「輿論の変質ー世論といういかがわしきもの - 西部邁」中公文庫 保守思想のための39章 から

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輿論の変質ー世論といういかがわしきもの - 西部邁」中公文庫 保守思想のための39章 から


輿論(よろん)は、死者たちの伝え残した伝統にたいする生者たちの解釈を土台にして、形成され表出される。それにたいして世論(せろん)は生者たちの(死者のことを無視した)意見である。 - 戦後日本において当用漢字制限なる言葉の表記における設計主義が打ち立てられ、その結果、輿(こし)という字を日常生活でみることはできなくなった。その当て字として世論(よろん)がつかわれ、その発音が今では(世間で流行の論という意味で)「せろん」となりつつあるのである - 。
アメリカにその典型が現出されているのだが、世論はいわゆるPC(ポリティカル・コレクトネス、「政治的な正しさ」)なる概念にまで昇格している。世論の承認を得ぬような施策は、世論が民衆のうちの「多数者(マジョリティ)」の意見であるからには、「民衆政治(デモクラシー)」の運営にとって障害になるという意味で「政治的に正しくない」というわけだ。そこには、多数者のありうべき誤謬なり欠陥なりをいかに正すか、という視点が皆無なのである。
トックヴィルは、民衆政治が進展することの必然をよく理解し、その歴史的必然を世界に先駆けて実現させようとしたアメリカン・デモクラシーの意義を認めてはいた。しかしその著(『アメリカにおけるデモクラシー』)の趣旨は、 - とくにその後半になるにつれ - 「民衆政治それ自体が最も警戒しなければならないのは民衆的権力である」(トックヴィル)ことを明らかにする点であった。
トックヴィルが目の当たりにしたのは、ジャクソ二アン・デモクラシーの「大衆人気主義」であった。したがって世論の堕落ということに無関心ではおれず、実際に、「多数者の専制」がアメリカ社会に到来しつつあると診断した。「大統領は多数者の愛するものを愛し、多数者の嫌うものを嫌う。彼は多数者の意志に媚び、多数者の不平を見越して、多数者の些細な願望にも屈従する」(同)とみたのである。
トックヴィルは、もしアメリカの「弁護士団と裁判官団」が公平な「法学者精神」を発揮しつづけるなら、世論の暴走は防げるであろうと期待しはした。しかしその期待が大きく裏切られたことは、今日のアメリカの裁判が(陪審制を通じて)世論に屈従していることを、そして弁護士連が金銭動機に大きく傾いていることをみれば一目瞭然である。
また彼は、宗教を「生きつづけるために政治権力の援助を必要としない」存在とみなし、アメリカにおいて「宗教の影響力はいっそう長期にわたって持続するものとなっている」ことに期待を抱いた。しかし、PCつまり「政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)」としての世論が社会的価値の唯一の基準となるようでは、トックヴィルの宗教への期待も虚しかったというほかない。
PCは、多数者が(多数であるということそれ自体によって)道徳的優位に立っている、ということを意味している。こういう見方をトックヴィルは「知性に適用された平等理論」とよんでいた。つまり、多数者のがわにより多くの知識があると思い込むことである。もし慣習(およびそれに秘蔵される伝統)が(庶民という名の)多数者によって保蔵されているなら、その平等理論にも言い分がある。しかし、乏しい慣習をさらに乏しくすることに悦びを見出してきたアメリカにあって、多数者は庶民ではありえない。だからトックヴィルは「多数者には、彼らが前進の途中で蹂躪し破砕する人々の、不平に耳を傾けるだけの余裕も残っていない。このような事態の諸結果は将来に とって有 害であり、そして危険なことである」といわなければならなかった。
「多数者の専制」が「出版の自由」によって支えられていることも、トックヴィルは見抜いた。つまりその自由が「出版の破壊好みと横暴さ」という結末をもたらしていることを、一八三〇年代という早期にあって、彼は指摘したのである。最も注目すべき点は「定期出版物は、人民を別とすれば、権力の第一位を占めている」と喝破していることだ。
マスメディアは(立法、司法、行政に次ぐ)第四の権力なり、といった説が近年になって流行しているが、トックヴィルのはマスコミ第一権力論であり、それが正説なのである。なぜといって、世論にもとづく民衆政治の下では、世論を動かす情報媒体(メディア)が立法、司法、そして行政をも動かすであろうからである。その動かし方がいかなる種類のものであるかについても彼はよく知っていた「あらゆる種類のいかもの師のほうが民衆を喜ばす秘訣をよく心得ていて、民衆の本当の友だちは、たいていの場合、民衆を説得することに失敗する」といった顛末になるのである。
ここで、デモクラシー(民衆政治)にはデマゴギー(民衆煽動)がつきものだという古代ギリシャ以来の常識を思い起こすべきであろう。 - 日本人は流行している嘘のことをよくデマとよぶが、それは「民衆的」ということなのである - 。マスメディアがデマゴギーによってデモクラシーの第一権力となるというトックヴィルの見方は、福澤諭吉たちによってすでに知られていた。したがって諭吉は(『民情一新』において)「思想伝達の大道」である「蒸気、電信、印刷、郵便」が西洋人を「驚駭狼狽(きょうがいろうばい)」させているのだ、明治日本はその轍を踏んではならぬと警鐘を鳴らしたのである - 。
そういう良識が文明が進むとともに消滅していく。トックヴィルは、「(文明の)道徳性はいわゆる野蛮時代より少しも高くなっていない......知的発展の向上さえ疑わしい」(ブルクハルト)という見解をほとんど共有していたと思われる。というのもトックヴィルアメリカにみた「個人主義」とは物欲中心の利己主義のことにはかならなかったからである。
トックヴィルはバークの次にくる保守思想の大立て者である。その言説が、福澤の時代では正しく受け止められていたのだが、戦後日本では、しばしばアメリカ流の個人主義や民主主義を弁護したものと位置でけられている。なるほど、「十九世紀の本質的性格としての心なき驕慢(きょうまん)」(ブルクハルト)が絶頂に達しているといわなければならない。
「多数者の専制」がいきとどいた現在では、彼らの文明への悲観は、「高貴な教養ある人々」(ブルクハルト)の瞑想にすぎないと批判されがちである。また、「富者には余暇があり、余暇は知恵をもたらす」(バーク)というのは傲慢だと批判されもする。しかし、彼らが傲慢な瞑想を繰り広げたことを(まったく仮に)認めたとしても、保守思想における保守思想における大衆批判の意義が減価するわけではない。ここで(さしあたり)大衆(マス)というのは、マスメディアの煽動に羊の群れのようにしてついていく(トックヴィルの意味での)個人主義者たちのことである。そういう大衆が、アメリカ以上にアメリカナイズされたといえなくもない戦後日本に溢れ返ってい る。それは 、諭吉にならって「民情一新」と叫びだしたくなるくらいの光景である。