「酒の讃と苦笑 - 若山牧水」ほろ酔い天国 から

 

「酒の讃と苦笑 - 若山牧水」ほろ酔い天国 から

 

それほどにうまきかとひとの問ひたらば何と答へむこの酒の味
真実、菓子好の人が菓子を、渇いた人が水を、口にした時ほどのうまさをば酒は持っていないかも知れない。一度口にふくんで咽喉を通す。その後口に残る一種の余香余韻が酒のありがたさである。単なる味覚のみのうまさではない。
無論口であじわううまさもあるにはあるが、酒は更に心で噛みしめる味わいを持って居る。あの「酔う」というのは心が次第に酒の味をあじわってゆく状態をいうのだと私はおもう。斯の酒のうまみは単に味覚を与えるだけでなく、直ちに心の営養となってゆく。乾いていた心はうるおい、弱っていた心は蘇り、散らばっていた心は次第に一つに纏って来る。

私は独りして飲むことを愛する。
かの宴会などという場合は多くただ酒に利用せられているのみで、酒そのものを味わい楽しむということは出来難い。
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり
酒飲めば心なごみてなみだのみかなしく頬を流るるは何[な]ぞ
かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ
われとわが悩める魂[たま]の黒髪を撫[な]づるとごとく酒は飲むなり
酒飲めば涙ながるるならはしのそれも独りの時にかぎれり

然し、心の合うた友だちなどと相会うて杯を挙ぐる時の心持も亦た難有[ありがた]いものである。
いざいざと友に盃すすめつつ泣かまほしかり酔はむぞ今夜
語らむにあまり久しく別れゐし我等なりけりいざ酒酌まむ
汝[な]が顔の酔ひしよろしみ飲め飲めと強ふるこの酒などかは飲まぬ

朝の酒の味はまた格別のものであるが、これは然し我等浪人者の、時間にも為事の上にもさまでに厳しい制限の無い者にのみ与えられた余徳であるかも知れぬ。雨、雪など、庭の草木をうるおしている朝はひとしおである。
時をおき老樹[おいき]のしずく落つるごと静けき酒は朝にこそあれ
普通は晩酌を称うるが、これはともすれば習慣的になりがちで、味は薄い。私は寧ろ深夜の独酌を愛する。
ひしと戸をさし固むべき時の来て夜半を楽しくとりいだす酒
夜為事のあとの机に置きて酌ぐウヰスキイのコプに蚊の入るるなかれ
疲れ果て眠りかねつつ夜半に酌ぐこのウヰスキ-は鼻を焼くなり
鉄瓶のふちに枕しねむたげに徳利かたむくいざわれも寝む

酔ひ果てては世に憎きもの一つなしほとほと我もまたありやなし
一刻も時分を忘るる事の出来ぬ自己主義の、延[ひ]いて其処から出た現実主義物質主義に凝り固まっている阿米利加に禁酒令の布[し]かれたは故ある哉である。

洋酒日本酒、とりどりに味を持って居るが、本統におちついて飲むには日本酒がよい。

サテ、此処まで書いて来るともう与えられた行数が尽きた。
初め、酒の讃を書けという手紙を見た時、我知らず私は苦笑した。なぜ苦笑したか。
要するに私など、自分の好むものにいつ知らず救われ難く溺れていた観がある。朝飯昼飯の膳にウイスキーかビールを、夕食の膳にはまた改めていわゆる晩酌を、という風に酒びたりになっている者に果して真実の酒の讃が書けるものだろうか。

いま一つ苦笑して苦笑の歌数首を書きつけこの稿を終る。
その一。
一杯を思ひきりかねし酒ゆゑにけふも朝より酔ひ暮したり
なにものにか媚びてをらねばならぬ如き寂しさ故に飲めるならじか
酔ひぬればさめゆく時の寂しさに追はれ追はれて飲めるならじか
その二。これは五六年前、腎臓を病み医者より絶対の禁酒を命ぜられた時の作。
酒やめてかはりに何を楽しめといふ医者が面[つら]に鼻あぐらかけり
彼しかもいのち惜しきかかしこみて酒をやめむと下思ふらしき
癖にこそ酒は飲むなれこの癖とやめむ易しと妻宣らすなり
宣りたまふ御言[みこと]かしこしさもあれとやめむとは思へ酒やめがたし
酒やめむそれはともあれ永き日のゆふぐれごろにならば何とせむ
朝酒はやめむ昼酒せんもなしゆふがたばかり少し飲ましめ
酒無しに喰ふべくもあらぬものとのみ思へりし鯛を飯のさいに喰ふ
おろか者にたのしみ乏しとぼしかるそれの一つを取り落したれ
うまきもの心に並べそれこれとくらべ廻せど酒に如[し]かめや
人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