「離着陸 - 團伊玖磨」朝日文庫 なおパイプのけむり から

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「離着陸 - 團伊玖磨朝日文庫 なおパイプのけむり から

飛行機の旅が多いので、その度に離着陸を経験する訳で、座席でじっとそれを体感していると、離陸の場合も、着陸の場合も、その工合は千差万別で、なかなか味わいがある。例えば着陸の場合にしても殆ど気の付かぬうちに滑らかに降りる時もあれば、ごとんと着地する時もある。そのごとんにも、安心感があるごとんもあれば、乱暴さを感じるごとんもあって、実にさまざまである。
旅客機のプロペラ時代が終ってジェットになった時は驚いた。一九五九年の暮、ソプラノの大谷冽子さんとオペラの上演のためにニューヨークに呼ばれた時だった。丁度ジェット旅客機のはしりの時代だった。客席に坐って、隣りの大谷さんに、
「どうしてこんなに馬鹿に大きな物体が、プロペラ無しに飛べるんでしょうね」
と言ったら、大谷さんも、
「変ねえ、変な事ねえ」
と言う。二人ともプロペラ機では何度も海を越える事もしているけれども、長距離のジェット旅客機は初めてだった。そんな事を言っているうちに、飛行機は勝手に力み返ると、こちらの心配を他所にいきなり滑走を始めて、離陸した。その離陸に驚いた。プロペラ機のなだらかな上昇線と異って、離陸した飛行機は矢鱈に急角度で上昇して行くのである。Something wrong! 何か飛んでも無い事が起こるのでは無いか。南無三。そう思って僕はじっと眼を瞑っていた。そういう急上昇の仕方がジェット機の当たり前の離陸の方法なのだという事を未だ知らなかったのである。
色々な機種の飛行機に乗ってあらゆる所を飛び廻わって、飛行機に乗る事には馴れても、離陸と着陸の際には一寸神経質になる。これは誰でもそうであると思う。そう本気で心配する訳ではないし、怖がる訳でもない。然し一寸神経質になる。それが偽らぬところで、その辺の工合を僕は好きなのである。
子供の頃、馬鹿な遊びがあって、こんなドイツ語を知っているかい、Hinnert Jader.ハハハ、ヒネルトジャアデル、詰まり水道の事さ、じゃあね、次の英語を訳しなさい、Full I care, coward to become mid-note. ハハハ、古池や蛙飛び込む水の音さ、などというのを幾つか覚えてあるが、飛行機がエンジンをフルに唸らせて離陸する時に、僕は何時も、Otchild donarとでも言って子供が遊びそうな言葉を心の中で一瞬思う。周囲を見ると、座席の客達は、新聞や週刊誌を静かに読んでいたり、眠った振りをしたり、連れの人と話していたり、まさに普段と変わらないが、それは表向きで、心の中では矢張り一瞬でも、落ちるとどうなるを考えているのではないかと思う。
離陸時と、巡航時と、そして着陸時のアクシデント。この三つのうちどれが最も起き易いのか、どれが最も危険なのか僕は知らないが、離陸と着陸の際が、素人のこちらとしては、一瞬の落ちるとどうなるを想像する時なのである。
落ちるとどうなるか。余程うまく行った時の外は、飛行機の場合は、落ちれば死が待っている。従って、飛行機に乗る度に一瞬でも死を思う訳で、この事を僕は良い事だと思っている。エンジンが唸り、滑走の速度が上がり、機首が上を向く時、ここで失速して墜落すれば死だと思う。死ぬ事自体は何れ死ぬのだから別に構わないとしても、然し、遣り残した仕事は無いか、未だ果たしていない人との約束は無いか、自分が死ぬ事に依って迷惑を掛ける人はいないか、払い終えていない借金はないか、それらの事を僕は一応考える。人間の常として、そうして考えると、書きかけの楽譜や、果たしていない約束や、返済途上の銀行からの借金や、さまざまな気になる事柄が脳裡に浮かんでは消える。そうだ、あの曲は早く書き上げよう、あの事は早く果たそう、あの事もせねばならない、怠けていてはいけない。僕はそう思う。そして、あの事はこういう風にして果たそう、あの曲はこういう風に先を進めよう、などと稍[やや]具体的に考え始める頃は、飛行機はもう上昇から水平巡航に入っているのが常である。その儘その考え事を続けて行く場合もあるし、新聞か持って行った本を読み、又再び着陸の時に元の考えに戻るのが僕の飛行機上での頭の使い方である。
人間誰しも今日不意に自分が死ぬとは思っていない。そう思わぬものだから、つい、色々な事が明日廻わしに延引して、うっかりしていると身の廻わりは延引した事柄で取り巻かれてしまう。そこで、そうならぬために、飛行機に乗る度に不意の死を思う習慣を付け、物事の延引を防ぐよすがにするように僕は何時の間にかなって来たのである。
だから、僕は飛行機に乗るのが好きである。わけても離陸と着陸を体感するのが好きである。
明日は、朝の飛行機で大阪に行き、夜の飛行機で蜻蛉返りをする。羽田と伊丹で二回宛延引防止の考えを新にすることを僕は良い事だと思い、良い事だから楽しみにしている。