「生まれながらのショーマン - 野村克也」負けに不思議の負けなし 朝日文庫 から

 

「生まれながらのショーマン - 野村克也」負けに不思議の負けなし 朝日文庫 から

 

世は長嶋フィーバーの感さえある。本人が去就のメドを「秋」と言明したせいか、長嶋コールも熱を帯びている。先日も知人が某球団のオーナー室で、彼を見かけたそうだ。三年前、石もて追われた男は、いまだ“ひまわりの花”として君臨している。ファンはいったい彼に何を期待しているのだろう。
いつだったか、ザトベック投法で一世を風靡した村山が、
「あの人はいつもフルスイングでくる。だからこちらも全力でいった。打たれても三振に取っても不思議に爽快感だけが残る、奇妙な相手だった。空振りさせて、ヘルメットがすっ飛んだときなんか、ものすごく興奮した」
と話しているのを聞いた。あの人とは、いうまでもなく長嶋茂雄のことである。私も二人の対決するシーンを何回か見てきた。確かに力と力のぶつかりあうさまはすさまじい。思わず見る者の息を止める。近来にない名勝負といっていいと思う。しかし、ことヘルメットの件に関しては、私はとても村山と同じ気持ちにはなれない。それどころか、疑念さえ抱いている。
およそプロと名がつけばどんなバッターでもボールとバットのすれ違う瞬間が分かる。コンマ以下の瞬時に、「しまった」という感覚が体中を走る。すると、それから先のスイングは力が抜ける。ハタ目に、そうは見えなくとも、ヘナヘナになる。なのに長嶋のスイングは違う。
空振りした瞬間からむしろ、スピードを増す。うがった見方かもしれないが、彼はそれを意識してやっていたのではないだろうか。それにもうひとつ、空振りしたぐらいでヘルメットが飛ぶなんてことはありえない。よほど首を激しく振らなければ無理な相談である。しかも、頭に合わない大きめのサイズのものでなければ、あんなに見事に脱げ落ちたりはしない。長嶋は空振りを演出していたと思う。
守備でも「見せる」という意識が先行していた。長嶋の往年を知っている方なら、お分かりいただけるだろう。ショートの前に飛んだゆるいゴロを横っ飛びに捕ってステップスローで走者を刺す、例のプレーである。あれはハデでいかにも大向こうをうならせるが、玄人の目にはいたたけない。もうちょっと早くスタートしていれば、なんのことはない、凡ゴロなのである。
彼とコンビを組んでいた広岡さんが、こうしたプレーを嫌ったのは有名な話だが、南海時代に、私の下でコーチをしたブレイザーも、
「なんで長嶋が名手なんだ」
とよくブツブツいっていた。
まだ現役のころ、長嶋は親しい新聞記者に、
「プロってのはね、要するにね、やさしいゴロをいかに難しく見せるかなのね。シャッシャッと捕って、パァーッと投げる。このパァーッてのが大切なんだ」
と語ったそうだ。このひとことに彼のプレーのすべてが表れている。あの一挙手一投足は計算されつくしたものだ。
もっとも計算というと、ひどく打算的に聞こえるが、長嶋の計算は欲得ずくのソロバン勘定とは違う。どうすればお客さんが喜ぶか、それを肌で感じ取り、とっさに全身で表現する。アドリブに似た反応なのである。だから、明るく、屈託がない。生まれながらのショーマンでなければこうはいかない。後天的に身につけたものだとしたら、もっと嫌みのきつい、鼻もちならないものになっていただろう。

(ここまでにしておきます。)