(巻二十二)寝られねばまた肩つつむ蒲団かな(長谷川春平)
4月22日月曜日
季節が変われば洗濯屋であります。冬物のコート類を二人分四着、セーター三着、それにあたしのお帽子で八千円近くになりました。
クリーニング屋さんまでの道すがら上を見ても下を見ても草花や新緑が美しゅうございますよ。
葉桜となりてをさまる並木かな(大坪景章)
定年はやがてくるもの花みづき(日下部宵三)
たんぽぽもけふ白頭の暮の春(召波)
公団から家賃の通知が来ました。五年間変更なしの契約なので家賃は据え置きですが、管理費が月六百円の負担増でございます。
花はいっぱいありますし、ゴミはきれいに片付けてありますし、よく管理されていますので文句はございませんよ。
家賃にしろ、管理費にしろあまり安くなるとそれなりの住民になってよろしくないですからね。
借家住まいをしながら、家も墓も金融資産も何にも遺さず、帳尻がぴったり合って逝くのが理想でしょうが、そこはやはり心配性ですからねえ。
この世には何も残さず障子貼る(須賀ゆかり)
「磯田光一納骨式挨拶 - 阿川弘之」文春文庫 89年版ベスト・エッセイ集 から
読み終わって、と言うか読んでいる最中からちょっとズッコケましたな。
本領は別のところで発揮されていて、このような雑文はどうでもいいか!とのお考えなのかもしれませんが油断すると後世に残っちゃいますぜ。旦那。
ズッコケの一つ目。
『 となると、結局国内どこかに自分の墓を持たねばなりません。それが、今申し上げました通り、広島の両親の墓へは入る気がしない。むしろ親たちの分骨だけでも、もつと静かなところで将来孫子と一緒にしてやりたいやうに思ふ。』