(巻二十一)三枚におろされている薄暑かな(橋かん石)

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4月16日月曜日

雨上がりの清々しい朝でございます。洗濯物を物干し竿をにかけ、マットレスの下敷きを手すりにかけて干した。
そのあと、郵便局と生協へお使いに出掛けた。

甘藍に蝶の来ている八百屋かな(西やすのり)

春めいて野菜売り場にふえてゆくつぼみのものとつぼみもつもの(阿部芳夫)

野菜も今が一番美しいようだなあ。

昼夜と差し向かいで食事でございます。
飯の用意をして、食べて、鍋釜食器箸を洗って、ゴミ棄てて。

露の世の洗ひ続けて箸茶碗(橋本喜美枝)

営みと云えばそうなのでしょうが営みのためだけに生きていくのも面倒ですねえ。
面倒と云えば、明日排水管系統の洗浄があるという。洗濯機の排水系、風呂に台所と三ヶ所洗浄して頂けるのでありますが、そのような場所は色々と物が置いてあり、作業しやすいようにそれらを空き部屋となったの部屋に一時置くことにした。



「いろいろの死 - 尾崎一雄岩波文庫 日本近代随筆選1 から

を読み終わりました。

『 何はともあれ、生きていると云うことは有難い。生きていていろいろのことをし、いろいろのものを見られると云うことは、かけがえのないことだ。「つまらぬことでも撫で廻していると面白い」と或る小説に書いたら、最近の「朝日」で本多顕彰氏から叱られたが、僕にとっては本当は何でも面白いので、つまらぬと云うのは、いわゆるつまらぬと云う意味だ。だから僕は決して退屈しない。只寝そべっていても一向退屈しない。見なれたことでも仕なれたことでも、そのときどきに新鮮な味を示す。社会的関心がないわけではない。小説にも表わしてある筈だが、大いに積極的とは云えないから目立たぬのだろう - 話が外れそうだから止める。兎に角この三、四年来、生きていることの有難さを痛感しつづけている。』

と纏められてしまうと何のために読んだのやらではございますなあ。