとの知らせをもらった。それから一週間か十日、たつかたたないかに訃報をもらったのだった。
平野さんと最後に会ったのは、一昨年、新潮社の文学大賞の審査の予選の席だった。そのとき氏は病院からでてきた直後で、ガンかもしれないと沈痛な顔をしておられた。しかし、銀髪が美しく、頬にいい血色が射し、背をたてて、いつもの端正な氏であった。このあとでもう一回、入院なさったが、そのときはもうガンと判明し、手術をうけるためだった。賞の審査の本選の席には出席できず、病床で意見を口述され、それを編集者が朗読した。自宅療養でそのあと日を過ごされるようになったが、新聞写真で見るその風貌は激変していて、覚悟の上とはいえ、茫然とせずにはいられなかった。花の鉢をお送りしたり、手紙をお送りしたりしたが、その日その日の塵労にまみれたままで、とうとうお見舞に上がらずじまいで過ぎてしまい、終ってしまった。
昔、大阪で谷沢永一が主宰していたガリ版のささやかな同人雑誌の仲間に入れてもらい、よしなしごとを書きつらねているうちに、当時神戸に住んでおられた島尾敏雄氏から遊びにくるようにとの手紙を頂いた。氏が河出書房の書下し叢書の一冊として『贋学生』を刊行された頃である。その後、氏は一家をあげて上京され、小岩に住むようになり、私を佐々木基一氏に紹介して下さった。坂本一亀氏にも紹介して下さって、坂本氏から手紙をもらったことがあり、感動した。ずっとあとになって『死の棘』としてまとめられるかとになる諸作が発表され、それを読んで当時の島尾氏の日常の悪戦苦闘が遠望できたが、そんなさなかに、無名の、やせこけた、毎日が二日酔の、昏迷した若者をあちらこちらに紹介の労をとって下さるなど、思えば一言もない。佐々木基一氏の御好意に甘えてときどきお宅に出入りするうち、一篇を書きあげ、二度書きなおすように忠告をうけた。佐々木さんはそれを『新日本文学』に持ち込んで下さり、活字になったところ、平野さんが『毎日新聞』の時評欄で肯定、評価して下さった。

以後、泡のような浮沈を繰りかえしつづけて二十年になるが、そのなかでしばしば平野さんと生活圏がダブる一時期があって、かなり永くつづいた。三十歳から四十歳の十年間と、四十歳をすぎてからの数年である。この期間、私はのべつに諸外国にでかけたが、帰国すると、旅館を泊り歩いて原稿を書いた。それが行くさきざきで平野さんと顔をあわせることになるのだった。駿台荘、昇竜館別館、山の上ホテル、新潮社クラブなど、どこでもきっと平野さんに会えた。会えないと何か異常を感じて落着けなくなるぐらいだった。
こういう“拠点”の周辺を歩いているときの作家や批評家の顔は密室の顔のままであることがしばしばある。思いぞ屈して密室からでてくるけれど、ついその顔を消し忘れたままで歩いていることがある。緑の茂みのなかで赤い顔をしているカメレオンのようなところがある。あるとき平野さんと粗茶を飲みながら雑談をしているとき、それが話題になった。いつぞやお茶の水を歩いていたら、坂下から安岡(章太郎)君がやってくるのとすれちがった。見ると安岡君は猫背になってうなだれ、自殺直前のような、まっ暗な顔をしている。そこで、ヤァ、安岡君と声をかけたら、とたんに顔をあげてニコニコとなり、ア、平野さんといってはしゃいだ声をだした。まるで一変しちゃうんだ。
平野さんはそういって粗茶をすすり、
「何だかよくわからないけれど、彼もなかなかたいへんらしいよ。そんな印象だったな」
呟いて茶碗をおいた。
これは文章ではなくて口述の寸描だけれど、本質をよくとらえたデッサンで、安岡大兄の猫背姿が、瞬間、まざまざと目撃できた。そこに平野さんの観察眼と洞察力がある。しかし、平野さん自身もお茶の水界隈の人ごみのなかをひとりで歩いていらっしゃるときにはこれとまったくおなじ光景であり、風貌であった。緑のなかのカメレオンなのである。鋭くて端正で暗澹、茫然として端正で暗澹、困憊しきって端正で暗澹、いずれにしても声をかけるのがついためらわれてやりすごしてしまいたくなる横顔だった。思わず眼をそむけたくなるようなものが顔一面に何かの内臓の破れめから洩れた分泌液のようにしみついているのだった。

生れるのは、偶然。
生きるのは、苦痛。
死ぬのは、厄介。

いつかどこかで読まされるか聞かされるかした西欧の一人の聖者の呟きがしばしばよみがえってくるが、こんなときにもっとも濃く思いだされて肉迫してくる。平野さんの笑っている顔や、真摯なときの顔や、眼光鋭いときの顔などが薄明の遠くに浮沈するが、やっぱりこの忘我の苦痛の、シャッターをひらいたままの瞬間の顔を、いまとなってはまざまざと直視したくなる。