2/2「遍路ー斎藤茂吉」岩波文庫“日本近代随筆選”から

2/2「遍路ー斎藤茂吉岩波文庫“日本近代随筆選”から
 

一夜明けて、僕等は小口の宿を立って小雲取の峰越をし、熊野本宮に出ようというのである。そこでまた先達を新規に雇った。川を渡ったりしてそろそろののぼりになりかけると、細い雨が降って来た。僕等はしばし休んで合羽を身に著はじめた。その時遥向うの峠を人が一人のぼって行くのが見える。やはり此方の道は今でも通る者がいるらしいなどと話合いながら息を切らし切らし上って行った。
三十分もかかって、ようやく一つの坂をのぼりつめるとそこで一段落がつく。そこに一人の遍路が休んでいた。さっきの雨が既にあがっているので遍路は茣蓙(ござ)を敷いてそのうえで刻煙草を吸っていた。見晴らしが好く、雲がしきりに動いている山々も眼下になり、その間を川が流れて、そこの川原に牛の いるのなども見えている。
僕等もそこで暫時休んだ。遍路は昨日のと違って未だ若い青年である。先程見た一人の旅人はこの遍路であったのだから、遍路は彼此三十分も此処に休んで居るのであった。遍路は眼が悪いということを云った。なるほど彼の眼は一眼全く濁り、片方の瞳にも雲がかかっていた。遍路の話を聴くに、もとは大阪の職人であった。相当に腕が利いたので暮しに事を欠くということが無かったのだが、ふと眼を患って殆ど失明するまでなった。そこで慌てて大阪医科大学の治療を乞うたけれども奈何(いか)にも思わしくない、そのうち一眼はつぶれてしまった。それのみではなく、片方の眼もそろそろ見えなくなって来た。然るに、居処不定(きょしょふじょう)の身となり霊場を巡っているう ちに、片方の眼が少しずつ見えるようになって来た。彼は益々神仏にすがって到頭(とうとう)四国の遍路を了(お)えた。その時には眼が余程好く見えるようになった。
その時彼は、もうこれぐらいで沢山である。もうそろそろ信心の方も見きりをつけて浮世の為事(しごと)をして見ようと思ったそうである。そして逡巡しているうちに、眼は二たび霞んで来てもとのようになりかけたそうである。
彼は驚き心を決して二たび遍路の身になってしまった。そして既に数年を経た。きょうは小口の宿を立って熊野の方へ越えようとしているのだと、こういうのであった。
彼はそういう事を事こまかに大阪弁で話した。併し僕は大阪弁を写生することが得手でないから、その儘書くことが出来ない。
遍路は、けれど も現在の状態に安住してはいなかった。若い身空を働きもせず、現世の欲望をも満たそうともせずにいることが残念でならなかった。彼は「いまいましい」という言葉を使った。T君は遍路に五十銭呉れたが遠慮をしながら丁寧にそれをしまった。それから遍路はM君の呉れた紙巻煙草を一本その場で吸った。
僕等は遍路をそこに残して一足先に出発した。一山巡って、も一つ山にさしかかろうとする頃うしろの方で鈴の音が幽かに聞こえた。
「奴も歩き出したね」
「あの奴なかなか面白いね。ぷりぷり云っているところなんか面白いじゃないですか」
「いまいましいなんて云いましたね」
「いまいましくても、遁世の実行家だね。あれだけの生活は加特利(かとりっく)教徒の労働者なんかでは出来ない よ」
「強いられた実行なんですね」
「そうかも知れない。併し観音力にすがるところに盲目的な強味があるとおもいますね。一時流行した覚めた人気にはああいう苦行生活は到底出来ませんよ」
「しかしみんな遁生菩提でも困りますからね」
「そうかも知れない」

僕等は疲れきって熊野本宮に著いたのは午後二時ごろであった。そこで熊野権現に参拝した。熊野川は藍に澄んで目前を流れている。きょうの途中に、山峡からたまたま熊野川が見え出し、発動機船の鋭い音が山にこだまさせながら聞こえていたが、あれも山水に新しい気持を起させた。
この山越は僕にとっても不思議な旅で、これは全くT君の励ましによった。然も偶然二人の遍路に会って随分と慰安を得た。なぜかというに僕は昨 冬、火難に遭って以来、全く前途に光明を失っていたからである。すなわち当時の僕の感傷主義は、曇った眼一つでとぼとぼと深山幽谷を歩む一人の遍路を忘却し難かったのである。然もそれは近代主義的遍路であったからであろうか、僕自身にもよく分からない。