「丈夫な女房はありがたい - 武田泰淳」中公文庫 目まいのする散歩 から

 

「丈夫な女房はありがたい - 武田泰淳」中公文庫 目まいのする散歩 から

女性というものは「君は丈夫だよ」とほめられると喜ばない。むしろ、ふきげんになる。どうも、そうらしい。男性にとっては、自分と生活を共にする女性が丈夫であってくれれば、楽しいくらしができる。丈夫なほど助かるから、感謝の思いをこめて「丈夫だなあ」と言うのであるが、ぼくの妻は、この批評を「お前は丈夫のほかに能がない」という意味にとって、怒るのである。
「キューピイ」というアダ名をつけたら、彼女はそれが気に入らなかった。今はあまり流行しないが、セルロイド製のキューピイは、目がパッチリして、いかにも丈夫そうになめらかに光っているから、かなり割増しした良い形容として使ったつもりであった。だが、キューピイさんと呼ばれるのを、ひどくきらう。どうしてきらうのか、どうしても理解できない。
また「牛魔大王」というアダ名をつけたこともある。あの有名な「西遊記」には、金角大王銀角大王が出てくる。あれらの強力な怪物はユーモアがあって、好きであったし、彼女がウシ年であるから、そう名づけたのである。強力であるということは、美点である。欠点であるはずがない。美点をえらんで、うまく面白く工夫した呼び名なのに、彼女が反対するのは、やはり「無類に丈夫」という要素が濃すぎるからなのだ。
西洋人の夫は、妻を「ハニー」と呼ぶことがあるらしい。蜜の如く甘い言い方だ。買物を備えつけの容器に自分で入れて勘定係に持って行く食料マーケットで、七十歳ぐらいの白人の夫が、同年配の白人の妻をそう呼んでいた。小学生の子供は「あの人、ハニーって名前なの?」と私にたずねた。地球最後の日が来たって、ぼくらは、そんな呼び方はできそうにない。
いつかテレビで女優さんの対談を見たら、自分の夫を平気で「ダーリン」と呼んでいるので、ひとごとながら髪の毛が逆立ちそうな恥ずかしさを感じた。英語とも日本語とも、サッカリンともズルチンともつかぬダーリンなんて言われたら、家出でもしたくなるだろう。まだしも「焼豚ちゃん、あなたが女だったら可愛がってくれる人なんか、だれもいないわよ」と言われた方がましである。
少し前に「えんがちょ」という妙な日本語が流行し、町の子供たちは「えんがちょ、えんがちょ」と騒いでいた。次に「えげつ」も流行した。「えげつ」は「えげつない」の略語か、とにかく両方とも「キタナイ」「イヤラシイ」の意をあらわすらしい。流行語としては、新しがったり大げさぶったりしないで、親しみがあった。
そこで「キューピイ」でも効き目がないときは、「キューピイえんがちょ」と呼ぶことにした。そうすると相手は復讐のため、こちらを「えげつポパイ」と呼んだ。呼び名、アダ名はいくら製作しようと、カネがかからないのだから、そうやって楽しんで(あるいは苦しんで)いればよいのである。
「するするやるか」と、女房にきくことがある。「するする」とは「するする書くこと」。つまり、口述筆記の「略語」である。するするやれば、それだけ原稿料が入るのを助けることになるから、彼女としてはスルスルやりたいわけだ。
考えるのと字を書くのと両方やるよりは、考えるだけの方が私としても楽だし、敷きっぱなしのふとんに、腹ばいになっていてもさしつかえない。漱石の「虞美人草」を「愚美人草」と書かれたりして困ることもあり、美しい女性(もちろん彼女でない)の出てくる場面を筆記させるのも気の毒だが、ぼくの書いた字より読みやすいことはたしかだ。
欲ばりでオカネが好きだから、スルスルやりたがるのだとしても、頼んでいやがられるより、自発的に勇みたってくれた方がよい。上着の内ポケットからお札をとり出し、二枚にするか三枚にするか、わざとじらしておいて渡すときの快感も、欲ばりのオカネ好きが顔一面にあらわれていて、もらうとたちまち破顔一笑してくれるから倍加するのだ。
もしも無欲でオカネぎらい(そんな女性がいるとは信じられぬが)だったら、全くつまらない。渡すと言っても、こっちもケチだから、手にとどくように渡さないで、投げすてるように、風に散る木の葉みたいにして渡す。すると心を見ぬいたように「くれるのがイヤなもんだから」と冷笑して拾っている。
上林暁さんは精神病院で、田宮虎彦さんはガンで奥さんを失われた。そして、亡き愛妻の想い出をつづって、文学史に残る傑作を生んだ。たしか二人とも、今だに独身をつづけている。傑作を生むのは作者の本懐だとしても、私は悪妻でも何でもいいから、丈夫で生きてさえいてくれれば、それでいいと思っている。
「私が死んだら、すぐもらうね。もらうにきまってるわ」とつぶやきながら、永久に死にそうもない食欲で食べているのをながめていると、私は「一人もらったのだってめんどうくさいのに、二人も三人ももらえるもんか」と考えている。
「家から外へ出たら、すぐ私のいること忘れちまうからね」という意見は、正しい。三回の外国旅行で、一通も家へ手紙を出したことがないからだ。しかし、銀行、郵便、税務署、アパートや自動車や土地の会社、学校その他、渉外関係はすべて私のタッチできないことだから、家にいるかぎり彼女の丈夫さにひたすら感謝している。むやみにけんかするのも女の方だから、夫はだまって紳士然としていれば、すむのである。
心配なのは、交通事故。死ぬならコレだと、占師の予言が彼女に対してあった。このあいだもパンクで、ガケからおちそうになった。夜ねむくなると、突進してくる車のライトめがけ走って行き、一秒の何分の一かですりぬけている。丈夫なことは、危険なことでもある。だが、やはり丈夫なことはありがたいことである。