2/2「いろいろの死 - 尾崎一雄」岩波文庫 日本近代随筆選1 から

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2/2「いろいろの死 - 尾崎一雄岩波文庫 日本近代随筆選1 から

病気が治って上京し、また早稲田辺で下宿生活を始めて間もなく、隣室で知らぬ人の急死を見送ったことがある。隣室の主は、大阪の方の若い学生だったが、その学生を訪ねて一夜泊った同郷の男が、夜中の二時頃突然発病したのである。私は誰かと酒を呑んで遅く帰り、鼻唄をうたっていたのであるが、隣室のうなり声がいつまでも止まず、だんだんと激しくなるので、出かけて行った。すると三十年配の大きな男が身を揉んで苦しんでい、側に部屋の主が途方にくれた顔で坐っていた。私は主と相談して直ぐ医者を呼びに行った。駆けつけた医者は、病人を見ると首をひねって、もう一人医者を呼んでくれと云った。それで私達は事態の急なことを知ったわけである。二人の医者は私の部屋で顔をつき合わして相談してしていたが、つまりこの病人はもういけないと云うことであった。私は同宿の自分の友人をたたき起し、男の実家へ電報を打ったり、車屋へ行って病人用の俥を頼んだりした。暁方の五時頃病人は死んだ。脚気衝心[かつけしょうしん]と云うことで、苦しみ出してからまる三時間だった。全身に紫の斑点が現れ、小便を流していた。柔道初段とか二段とか云う二十貫近い大男で、死体を運び出すのに大骨を折った。その男は、大阪人で妻子持ち、何か用で上京中、脚気がよくないようなので帰阪するつもりで、名残りに前日三田稲門野球戦を見たと云う。呼吸のきれるときのことは、やはりどんなだったか記憶にない。
大正十二年八月下旬丁度関東震災の一週間前に、郷里の下曽我の家に遊びに来ていた母の父が急に亡くなった。祖父は下手の横好きという方の碁打ちで、いい相手の私をつかまえてはよく閑を消していた。三島中洲の弟子で漢詩などもつくり、書も書いた。静岡県三島の大社の宮司をやめてからは、先ず楽隠居と云った身分だった。
- 或夜九時頃、私と碁を打っていた祖父が、手番なのに妙にぐずぐずしているのでふと気づくと、碁石を額にあてたり、こめかみにあてたりしている。石をとりかえてはそんなことをしている。どうなさいましたと云うと、いや、少し頭痛がするので、石で冷しているのだと云う。よく見ると顔など少し赤味がかって、上気しているあんばいだ。私は一寸心配になって、碁は止めましょうと云った。なに、大したことはあるまい、などと云っているうちに、言葉が怪しくなってきた。舌がもつれている。ロレツが廻らぬと云う様子なのだ。私は慌てて母を呼んだ。顔を出した母に床を敷くように頼み、弟を呼びつけて直ぐに医者に走らせた。
翌朝五時頃、祖父は七十一で死んだ。脳溢血である。近所に元政友会の代議士で祖父と同年の人があり、よく行き来していたが、その人は祖父の枕元で泣いていた。わしの話の判る人はあんただけだが、などと随分悲しんでいた。その人は、ラツ腕で有名な代議士だっただけに、そんな様子を見ることは変な気がした。
それから一週間して大地震があり、私どもの地方ではどの家も倒れ、うちでは母と私が負傷したが、老代議士はその老妻とともに圧死した。祖父が若し地震のときまで生きていたら、祖父は勿論、祖父に引きずられて母か私かが圧死していただろう。
以後十五年間と云うものは、人間の死の床に侍したことがない。無い方が我人ともに幸いである。
人間の死などて云うものは、私の見聞きして来たところでは、一寸したことで左右されるものらしい。例を判りやすく震災などにとっても、あのとき母にしろ私にしろ、家の東側の方へ逃げだしていたらつぶされていたことになる。下曽我辺の家々は、地震の波の工合[ぐあい]で、みな東側へ倒れた。だから東へ逃げたら、屋根やのきに追いかけられて助からなかったわけだ。また、妹は、休み中の女学校へ、先生の了解を得て一人ミシンを習いに行っていたのだが、地震と思うと直ぐミシン台の下へかくれた。少し鎮まったので、荷物をまとめ、階段を降りようと這ってゆくと、直ぐ鼻の先に校庭が来ている。つまりどかんと来た拍子に二階がそのまま階下になってしまったわけだ。そのとき若し急いで階段でめ降りにかかっていたら、手もなくやられていたのである。
何はともあれ、生きていると云うことは有難い。生きていていろいろのことをし、いろいろのものを見られると云うことは、かけがえのないことだ。「つまらぬことでも撫で廻していると面白い」と或る小説に書いたら、最近の「朝日」で本多顕彰氏から叱られたが、僕にとっては本当は何でも面白いので、つまらぬと云うのは、いわゆるつまらぬと云う意味だ。だから僕は決して退屈しない。只寝そべっていても一向退屈しない。見なれたことでも仕なれたことでも、そのときどきに新鮮な味を示す。社会的関心がないわけではない。小説にも表わしてある筈だが、大いに積極的とは云えないから目立たぬのだろう - 話が外れそうだから止める。兎に角この三、四年来、生きていることの有難さを痛感しつづけている。