「ボール探しの天才(ハラスのいた日々ー抜粋)-中野孝次」文春文庫

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「ボール探しの天才(ハラスのいた日々ー抜粋)-中野孝次」文春文庫
 

成長するにつれ彼は、その敏捷さとともに、妙な特技のあることがわかった。それは、野球のボールを探しだすことにかけては、まさに天才的な勘を持っていたことである。
洋光台は、街作り計画のなかにたっぷりと公園など公共用地をとり入れているのが自慢で、ほうぼうに広い公園がある。日本はすでに高度経済成長期の大量生産大量消費時代に入っていて、そのなかで育った子供たちはもはやロストボール如きは昔の子供のように熱心に探しまわらぬらしく、公園や造成地にはその放置されたやつが潜んでいた。むろん草に隠れたり地面に埋もれていたりで人の目にはつかないが、ハラスはいかなる感覚の働きよるものか、それを探す名人だったのである。
散歩の途中草むらに鼻先をつっこんで何か探っているなと見ると、たちまちもうボールをくわえていた。深いブッシュにもぐったものまであるのに、それも正確に探し出す。その探索本能にはまったく感服するしかなく、わたしはしばしば驚嘆の声を発したものである。
こうして彼の拾い出したボールはやがて何十個あるか、大きなバケツ一杯になって、遊びに来た子供たちにまわすことになった。
洋光台のとなりに当時港南台という大分譲地も造成中で、整地は済んだがまだ家の一軒も建っていない宅地が整然と並んでいた。場所によっては深い谷の残っている所もあり、この広大な新開地がハラスにとって又とない運動場になった。街中では引綱を放せないが、ここなら安心して放してやることができる。
犬が自らの意志で自由に駆けまわるのを見るのは、それだけでも気持のいいものである。相当な段差のついている分譲地を、どこまでいったかと心配になるくらい遠くまで疾走していって、また枯草をなびかせながら駆け戻ってくる。わたしが?まえようとするふりをすると、右に跳ね左に飛び、逆にこっちをからかい挑発しはじめる。若くてエネルギーに溢れる犬は、いくら動いても面白くてならないらしかった。
西に向って下り勾配の土地のむこうに、朱金色の夕焼空を背景に富士がくっきりと黒い姿をきわだたせている。息を切らしたわたしは造成地の端の枯草に坐りこんで、冷たい風をかえって快く感じながら、その姿を眺め入る。わたしもすでに四十代の終りで、そうやって坐って眺めていると、「いったい自分はいつまで生きていられるのかな」というような思いが浮んでくるとしになっていた。
ハラスはしかしひとりで遊ぶだけではつまらないらしかった。寝ころんだわたしのそばで、どこで探しだしたのか泥にまみれたボールをくわえてきて、首を振って放りあげてはまた自分で受けとめ、ひとりで遊ぶふりをしてわたしをけしかけ始めるのだ。そして、どういうものかたまにわたしにボールをとらせることがある。わたしがそれを深い谷めがけて思い切り投げると、彼は勢いよく一目散にその急傾斜の斜面を駆けおりていって、谷底の草むらをしばらく嗅ぎまわって発見すると、またみごとな跳躍力をみせながら枯草の生いしげる急坂を跳び上り跳び上り戻ってくるのだった。
「ブラヴォー、プリーマ、ハラス!」
思わず声をかけると、彼は得意げにボール遊びを始め、またわたしにとらせ、同じことを何度でもして倦きず、疲れたふうも見せないのである。
まったくその若々しい運動力には感嘆させられた。そして若いうちにそういう遊びをやったおかげで、ハラスの脚力は並の犬以上に発達したことは間違いない。のちにスキー場に連れていったとき、わたしたちはそのみごとな跳躍力を再発見したものである。
陽は丹沢山系に沈み、夕焼も薄れだしたころ、ボールをまた草むらに隠して、ふたたび引綱をつけ、わたしたちは帰路につくのが常であった。もし犬がいなかったら、わたしひとりでそんな造成地に毎日出掛けることはなかったろうし、夕焼に浮ぶ黒富士を見ながら感慨にふけることもなかったろうから、これはまさにハラスのおかげで恵まれた瞬間であった。と同時に、寒風に吹かれながらそれを眺めているときに浮ぶ、いのちの端が見えて来たような思いも、彼の存在と結びついているのである。
平岩米吉さんの歌にこういうのがあるのを、あとでわたしは発見した。

マリ投げて遊べとさそふ若犬の眼の輝きはさやけかりけり

まさにこの歌のとおり、生のなかばを過ぎて、いのちの果てに向って下りつつあることを意識しだしたわたしに、ボールを投げあげて遊べと誘うハラスの「眼の輝き」は、それがそのまま「いのち」の輝きのように感じられたのであった。