「魂のサバイバル - 吉田類」私の「貧乏物語」 から

 

「魂のサバイバル - 吉田類」私の「貧乏物語」 から

 

永代橋を渡った隅田川の東側は門前仲町・通称門仲[もんなか]。ここには、昭和レトロの匂う飲み屋横丁が残っており、深川、両国、木場と時代がかった町名が隣り合う。誰かがこの下町界隈を“人生の吹き溜まり”と称した。しがらみを捨てて人の海に紛れ込むことの出来る町だった。
その界隈で飲み屋をハシゴするようになっていた二〇〇〇年前後。バブル好景気の崩壊以来、町はきな臭いほど殺伐としていた。
永代通りを自転車で門仲に向かっていた時のこと。三つ目通り交差点の手前に差しかかった。すると、舗道脇にうつ伏せて横たわる人の姿がある。 
通行人に訊ねると、
「今さっき降って来たところだぜ」
飛び降り自殺だった。三〇代後半の女性。下腹へ幾重にも巻いた“晒し”が、覚悟の死を窺わせる。“晒し”の裂け口が衝撃の凄まじさを物語る。だが、この種の事件は珍しくもなく、ニュース沙汰にもならない。
東京の下町を知る以前は、パリでの画家生活や旅三昧。僕は現実離れした遊民の一種にすぎなかった。そんな境遇は破綻し、それまでの人生に無縁だった下町へ漂着。容赦のない現実と立ち向かう羽目となった。
精神的には衰弱し切っていたものの、唯一の救いとして郷里の山村で培った肉体の強靭さがあった。体力に物を言わせて、アウトドアをテーマとした本作りで細々と生計をつないだ。ひと汗かいた後は、小腹を満たしながら門仲の代表格となっている大衆酒場で飲む。永代通りに面した一階はコの字型カウンターの組合わさった大型の店内。元魚屋とあってメニューの豊富さ、ボリューム、値段の安さは他店を圧倒する。身分の別け隔てなどなく狭いカウンターに肩を寄せ合う。そんな温もりが有り難い。
それでも、天涯孤独を楽しむ訳にはいかなかった。次々と舞い込む縁者の訃報。馴染みの飲み屋で、不意に姿を見せなくなる常連客が相次ぐ。会社の倒産、社長の失踪、家庭崩壊が主な原因だったように思う。追い打ちをかけるように悲痛な知らせがあった。かつて画廊で知り合った人形作家の弟からだ。
「昨日、姉が転落事故で亡くなりまして。ノートにあなたの電話番号が」
そこまで聞いて背筋が凍りついた。事故などではない。自死に違いなかった。
彼女は自身の耐え難い生活を遠回しに打ち明けていた。それから半年に一度、決まって深夜の一時前後に電話してくる。僕は“命の電話”の聞き役となった。たわいない世間話をするだけで、平凡な生活人が演じられたのだろう。一昨日の深夜、鳴り響いた電話を取り損ねた。自責の念に苛まれる。
古傷は時おり疼く。独りヨーロッパを放浪しているさなか、母親が脳溢血で倒れ、親の死に目に会えなかった。そして、長年支えてくれた守護者を失い、もうひとつの希望の恋は成就直前に瓦解。僕は心を閉ざしていた。
「あなた、自分の人生で三人の女神を殺したってことですね」
馴染みだった女将がさらりと吐いたセリフだ。僕が下町に移ったのもそんな闇を抱えていたからだろう。下町酒場に温もりを覚えながらも、底知れぬ深海の闇を思った。肴のホタルイカと、富山湾の底に浮遊する魂の青火をイメージした一句。
闇海[くらうみ]を孕みつ喰わる蛍烏賊
ほろ酔うて、自転車を押しながらの帰り道。いつもの親水公園を通り抜けようとした折、車輪の前にもぞもぞと動く茶色い小動物がいる。そっと退[ど]かそうと摘み上げたのが運の尽き、いやいや運の始まり。子猫をポケットに入れて持ち帰った。翌朝の枕もと、ミュー、ミューとか細い鳴き声で目が覚めた。痩せこけた茶トラは、かろうじて足を踏ん張っている。
ミルクとヨーグルトでどうやら生き延びた。足に付着したコールタールを洗い落とした後、ノミを根絶するまで数ヵ月を要した。赤ん坊を扱う要領で湯船に入れてシャンプーする。両手がふさがっていれば茶トラの首根っこをくわえて運ぶ。母子ならぬ父子家庭。毛色が心なしか濃くなってきた。おでんの盛り皿に添えた練り辛子の色に似ている。この日、雄の子猫を“からし”と名付けた。
からし君は、小柄ながらすくすくと育つ。僕が原因不明の腹痛で七転八倒しておれば、片時も離れずオロオロと不寝[ねず]の看病をしてくれる。中部山岳から東北、北海道まで共に旅をしたこともあった。
そして一七年目の夏。八月一二日の未明、僕の手は急速に冷え切っていくからし君の身体を抱きしめるほかなかった。闇の中の灯しが消え、またぞろ自暴自棄となった僕は、数年間、右往左往するように引っ越しを繰り返した。
そんなある冬、予期せぬクリスマスカードが送られてきた。
「いつも、お父さんのそばで見守っています・・・酔っぱらった父さんの笑顔が大好きです。吉田からし
前を向いて生きて欲しいというメッセージ。筆跡を見て、本当の差出人の見当は付いた。消印は大阪、Kさんだ。貧しく疲弊していた僕の魂も、再び息を吹き返す。
捨てたもんじゃないんだ、人の“縁”は。だから、旅もつづく。