「橋本克彦『線路工手の歌が聞えた』(文春文庫)の解説 - 宮脇俊三」乗る旅・読む旅から

 

「橋本克彦『線路工手の歌が聞えた』(文春文庫)の解説 - 宮脇俊三」乗る旅・読む旅から

飛行機が揺れるのは気流のぐあいによる。船が揺れるのは波のためだ。それは子どもでも知っている。揺れたからといって、飛行機や船の出来が悪いとは言わない。機体や船体の小さいほうが揺れやすいが、それは承知のうえで乗っているから、揺れても飛行機や船の責任を問いはしない。不可抗力だと思っている。
自動車が揺れるのは道路がわるからである。これも誰もがわかっている。
鉄道の場合はどうだろうか。
汽車や電車が揺れると、「この汽車は旧式だから揺れるのか」とか「この電車はスプリングがわるいらしい」とか言う人が多いようだ。調査をしたわけではないけれど、揺れの責任を車両に期す人が少なくないのは事実だ。飛行機、船、車の場合とはちがう。
たしかに、台車の構造、バネの性能などによって揺れかたにちがいはあるが、それは大きな差異ではない。
汽車や電車が揺れるのは、飛行機、船、車とおなじなのである。それを支えているもの、つまり線路の状態がわるいからなのだ。「線路」とは、路盤、道床[どうしよう](主として砂利)、枕木、レールから成っている。これらが正しく保持されていないと、揺れるのである。揺れるだけならばまだよい。放置すれば速度のダウン、さらには脱線・転覆事故へとつながる。
このことは、乗っていて、ちょっと注意していれば、すぐわかる。おなじ電車でも区間によって揺れたり揺れなかったりする。線路の状態が違うのである。保線区の能力差、保守予算の差、保守作業をしてからの日数、さらには路盤、地形などが、そうした状態のちがいをもたらすのだ。
そのことを示す見事なことばが本書に出てくる。
「小牛田保線区の管内に入ると、砂利道から座敷にあがったようだ」(九一ページ)
という機関士の感想がそれである。小牛田保線区の指導助役をしていた相沢清二郎氏については著者が丹念なインタビューをしており、本書のなかでも、とくに感銘の深い部分である。
私事になるが、私は鉄道に乗るのが好きで、内外の列車を乗り回ってきたから、線路の状態と乗り心地の関係は体で理解している。現在の日本の線路は一応の水準で平均化されているので「砂利道から座敷へ」というほどの差を経験することはないが、国際列車に乗ると、国によって、ずいぶんと線路状態がちがうのに驚かされる。パリからケルンへの特急に乗ったときを例にあげると、フランスからベルギーに入ったとたんにガタガタ揺れ、速度が下がった。そして西ドイツへ進入すると同時に滑らかな走行になり、スピードがアップした。揺れぐあいで国境を越えたな、わかるほどであった。
かように線路の状態は、乗心地、輸送効率、さらには安全と深くかかわっているのだが、一般の人びとは、線路保守の重要性と苦労について、ほとんど理解していない。
鉄道関係者がボヤく。
「航空会社がうらやましい。空港の使用料さえ払えばよいのだから。船も同様」
さらには、
「自動車がうらやましい。道路の整備は国や県がやってくれる。保守の苦労も経費もゼロですよ。災害の復旧もひと任せだ」
とも言う。
とにかく線路保守という地味な作業は、鉄道業に負わされた重荷なのだ。

しかるに、線路保守の重要さについての人びとの理解は乏しい。ひとつには、二本の鉄の例にというがっしりした構造物が、恒久性というか不滅というか、そうした印象をあたれるからであろう。だからこそ、人は揺れの原因が線路にあるとは思わないのではないか。
それがとんでもない誤りであり、線路は、列車が通るたびに歪み、沈み、磨耗し、荒廃していくものであることを、本書の読者は十分に理解したであろうが、明治いらい、躍起になって鉄道を敷いてきた人たちは、そのことに無理解であった。国情であったかもしれない。
保守に手間のかからない、しっかりした線路を築こうとすれば金がかかる、一〇キロしか鉄道が敷けない、安普請でやれば二〇キロ敷けるという場合、どちらを選ぶのが得策か。「我田引鉄」によって代議士が票を得た時代の選択は明らかであった。とにかく線路を敷きさえすればよい、という考えが優先した。
開通式や祝賀会に参列した関係者は得意満面だ。地元の人たちも日の丸を振って大喜びで処女列車を迎える。
けれども、それからが大変なのである。軟弱な路盤、薄っぺらな道床。「軌框[ききよう](レールと枕木の組合せ)は日に日に歪み、荒れていく。厳冬期には凍って盛り上り、列車が脱線しかねない。
それを保守するのは線路工手の仕事である。もし、十全な線路であったなら、その仕事は何分の一にも軽減されたであろうが、安物の線路とはいえ、すでに列車が走りはじめた以上は、どんな苦労をしても線路を保守しなければならない。
線路工手たちの仕事の大半は、ツルハシによく似た「ビーター」を振り下ろして道床の砂利を搗[つ]き固めることであった。一本の枕木の前後の砂利を平均して搗くには、四人一組で作業するのがぐあいよかった。しかし、身を寄せ合った四人がバラバラにビーターを振り上げ振り下ろしたのでは危険である。また、搗く回数にムラがあってはいけない。そうした事情から、四人が声を合せてビーターを振るための「道床搗き固め音頭」が生れたのであった。
私は帝都電鉄(現在の京王帝都電鉄井の頭線)の線路際に住んでいたので、線路工手たちの「音頭」を聞きながら育った。どうして毎日のようにあんな仕事をしなければならぬのかと疑問に思いながらも、哀愁を帯びた単調な節に耳を傾けたものだった。そのメロディーは、いまでも口ずさむことができる。
「道床搗き固め音頭」は、昭和三十年代に「タイタンパー」という機械の導入によって消え去った。

本書の著者、橋本克彦は、いまは聞かれなくなった「道床搗き固め音頭」を探るために、東奔西走して元線路工手の老人たちに会い、また資料を収集している。その丹念さと慎重さは、すぐれた民俗学者の姿勢に通じるものがある。寡黙で、多くを語ろうとしない老線路工工手との微妙な対話は、緊張度の高い文章によって、スリリングなものとなっている。こうして、「音頭」は橋本氏の手によって着々と復原されていく。肉付も豊かだ。
これだけでも、鉄道史の業績として高い価値を持つのだが、著者のこころは、その域にとどまらない。「音頭」という、ごく小さな素材を通じて、「急ぎすぎた日本の近代化の歪み」へと視野を広げてみせるのである。信越本線の横川駅で名物の釜めしを買い、はしゃぎながら軽井沢へ向かう乗客が、もし本書の末尾の二ページを読んだなら、思わず箸を置き、アプト式時代の廃線トンネルやアーチ橋に眼をやって襟を正すにちがいない。
本書を読み終えたとき、私は、これは秀抜な歴史の本だなと思った。線路工手の唄という、いわば足が地についた底辺から日本の近代化の性格をとらえる……。これこそ歴史学の本道ではないか。
なお、本書は昭和五九年の大宅壮一ノンフィクション賞を受けている。