(巻二十三)投函の後の迷ひや山笑ふ(鳥羽青珠)

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8月26日月曜日

お休み四日目となりまして、まあいいご身分でございます。 自裁の覚悟を除き、一般的に出来る限りの準備はしたつもりです。 先のことを考えても自分ではどうにもなりませんから、刹那で生きて行くしかありません。金の値動きが不気味ですが、“杞憂”で脳梗塞じゃ目も当てられませんから。

今朝は預けっぱなしにしてあった毛布を引き取りに洗濯屋さんに出掛けました。梅雨明けに持って行ったのでしたから、一ヶ月近く預けたままでした。おばちゃんから一言ご注意があるかと思っていましたが、馴染みの扱いになったようで“いいんですよ。”で放免されました。クリーニング・チェーン店では一ヶ月以上引き取らないと罰金があるところもあります。
洗濯屋までの途中、いつものように自販機で灰皿用に缶珈琲を買いベンチで一服し、木々を眺め空を眺めてみた。
この季節あまり花はないが、この花を見かけて一撮いたした。百日紅かと思って近寄ったがそうではないようだ。樹種の立札がないので何だか分かりませんが、鮮やかなピンクでございました。

昼飯は夏おでんというものでいただきました。簡単に云えば冷たくなったおでんですが美味しくいただきました。
成人女性が色々な話題を繰り出して来ますので二人の食卓ですが、賑やかでございます。
手も癒えましたので食後の鍋、食器など洗わさせて頂いております。

露の世の洗ひ続けて箸茶碗(橋本喜美枝)

本

「富士見坂 - 横関英一」中公文庫 江戸の坂東京の坂 から

を読みました。

“ ただ今日でも昔に変わらず富士のよく見える坂がある。それは日暮里の諏訪神社入口のところの浄光寺門前から法光寺わき(日暮里三丁目九番十六号)を西へ下る坂の頂上からは、真西ではないが、少し南のほうにそれて空高く大きな富士を見ることができる。この坂は花見坂と言い、富士見坂という別名もある。しかし富士山の右、たぶん千駄木辺に、大きなビルが建っていて、やがて、これに並んで左のほうにもビルが建つようなことになれば、この数少ない富士見坂も、またまた名ばかりの富士見坂になってしまうであろう。
もう一つ、港区南麻布四丁目(旧富士見町)の富士見坂(青木坂とも)の北に並んでいる新富士見坂の上からは、まだよく富士が見える。坂の曲り角に富士見町町会で立てた「新富士見坂」の碑があって、昭和四年十一月と記してある。これはもちろん新坂である。
これで富士の見える富士見坂は、現在東京にはこれら二つの富士見坂があるだけとなった。 ”

とのことでありますが、この本は昭和四十四年ころに書かれたようです。

坂多き街に一日を吹きて来てすでに湿りを奪われし風(岸上大作)