『福翁自伝』巻末「解題」小泉信三

福翁自伝』が自伝文学の傑作であるということについては、すでに今日定論があるように見える。一つの語るに値する生涯が、自らその生涯を生きた、すぐれた語り手によって語られるという点で、ここに滅多にない条件が揃っている。
福沢がそこに語るところは真実か。極めて真実である。勿論福沢にも人名、地名、年時等についての幾つかの記憶違いはあり、それは校訂者によってそれぞれ正されているが、しかし全体として福沢は、世に稀れな記憶者であった。福沢が『自伝』を口授したのは、明治三十年、その六十四歳のときのことで、速記者を前に、ありふれた年表のようなものを手にしただけで、話し出して書かせたということであるが(福沢がそのためメモを用意したことは後に知られた)、そのニ三十年前或いは四五十年前の人や出来事を語ることは驚くべく詳細で正確である。その正確性については、その後の半世紀間における原資料による福沢研究が、幾多の証拠を示している。
『自伝』の記述は真実であるとして、然らば果たしてそれは著者に関するすべての真実を語っているか。それは勿論請け合えない。誰の生涯にも、愉快な記憶ばかりではない。強いて求められもしないのに、進んでその不愉快な記憶を語る必要はない訳である。福沢の場合とても、恐らく同様であろう。従って福沢は、この『自伝』で、すべて真実を、包まず語り尽くしているとは誰も保証できぬ。ただ普通の標準をもって見れば、福沢はそこに自分について ー 自分の弱点と見られるものについても ー 随分打(ぶ)ちまけて語っている。或る時代暗殺を恐れて、家の中に逃げ途を造ったとか、臆病で、血を見て気が遠くなったとか、或る場合金銭の誘惑を斥けるのに悩んだとか、酒に目がなくて、「ほとんど廉恥を忘れるほどの意気地なし」であったとかいうことは、いわないでも済むことであるが、福沢はそんなことは憚らない。少なくともこの『自伝』はそういう点で、極めて矯飾の少ないものであるといえると思う。先年この書が初めて英訳出版されたとき、タイムス文芸附録の書評者は、著者が自分の弱点を匿さず語る態度に好感を抱いた
ように見えた。
けれども、ジャン・ジャック・ルソオの『告白』の露悪を喜ぶような一部の読者から見れば、『福翁自伝』が語る生涯は清潔過ぎて、物足らぬかも知れない。それはその人の趣味によることで、批評の限りではないが、福沢の生涯が実際に清潔であったことは奈何(いかん)ともし難い。公人としての進退の厳正であったこと、私生活(婦人に関する)に不潔な所業のなかったことにおいて、福沢の生涯はやはり珍しい生涯であった。ルソオの『告白』のようなものの方が好きだというのは、人の自由であるが、『告白』の方が『福翁自伝』よりも真実を語っているというのは当らない。二人の生涯の真実そのものが違ったのである。福沢の方が真実高い生涯を生きたのである。
こう書いて来ると、福沢の行いの正しい、気の狭い、道学者タイプの人であったかと思われるかも知れないが、およそ違う。福沢自身もそういう型の人物を好まず、「よく世間にある徳行の君子なんていう学者が、ムズムズしてシント考えて、他人の為ることを悪い悪いと心の中で思って不平を呑んでいる者があるが」といって、これを嘲っている。『自伝』に描き出されている著者の多血多涙、喜怒ともに憚らぬ面目は、道学者とはおよそ反対のものである。
『自伝』の筆致についていうと、筆は暢々(のびのび)して明るい。その叙事の自由自在であること、感情の色調を現す用語の豊富適切であること、表現のしばしばユモアに富んでいること、文面全体に溌剌たる生気の溢れていることは、福沢独特と称すべきであろう。前記の如く、福沢はこの『自伝』を、初め速記者を前に語り出したのであるが、近ごろ富田正文が、福沢自筆の原稿と対校して報告するところによれば、その速記文には綿密周到な加筆が行われ、或るところは福沢自身全く書き改め、或いは書き加えをした結果、全体の半ば以上は福沢自身の筆で書かれたものだといって好いという。果たしてそうならば、福沢は万延元年そもそも初めて著述の筆を執って以来三十四年の慣用に背き、初めてここに口語体の著述を試み、一挙にして大成功を収めたということになる。
福沢は勤勉な観察者であると共にその見聞を語ることにも気まめであった。それ故『自伝』は福沢自身の生涯を語ると共に、福沢が生きた時代についても多くを語る。そういう場合、福沢の筆は、しばしば歴史的場景や或る時代の風俗を目にみるように描き出すのであるが、彼の批判力は、往々その描写を一種の可笑味あるものにする。即ち福沢は文字をもって幾つかの歴史画を描くと共に、また勝れた戯画を描くにも成功したといえる。その実例は容易(たやす)く本書中に見出されるであろう。慶応四年正月、徳川慶喜が鳥羽伏見の戦に敗れて逃げ還って来た江戸城中の混乱、文久年間、攘夷論沸騰の際における江戸風俗の一変を記した条の如きは、特に挙ぐべきものと思う。
福翁自伝』が初めて単行本として出版されたのは明治三十二年(一八九九)のことであった。それから殆ど四十年して、昭和十二年(一九三七年)に初めて岩波文庫版が出、私はそれに序文を書いた。それから更に十七年で、ここに同じ文庫本の新版に解題を書くことになった。初めてこの本が出てから五十五年である。顧みると、『福翁自伝』は日本の五十五年の変遷を見て来たが、その変遷にも拘わらず、『福翁自伝』の価値は変らない、というような感想が起る。

昭和二十九年三月十日
東京都広尾町

小泉信三