「第1章カビとは何か 1、細菌、酵母、キノコとの違い - 浜田信夫」人類とカビの歴史




「第1章カビとは何か 1、細菌、酵母、キノコとの違い - 浜田信夫」人類とカビの歴史

 

カビは、多くの日本人にとって、良きにつけ悪しきにつけイメージの浮かぶ微生物である。また、目でみることのできる大きな微生物である。一方で、たいていの人は見たことはあるだろうが、花を見るようにじっくり見た人はほとんどいないだろう。カビに関する知識は専門家に独占され、カビほど誤った知識が世間に流布している微生物はないだろう。
本章では、細菌などと比較しながら、カビの生物としての本質に迫りたい。また、カビはキノコや酵母、その他あまり知られていない微生物と同様に菌類に属するが、他の菌類の仲間とどこが似ていて、どこが違うのかを明らかにしたい。さらに、カビも生物であるので、生きるためのエネルギーを得て生活し、子孫を残すための様々な戦略を持っている。そのようなカビの生活についても見ていきたい。

 

1、細菌、酵母、キノコとの違い

 

いろいろな微生物
微生物とは、目に見えないほど小さい生物の総称である。微生物の主たるものには、ウイルス、細菌、菌類などがある。(図1-1)。その中で、カビは菌類に含まれる。菌類の主なものといえば、カビの他に、キノコ、酵母がある。なお、細菌も菌類に含まれると思っている人が多いが、細菌と菌類はまったく異なる。そこで細菌と区別するために、菌類のことを真菌類と呼ぶこともある。本家であることを意識した呼び名だが、専門家の数は真菌類より細菌のほうがはるかに多い。細菌は伝染病や食中毒などの健康被害の大きな要因であり、遺伝子に関する研究の重要な実験材料でもあるからだ。
「カビ」という言葉はいわゆる呼称で、学術用語ではない。例えば、キノコの中には非常に小さいものもあり、どこまでをカビと呼んでよいかについて迷うことがある。その境目は実は曖昧である。カビと呼んでよいか迷う場合は菌類と私は呼ぶことにしている。菌類はいずれも子孫を残すために植物でいえば種子に当たる胞子を大量に作る。また、菌類の体は菌糸と呼ばれる一般に長い糸のようなつながった細胞からできている。カビでもキノコでも、さらに酵母でも、細胞の大きさに大差はない。カビとキノコはいずれも菌糸からできているが、酵母の細胞は糸のようにつながっていない。だから、酵母は増殖してもバラバラの細胞が集まって、球形の粘性のある塊になる。しかし、酵母の中には、カンジダ菌のように生育条件が変わるとカビのように糸状に生えてくるものがある。また、シロキクラゲというキノコのように、生育条件によって酵母になったり菌糸になったりするものもある。遺伝子的にも、酵母はカビなどとは深い関連があるのだ。ただ、酵母は発酵などの実用面で重要なものが多いため、カビとは区別されている。酵母という呼称には善玉の響きがある。
カビは微生物の中では大きいほうだ。直径数ミクロンの胞子が発芽して、菌糸は数日でみるみる放射状に生育していく。「」カビが生えている」というのは、直径数センチにもなって、目に見えるほどの大きさに広がった状態のカビを指す。一方、細菌はどんどん細胞分裂して増殖しても細かい透明の水滴のような塊にしかならず、食品に生えていても肉眼ではなかなか見つけることができない。
食品に生えたカビを観察するには、ルーペがあればたいていは事足りる。その汚染部分を10倍程度に拡大して見れば、カビの概観がよく見える。カビの生えている部分は、ススキの草原や森や林のミニチュアのように見える。

