1/4「戦後欲望外史-高度成長を支えた私民たち - 上野千鶴子」ちくま学芸文庫 増補〈私〉探しゲーム 欲望私民社会論 から

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1/4「戦後欲望外史-高度成長を支えた私民たち - 上野千鶴子ちくま学芸文庫 増補〈私〉探しゲーム 欲望私民社会論 から

戦後の社会状況と、その中で人々を動かした価値観をさして「欲望自然主義」という名文句を作ったのは見田宗介氏である。戦後の人々の欲望の構造を明らかにするために、見田氏は、身の上相談という素材を用いて、今では古典となった輝かしい業績をうちたてたが、欲望という無形のものに分け入るために、わたしはモノ=商品をインデックスにしようと思う。ボードリヤールのように早とちりに、消費は記号の消費だと言ってしまう前に、モノがくらしの中で持っていた象徴的ないみを考えることで、高度成長期を支えた人々の意識のありかにアプローチしたい。そのために選んだモノ=商品は、順に、ベッド、DK LDK TV マイカー、マイトームmy tomb(墓)である。

ベッド - 「性」の自己主張

寝室の洋風化は、わたしたちのウサギ小屋ぐらしの中では、まだそれほど普及しているわけではない。しかし、ベッドの販売台数は、一九六〇年代後半からのび始めている。ベッドは、ふとんと違って、起きたからといってかたづけるわけにはいかない。ベッドは、かさだかな空間を占めて、「ねる」という意味を自己主張する。その上、Fベッド社のベッド・キャンペーン(月賦販売という、当時現われたばかりの販売方式と結びついた点でも、新しかった)では、ネグリジェ姿の若い女がベッドにセクシーに横たわって、ベッドが性交用特設マットでもあることを指示していた。ベッドの一つのタイプが「ハリウッド・スタイル」と命名されたことも暗示的である。ハリウッドは、一九五〇年代の日本人が、銀幕のかなたで紅毛の美男美女がラブシーンを演じるのを見て、あこがれで胸をかきむしった、かの聖地 - 聖なる酒池肉林 - の名だったのである。
べっは、セックスを表示するシンボルとして、日本人の居住空間の中に厚かましい図体をさらした。思えば日本人のくらしの中で、性がこんなふうに自己主張したことが、かつてあっただろうか?子どもを産んだとたん、そそくさとトーサン・カーサンになり、子どもたちに、ワタシが生まれたからには、この人たちも、ムカシはしたこともあるんだろうな、とうすぼんやり想像させるのがせいぜいの、日本の家庭生活の中に?
一九六〇年代の終わり、喫茶店の背後の座席で聞いたカップルの会話を、わたしは忘れることができない。二人は若い夫婦で、男は小さな運送店で働き、女は喫茶店のウエイトレスをしていた。女は男に「今度のボーナスが入ったら、ダブルベッドを買おうね」と相談していたのだ。二人は、六畳一間の貸文化(!) - 木賃下駄ばきアパートを文化住宅という、関西文化の知恵 - に住んでいた。六畳一間にダブルベッド、というグロテスク。性がのさばっている。しかし、かつて日の目を見なかった欲望が、姑との同居という永続的な母子関係の再生産構造の中では、最小限に抑圧された欲望が、戦後の核家族の中で、はじめて市民権をえたのだ。
この欲望が、女のがわの欲望だった、ということは、注意されてよい。男は、昔から、くらしの外で性欲を野放図に解放する場所と特権を持っていた。性がくらしの中に出現したこと、それは、性の解放を求めてくらしの外へ出撃していけない女が、男をくらしの中に引きずりこむ形で実現したこと、それには自然的欲望の肯定という戦後の時代的風潮[エートス]が背後にあること、そして人々の、とくに女のその種の私民的欲望を抑圧するような、どんな公的目標もわたしたちの社会が欠いていたこと - ベッドの増加は、そうしたことの一切を示している。事実、Fベッドの販路拡張は、店頭販売よりは家庭訪問セールスに、つまり奥さん相手に頼っていた。ちなみに、先のカップルの間では、ダブルベッドを買おうという女の提案に、男はてれながら気弱にうなずいたのだった。