「無言の言葉 - 白洲正子」暮らしの文藝・話しベタですが・・・ から

 

「無言の言葉 - 白洲正子」暮らしの文藝・話しベタですが・・・ から

 

ある明け方、雪景色がおもしろいので、ふと思い立った(津田)宗及[そうきゆう]が、利休のもとをおとずれた。はたして、露地の戸が細めに開き、香のかおりがただよう茶室にともしびの影がゆらめいている。利休は、十徳姿で迎えたが、しばらくあいさつなどかわすうち、水屋の戸をたたく気配に、醒ケ井まで水をくみにやったのが帰ったとみえる、とつぶやきつつ釜をひきあげ、勝手に立っていった。客が炉の中を見ると、まことにいい具合に炭がおこっている。が、水をかえたのではもう少し強いほうがいい、炭をつぎたしているところへ、主が帰って来たので、その由をいうと、利休は大いに喜び、「かやうの客に会ひてこそ、湯わかし、茶たてたる甲斐はありけれ」と、後に弟子たちに語ったという。
私はこの風景が好きである。伝説かも知れないが、伝説にしては、何でもなさすぎる。その、何でもないところに、よく仕組まれた舞踊でも見るような、完全な調和とリズムが感じられ、雪の降り積む音さえ聞えてくるような気がする。いや、そんな言い方も空々しくひびくような、ぴたりとしたものがある。利休は後に「かやうの客に会ひてこそ、云々」とほめたかもしれない。が、そのときは、言葉の入る余地もないほど、満ち足りた思いでもてなしたことだろう。人間のつきあいには、社交と呼ばれるものとまた別な、饒舌も理解も必要としない世界がある。
達人でなくとも、忘れがたい瞬間というものは、一生のうちに何度かあるものだ。が、さて、いわんとすれば、何もない。二度と再び還らない、そういうかけがえのない時をとらえて、芭蕉は「命二つの中にいきたる桜かな」とうたったが、茶道も別のことを語るものではないように思う。うかうか過したら、見のがしてしまうような体験を、物を媒介にたえずつくり出す機会を与える。芭蕉の桜は、たとえていえば利休の炉だ。それらのものがなかったら、この二人の友情は、ひとり合点の感傷に終ったことだろう。十七字の組合せが俳句をかたちづくるように、道具をめぐって、人間の心と心がふれ合う。眼に見えぬ生命は、器物の形の上に、はじめて己が姿を得る。
利休は、「茶の湯とは、ただ湯を沸かし茶を点てて飲むばかりのものと知るべし」といったという。茶道の美や精神を云々する現代の宗匠とは比べものにならぬ単純明白な言葉である。かれにとって、茶道とは、かの宗及が、雪の降りしきる中をたどった道、あるいは露地から茶室へいたる道、または茶碗を手にとって飲むまでの道、そういったことを意味したに違いない。端的に、眼に見えるものの姿しか信じなかった。この思想は、茶碗の銘にまでおよんでいた。大きくて黒いから大黒[おおぐろ]、大急ぎで舟でとりよせたから早船、皆が取った後に一つ残ったから木守[きまもり]、古歌をひねくりまわして、意味深長な名前を考えた利休以前の趣味とは雲泥の差といえる。
だが、いくら桃山時代でも、雪がおもしろいからといって、ふらりと訪ねてくるような客はまれだった。茶人ははくぼどいたけれど、炭が足りないから、つぐといったような、ごく当り前なことをしてくれる人もいない。利休を愛しているにしろ、恐れているにしろ、同じことである。ああ、なんと「ただ湯を沸かし茶を点てて飲むばかり」のことが人間にはできにくいか。この、ほとんど口を閉ざした定義には、そういう嘆息がこめられているような気がしてならない。