1/2「私はなぜ船に乗ったか - 北杜夫」中公文庫 どくとるマンボウ航海記 から

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1/2「私はなぜ船に乗ったか - 北杜夫」中公文庫 どくとるマンボウ航海記 から


マダガスカル島にはアタオコロイノナという神さまみたいなものがいるが、これは土人の言葉で「何だか変てこりんなもの」というくらいの意味である。私の友人にはこのアタオコロイノナの息吹きのかかったにちがいない男がかなりいる。一人は忍術を修行しようとして壁に駆けのぼり、墜落して尾てい(漢字)骨にヒビをいらした。一人はリンゴを三十八個むさぼり食って自殺を企てた。一人は学者としておとなしく講義でもしていればいいのに、スパイになりたくて汲々としている。こういう連中がいなかったら、私は船になんぞ乗らなかったかも知れない。
先年、私はドイツ国に渡ろうと思い、まず神妙に留学生試験を受けたところ、文部省当局は私を書類選考でふるい落した。私はフンガイし、それな らば選考委員をだまくらかすため節を屈して論文のひとつも書くかと思案していたところ、Mという男が私に知恵をつけてくれた。
Mは私の勤務している医局の先輩で、ちょうどニューヨークのある秒居に一年勤めて帰ってきたばかりだったが、これは彼の初志に反することで、本当はもっと世界を放浪するつもりだったらしい。渡米前、彼は研究室にこもりガラス管をいろんなふうにひんまげ、一方の端にさした煙草の煙がフラスコを満たした水中をくぐる装置を作りあげた。彼がいうには、これぞ中国伝来の水煙草であり、肺癌におびえるアメリカ人は争ってこれを購うであろう。そして一心不乱にボコボコ水音を立てながら一日じゅう煙草をふかして実験している光景はたしかに一見するに価するものであった 。彼が一年くらいで帰ってきてしまったのは、この苦心の水煙草の装置が予期に反して少しも売れなかったためであるらしい。そのMが私にこう言った。
「あんな、船医になったらどうだ?そうして、向こうに着いたらスタコラ逃げちまうんだ」
それは天才的な考えだ、と私は言った。ぜひそうしよう。
しかし君は向こうに行っても研究なんぞする気はないのだろう、と彼が訊いた。どうするつもりだね?
精神薄弱児施設に手紙を出してあるんだ、と私は言った。そういう相手ならきっと僕に親近感を抱くだろうからね。
なんという頭の良さだ、と彼はうなった。
そこで私は、すっかりこの計画に満足し、早速ノコノコ或る船会社に出かけて行った。
ところが敵もサルモノである。応対にでた係長 は、私が船は未経験だから試しに一航海乗せてもらえないかと述べると、それでは困る、なにしろ見物が目当てですぐやめてしまう医者ばかり多いので、当方としては最低三年の契約をして貰わねば、とまるでこちらの魂胆を見すかしたような話であった。そのでっぷりした 係長は、契約という言葉をいかめしく何遍も使用した。話を聞きながら私は、たいへん駆足の苦手な私がどこか見知らぬ異国の波止場を一生懸命ドタバタと逃げてゆき、この肥満した男が片手に契約書をふりかざして凄じい勢いで追っかけてくる幻想に悩まされた。あまつさえこの係長は、私が自分は神経科の医者なので手術は苦手だと本音をもらすと、うちは貨物船が多いですから荷下ろしのときなど怪我人が多い、指がちょんぎれる、足がちょんぎれる、頭が割れてしまうのまである、などと私をおびやかしさえしたのである。
そんなことがあってから、去年の十一月になって全く唐突に、水産庁の漁業調査船が船医を捜しているという話があった。その船は大西洋でマグロの新漁場開拓を行ない、欧州をま わって帰ってくる予定だが、もう数日後の出港で、まだ医者が見つからない。何科の医者でもいい、インターン生でもかまわぬという。なにぶんあまり突然の話ではあり、しかも一日二日のうちに決めなければならないのだから、正直のところ私も躊躇した。私にしたって勤めは持っているし丸っきりの風来坊ではないからである。ところがMをはじめいろんな連中が面白がって私をたきつけた。これだけ寄港地の多い船にはすぐ乗れるものじゃない、逃げる逃げないは別として、まあ今度はプラリとあちこち下見をしてきたらいい、それにマグロがたらふく食えるじゃないか。たしかにその船は、シンガポールスエズリスボンハンブルグロッテルダムアントワープル・アーヴルジェノヴァ、アレキサン ドリア、コロンボと寄る予定で、いささかの見物はできそうである。
水産庁に電話をしてみると、向こうでは大喜びで、実は乗ることになっていた医者が都合でやめてしまった。ようやくやはり神経科の医者を捜しだしたところ医局の許可がおりずこれもダメになってしまった、そんなことでもう半年も予定がのびているが、これ以上はのばせないからドクターなしで出港しようとかんがえていたところだという。結局私は自分でも半ばアッケにとられているうちに、なんとなく乗ることに決めてしまったようだ。私のいる医局では翌春教室主催の学会をやることになっており、果して許可してくれるかどうか危ぶんでいたところ、教授は人間を見る目を持っている人で私のことはすっかり諦めていたらしく、意外 に簡単にオーケーになった。なにしろ私はもう何年も医局にいるくせに論文一つ書こうとはしないのである。医局にいると大抵心理とか病理とかの研究室に配属され、いやでも共同研究か何か押しつけらてしまうものだが、私はそんなものを命じられぬよう、小部屋の一隅に『宇宙精神医学研究室』なる看板をかかげ、自らその主任と称し、そこに隠れて空とぶ円盤の書物なんぞばかり読んでいたのである。
その他の障害も案外スムーズに片がつき、いよいよ船に乗りこむことに決定してしまったとき、私はかえって慌てだした。出港まであと三日しかないのである。私は、いくらなんでもこっちだって準備があるからせめて二三日出港を延ばして貰えぬかと交渉したが、これがてんでダメであった。ゆっくり考え られて又ぞろやめたいなどと言いだされてはかなわぬと役所でも考えたのかも知れない。