カビとキノコの呼称である和名については、アオカビのように最後に「カビ」がついたものの多くがカビで、マツタケのように「タケ」のついたものの多くがキノコである。ただ、日本に生えるいずれのキノコにも和名がついているのに対して、カビに和名がついているのはかなり少ない。ついているのはむしろ例外と言ってよい。おいしいキノコか毒キノコかを、よく知っているアマチュアは多い。一方、カビに詳しいアマチュアというのはあまり聞いたことがない。カビを観察したり調べたりするのは、ごく少数の専門家に限られている。食物の観点からすると、カビとキノコの最大の違いは、おいしく食べられるものがあるか否かだ。キノコを紹介した本は多いが、カビの本は非常に少ない。多くの人たちは、「そもそもカビとキノコとがなぜ同じ仲間なのか、さっぱりわからない」と思うようだ。
カビとキノコは、生物学的には胞子のできる器官、子実体[しじつたい]に大きな違いがある(図1-2)。カビの多くは、分生子柄[ぶんせいしへい]という菌糸上から出た器官や、球状の殻の中の子嚢[しのう]という袋状の器官に胞子ができる。一方、キノコの多くは、傘の裏側のヒダにある担子器[たんしき]といわれる器官に胞子ができる。ただ、一般にはこの区別も厳密なものではない。この胞子のできる子実体が肉眼ではよく見えないほど小さいのがカビであり、手にとって見ることができるほど大きいのはキノコと呼ばれている。カビは拡大しないと、多くの人に実際の姿を見てもらうことができない宿命を持っている。
カビと細菌は、一般の人からはあまり区別がつけられないし、区別するのはむしろ不可能かもしれない。どちらも食品を汚染して、悪臭を放ち、人に嫌われているという点では共通している。どちらもジメジメしているところが好きで、健康に悪い影響を与えるというイメージが定着している。どちらも、いなくなればよいと多くの人々が思っている微生物である。
細菌では、結核菌、赤痢菌、コレラ菌などの恐ろしい病原菌が有名であるが、善玉の細菌も多い。例えば、納豆菌、乳酸菌。納豆菌やヨーグルト作りなどに用いる乳酸菌は発酵食品の製造には欠くことのできないものだ。発酵食品の製造に不可欠なカビや酵母と同様に、私たちのしょくせいかつを豊かにしている。なお、ほとんどの大腸菌も人間の大腸に常在する善玉菌でぁ、ごく一部にO-157のような病気の原因になるものがいて、ややこしい。
ただし、カビなどの菌類と細菌との区別は生物学的には非常にはっきりしている。菌類も細菌も小さいので微生物と呼ばれているが、専門家にとって、この二つはミジンコと象以上に異なる。体の単位である細胞の大きさや構造が異なるからだ。細菌は細胞がより小さく、細胞の中心に明確な核がない。菌類の細胞の構造は、細菌より人間にずっと近い。
細菌とカビの研究者が同じ部屋で実験することは少ない。細菌の研究者が、カビの研究者と並んで培養実験をするのを嫌うからだ。カビの胞子は飛びやすく、細菌の培養中にカビの胞子が混入することがあるからという。だが、まったくの濡れ衣である。混入するのは実験操作の技術レベルの問題であり、病原菌に感染するほうがよほど恐ろしい。しかし、多勢に無勢。言われるままにすごすごと引き下がらざるをえない。
カビの世界で4万種余り、キノコは3万種余りが見つかっている。酵母は約4000種が見つかっている。カビの構造と形態

ここではアオカビを例にして、カビの基本構造について紹介してみたい(図1-3)。カビの胞子は発芽したあと、細長い菌糸がしばしば枝分かれしながら、食品などの表面に沿って水平に放射状に延びていく。また、菌糸同士は絡まりあって網目状になり、円形の菌体を形成する。その後、菌体のあちこちから、分生子柄という菌糸が上方に立上がるようになる。分生子柄は長かったり、太かったり、先端が膨らんだりと、他の菌糸と形が違う場合が多い。その先端部分に膨大な数の胞子を作るが、胞子を蓄える器官が子実体である。このような菌体と子実体の集まりをカビのコロニーと呼んでいる。
子孫を残すために胞子を作るという点は植物とにているが、カビには葉や茎はもちろん根もない。菌体を形成する菌糸は、どの部分でも機能的な違いがなく、同じゆうな形と役割を持っている。窓の目地などの内部に侵入する菌糸もあるが、いずれの菌糸の表面からも水分や栄養を吸収できる。テレビコマーシャルで「カビの根はなかなか取れない」と言うが、これは根も葉もない話である。
カビの基本構造は単純、胞子の形や、胞子のできる子実体の構造は種類によって異なり、実に千差万別である。この胞子と子実体の形の違いによって、種類を区別している。それが地球上に数万種類のカビがいるという所以である。
カビの胞子の大きさは数ミクロンから数十ミクロンと様々だが、カビの胞子はいずれも顕微鏡で十分見える。大きな胞子はルーペでも見える。また、球形やレモン形などが多く、散らばりやすい形をしている。ただ、胞子が単細胞の場合は、形が単純で小さい。多細胞の胞子は大きく、その形も複雑で多様である。ごく一般的に見られるものだけでも三日月形のアカカビ、ブーメランのような形のクルブラリアなどがある。大自然の小さな造形美。顕微鏡でいろいろなユニークな形の胞子を見つけるのが、研究者にとって一番の楽しみだ。
人がカビについて表現する場合、まず色のことを言う。人はカビの様々な部分を見て色を判断している。ある人は、カビの胞子の色を見て、これをカビの色と思う。菌糸にも、透明なものと暗色のものとがある。さらに、カビは色素を体外に分泌するが、この色素をカビの色と思う人も多い。例えば、モチに生えたカビの色について、赤だ、黄だ、黒だ、青だと人は言う。赤色や黄色という人はたいていカビの出す色素を見ている。けれども、そのカビは胞子の透明なアカカビのこともあれば、胞子の色が青いアオカビであることもある。黒色と言う人は菌糸または胞子の色を言っていることが多い。黒い菌糸に黒い胞子はクロカワカビ、透明の菌糸に黒い胞子はクロコウジカビが多い。ルーペで見ると、モチの表面はお花畑だ。
口絵1を見ていただきたい。世界で最も美しいカビと言われているアオカビの仲間で、マッチの軸を同心円状に並べた形をしている。マッチの頭のような部分が青い胞子の塊である。このカビはアナウサギなどの野生動物の糞からしばしば見つかる。以前、健康増進のイベントで、「世界で一番美しいカビを見よう」という看板を掛けていたら長蛇の列ができた。