「『現場で役立つ鉄道ビジネス英語』の書評 - V林田」本の雑誌(2023年11月号)・鉄道書の本棚 から

 

「『現場で役立つ鉄道ビジネス英語』の書評 - V林田」本の雑誌(2023年11月号)・鉄道書の本棚 から

JR東日本が運営しているECサイトJRE MALL」。ここでは、食品や家電などといった一般的なECサイトでも扱っている商品の他に、鉄道グッズも大々的に扱われている。ここで、切符収納アルバムや定刻起床装置(JRで実際に使われている、布団の下の空気袋を膨らませて体を強制的に弓なりにさせることで人を起こす目覚まし機器)といった商品を抑えて22年の鉄道グッズ人気ランキング1位に輝いたのが、今回紹介する、東日本旅客鉄道株式会社国際事業本部編著『現場で役立つ鉄道ビジネス英語』(22年、成山堂書店)である。タイトルだけ見ると、編著者のような海外との鉄道ビジネスの現場に立つ人以外には無用な実用書にも思えるだろう。だが、「本書の活用上の注意」で「プロの方々だけでなく、鉄道に関心を持つ方、英語に関心を持つ方など一般の方々」も「うんちく本」として読んで楽しめるものとしたという旨が書いてある通り、関係者でなくとも読みどころがある本なのだ。
鉄道ビジネス英語、まず基本的な単語の時点で一筋縄ではいかない。「車両」を英語で何と言うかご存知だろうか。一般的には“car”や“vehicle”で問題ない。しかし鉄道業界では集合名詞として“rolling stock”と言うのが普通なのである。これは、現地人の通訳者から「最初に“rolling stock”と聞いた時、何が転がるんだろうと思った」と言われたという実例が本書では紹介されているくらいで、一般的にはあまり通じない。あるいは「電車」、これは一般には“electric car”や“electric railcar”でよいが、業界では“EMU (electric multiple unit)”が使われるのが普通だ。こんな基本的な単語にも業界用語の罠が潜んでいるのだ。
またイギリス英語とアメリカ英語でもかなり違いが出る(この段落、イギリス英語/アメリカ英語の順で記す)。地下鉄がunderground(またはtube)/subwayというのはよく知られているが、他にも路面電車はtram/streetcar、運転士はdriver/engineer、車掌はguard/conductor、時刻表はtimetable/schedule、番線はplatform/track、片道乗車券はsingle ticket/one-way ticket、往復乗車券はreturn ticket/round-trip ticket、枕木はsleeper/tie・・・と枚挙にいとまがない。そもそも鉄道自体がrailway/railroadだったりする。railway/railroadあたりならどちらでも通じるとはいえ、英連邦の国からの研修生に“conductor”と自己紹介したら「音楽家なのですか?」と言われた(「指揮者」だと思われたらしい)という実例もあるそうで、こういう差はなかなか馬鹿にできないものだ。また、一般的な表現とは別のパターン(運転士を“train operator”と呼ぶなど)が観測されることもあるし、英米とは別にインド英語になると保線員を“gangman”と呼ぶなど独特の表現があったりすることも紹介されている。 

和製英語のような日本語におけるカタカナ語も曲者だ。例えば日本では「ダイヤ改正」「ダイヤの乱れ」などのように、鉄道時刻のことを「ダイヤグラム」を略した「ダイヤ」と呼ぶことが定着している。しかし、英語で“diagram”と言った場合は「折れ線グラフで図示された列車の運転計画」のことのみを指すので、「ダイヤの乱れ」は“timetable disruption”、あるいは意訳で“not on schedule”などとするのが適切たという。「ダイヤ」が折れ線図のことを指すのは日本語の百科事典などにも書いてある知識ではあるが、意識しないとうっかり使ってしまいそうである。紹介されている他の例だと、「ホームドア」は“platform screen door(PSD)”などと訳さなければならない。こういった日常会話でも使う可能性がある語は、知っていて損のないところだろう。
対応する言葉が存在しない概念というのもある。典型例は“heavy rail system”と“urban rail system”。これは、都市間・国家間輸送を担う幹線鉄道と、都市内・近郊輸送を担う鉄道を指す言葉である。日本ではこの二つにはっきりした境界はないが、欧州規格では明確に区分されている。日本で例えるなら、同じバス会社でも高速バスと一般路線バスでは運賃体系や乗車方法など諸々が異なることが近いだろうか。逆に、日本でいう「在来線(高速鉄道ではない路線)」を指す統一的な言葉は欧州規格にはないし、秋田新幹線などで見られる「新在(新幹線・在来線)直通」などは完全に日本(というかJR東日本)独自の言葉なので、適宜意訳する必要が出るという。こういった言葉から、日本と海外の鉄道文化の差が見えてくるのも面白いところだ。
鉄道に限らないビジネスシーン全般で参考になる記述も多く、日本語で「難しい」になる“impossible”と“difficult”“challenging”の使い分けや、「わかりました」になる“agree”と“understand”の使い分けなど交渉シーンでよく使う英語表現の指南、「翻訳ではなく英語表現の用例を確認するのに使う。画像検索は用例の確認に有効」というようなGoogle検索の使い方や、通訳者との良い関係の築き方などについてのノウハウなど、海外とのビジネスを行う人には一読の価値はあるだろう。
筆者のような特に海外ビジネスと縁のない人間でも、本書を読んだ後は、日本の鉄道を利用している際に「この駅の英語での案内表記、ホームドアを“platform door”としてしまっているな・・・」とか「英語での車内アナウンス、『ワンマン運転』は“train is not have a conductor”意訳しているのか。でも英連邦圏の人には通じない可能性もあるわけだし、“one-person operation”の方が適当だろうか」などと思えたりして、ちょっと世界が広がる。タイトル以上に奥行きのある本である。