「効く効く発酵食品(その二) - 小泉武夫」新潮社 絶倫食 から

 

「効く効く発酵食品(その二) - 小泉武夫」新潮社 絶倫食 から

 

微生物を使ってつくる発酵食品は、人知でははかり知れないとても神秘的な食べものです。原料を発酵させて、そこにさまざまな滋養成分や強壮成分が蓄積される不思議な食べもの。この発酵食品が陰茎への精力、活力注入に甚だ効果があるというお話をもう少し続けましょう。
とにかく発酵食品が、普通に言われている精力剤や強壮剤と異なるのは、生きものが新たに効く効く成分を食べものの中でつくり出すことにあります。伊達政宗徳川家康にオットセイの肉やペニスを麹で発酵させた精力剤「オットセイのたたき」を贈った話をいたしましたが、実は同じ江戸時代に、庶民の精力剤として流行しておりましたのが、何と今でもどこにでもある「イカの塩辛」でした。イカを刻み、そこに「ゴロ」と呼ぶ内蔵を絞り込み、麹と塩を加えて発酵させるものです。
これが本当に効くのかと思い、資料で調べてみますと、この塩辛には精子成分のかなりを占めるアルギニンというアミノ酸が極めて多く含まれているばかりか、精子をつくるのに不可欠のミネラルである亜鉛がこれまた豊富に含まれ、また体のさまざまな成長を促すレチノールというビタミンも圧倒的に多く含まれているのであります。さらに江戸人の知恵は深く、黒造りの塩辛(イカの墨袋を入れてつくった真っ黒い塩辛)を天日乾燥して粉末にした「根精墨[こんせいぼく]」が、好事家たちの間で愛好されていました。
ところで、カツオ節(鰹節)も立派な発酵食品であります。活のいいカツオを三枚におろし、そのおろし身を茹で、さらに煙で燻して乾かし、それをカツオブシ菌というコウジカビの一種で発酵させ、節の中から水分を吸い出させて、あのようにカッチンコッチンで世界一硬い食べものになるのであります。江戸の男たちは、先ずその立派に反[そ]った形をみて憧れ、長さと太さと硬さを羨んだのでありました。当時は「鰹節」を「勝男武士」とも書き、戦[いくさ]に勝ち、女にも勝つ男の象徴ともしたのです。

そこで、本当に勝男武士は効くのかということでありますが、実に効く効く。本当に効くのです。その理由は二つありまして、その第一はカツオ自体が持つ、伝説的存在だったアンセリンという化合物です。カツオは他の遊泳魚とは異なり、血管が集中した血合[ちあい]筋が発達し、そこで物質代謝を活発にしてエネルギーを蓄積するため、周りの環境水より高い体温を保持し、そのエネルギーで魚類中最高レベルの遊泳力(最高時速一〇〇キロメートル)を誇ります。そのエネルギーを生み出す原動力となるのが、アンセリンなのです。この成分はカツオ節になると、さらに濃縮されて蓄積されますから、削って食べたり、出汁にしたスープを飲んだりしますと、それが人体に吸収され、あちこちをムズムズさせるのであります。
第二の理由は、発酵したカツオ節は精力を付与してくれるペプチドを多含している他に、活力の素であります全ての必須アミノ酸を塊のように含んでいることです。これは、カツオに多く含まれているタンパク質がカツオブシ菌に分解され生成されたもので、たくさんの食品中、最も多く必須アミノ酸を含んでいるのがカツオ節なのです。
ですから今でも沖縄県では、体力を消耗したり元気を付けたりするときは「カチューユ飲むといいさ-」と言って、削ったカツオ節を多目に椀に入れ、そこに熱湯を注ぎ、醤油を数滴垂らして飲んでいるのであります。また、日本全国どこでも婚姻の吉例である結納の儀で必ずカツオ節が添えられるのは、怒張した男根がその硬さにあやかるためであり、これから夫婦になる男女の固い結び付きをなぞらえたものであります。
与謝蕪村の句に「朝霜や室の揚屋の納豆汁」というのがあります。これは蕪村が室津[むろつ](今の兵庫県たつの市御津町[みつちよう]室津)で詠んだものです。「揚屋」とは、遊女屋(置屋)から女を呼んで遊べる宿屋のことで、つまり旅をしていた蕪村が室津という港町に来たら夕刻になった。そこで、揚屋に入り、遊女を呼んでしこたま酒と肴を楽しみ、ついでにその女まで楽しんで、疲れてぐったりと寝入ったら朝になった。少々二日酔い気分で障子を開けて外を見ると、そこには朝霜が降りていて、そのとき、「お目覚めですか」と言って昨夜遊んでくれた女が納豆汁を持ってきてくれた、というまことにもって結構な句であります。

さてこの納豆汁、実は江戸時代は庶民生活に欠かせないほどのスタミナ食だったのです。当時、納豆を今のように飯に掛けて食うことはほとんどなく(もっとも納豆を掛けるのに必要な白い飯を食べている人なんてあまりいませんでした)、味噌汁に納豆を入れて、それをズルズルと啜っていたのです。なぜこれがスタミナ食なのかと申しますと、大豆には牛肉とほとんど同じ量のタンパク質(スタミナ源)が含まれているからなのであります。昔から「畑の牛肉」あるいは「畑の肉」と言われてきました。現に和牛肉の平均タンパク質は一七~一八パーセントですが、大豆や納豆も一六~一八パーセント(『食品成分表』より)あるのです。それを味噌汁に入れるのですが、御存知のように味噌も主原料は大豆ですね。ですから、大豆=肉とすると納豆汁は肉汁に肉を入れたのと同じことになる訳です。これじゃ蕪村ならずとも、江戸時代の人はかなり毎日精力をつけていたというわけです。
また面白いことに、「よし今夜はがんばるぞ」とか、「たまにはかあちゃんを歓ばしてやっか」なんていう男性は、朝と昼に「豆腐を具にした納豆汁」を啜ったそうです。すると、豆腐も大豆でつくるわけですから、こちらはもう「肉汁に肉を入れてそこにまた肉を入れる」スタミナ絶倫の汁に相成る訳です。これじゃ女性は、男性にしがみついてくること請け合いです。