「あとがき - 本多勝一」朝日文庫 日本語の作文技術 から

 
 
 
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「あとがき - 本多勝一朝日文庫 日本語の作文技術 から
 
 

東京・新宿の「朝日カルチャーセンター」という市民講座で、一種の文章講座を担当する機会がありました。一九七四年の秋、一週一回二時間ずつの二ヶ月間。聴講生たちの職業は学校教師やジャーナリスト・商店主・主婦・学生など、また年齢的にも二〇歳前後から六〇歳くらいまで非常に広範囲のかたがたでした。全部で八回だけの講座だし、日本語を書く職業のいわば現場にいる者の一人として、文章には一応の関心も持っているのだからと、かんたんに考えて私は始めたものです。想えば、講義に類することは私にとってこれが生まれて初めてでした。
ところが第一回の講義が半分もすすまぬうちに、これは大変なことを始めてしまったと思いました。初めての講義ですから、不慣れで、不細工で、不 手際なことはいうまでもありません。それは覚悟をしていたことです。大変だと思ったのは、第一に聴講生たちの熱心さに圧倒されたからであり、第二に、その熱意に応ずるだけの密度の高い講義を八回も続けることができるだろうかという不安を感じたからでした。講義の途中からほとんど冷や汗の出る思いでしたが、まさか投げだすわけにもゆきません。耳の不自由な聴講生も一人いて、奉仕者(ボランティア)がそばで手話の通訳をしている姿を見ると一層あせってしまいます。
こうして第一回の講義は、なんとかゴマ化すようにして終わりました。実は講義の準備など、前日に一時間くらいさいてメモをとっておけばいい、日ごろ文章について抱いている雑感を話せばいいくらいに考えていたのです。ところが実際にやってみたら、メモにしておいたことは予定より半分以下の短い時間で話してしまった。これではあと三回くらいでもう話すことがなくなってしまうではありませんか。
そこで第二回からはメモをやめて、二時間の内容をすべて完全なかたちで原稿に書くことにしました。実行してみると、私自身これはたいへん勉強になります。たとえば作文上のある原則を講義するにしても、メモだけであればその原則を示すだけで終わるところですが、こうして原稿のかたちに完成しようとすると、その原則がなぜ有効かという背景の分析にまでたちいらざるんえないからです。だから「大変だ」とは思ったものの、べつに後悔はしませんでした。むしろ感謝した。そのかわり準備には「一時間くらい」どころか一回分に二日も三日もかかりました。新聞記者としての現場の仕事がその影響をうけて、いくらか手ぬき工事になったかもしれません。
そのようにしてなんとか八回の講義は終わったけれども、どうも不安は消えません。私の講義は間違っていなかっただろうか。なにかとんでもない誤りを犯してはいないなろうか。どうせ日本語学や言語学の専門家ではないのだから、専門家の間では常識にすぎないことを私がもったいぶって話したとしても問題にするほどのことではありますまい。また枝葉末節の部分で誤ることは、どんな天才や偉人でも免れないのだから、しろうとの私が誤っても当然でこそあれ恥じる必要は毛頭ない。しかし日本語の根幹にかかわるような原則について、全くカンちがいをしていたり、正反対の解釈をしていたりの心配はないだろうか。これは私個人の問題にとどまらず、多くの聴講者に対する責任でもあります。できれば言葉の問題に関心を持つ多くの人々の批判を仰ぎたいと思っていました。
さいわいその機会にまもなく恵まれ、このようにして一応つとめた講義の草稿にいくぶん手を加えた上、月刊誌『言語』(大修館書店)に一九七五年六月号から翌年五月号まで一年間連載することができました。そして「言葉の問題に関心を持つ」人々を主な読者とするこの雑誌で、専門家・素人をとわず多くの人々に目を通していただき、事実何人かの方々から貴重な示唆をうけた末、修正・加筆してまとめたのが単行本『日本語の作文技術』(朝日新聞社・一九七六年)です。
けれども、原子物理学や分子生 物学・自動車工学・シンセサイザーなどとちがって、この分野の研究は意外に未開拓でした。日本語の狭義の文法の研究については、従来の盛況に加えて言語学の大発展にも触発され、植民地的発想であれ独自の発想であれ盛んですし、また「文章読本」に類する心得帖についても多くの文章家が書いているのですが、テンの打ち方や語順のような、義務教育段階からして原則を知る必要のある問題については「適当に」ですまされてきたのです。(「研究」はあっても、多くは事実調査以上は踏みこんでいませんでした。)そのように日本語の書き方を「適当に」放置されている日本人中学生が、イギリス語の「テン(コンマ)の打ち方」の原則を厳格に教えられているなどという植民地的風景に、私はがまんがならなかったのであります。
しかし、菲才浅学蛮勇(ひさいせんがくばんゆう)によるこの仕事は、むろんひとつの試行錯誤の過程であり、一種の作業仮説にすぎませんから、完成にはまだ程遠く、単行本を出した直後にはすでに修正したい部分が現れました。本文中にふれた何人かの碩学(せきがく)や読者による示唆のほか、自分でも再検討した結果ですが、その修正・発展はとくに読点(テン)の統辞論に著しく、ほかに語順についても重要な項目が加わりました。そこで横浜の「朝日カルチャーセンター」が開設された一九七九年の四月、そうした新展開を含めた語順とテンの二章を、四回にわたって集中的に講義したわけです。
こんど文庫版となるに際しましては、旧版『日本語の作文技術』の右の二章に、このとき の成果を最少限の量ながら追加しました。したがってこれは単行本をそのまま文庫にしたのではなく、一部修正した改訂版となっています。当然ながら、旧版をそのまま並行して今後重版するわけにはいきませんから、単行本は当分休版()することになりました。こうして改訂版てしての文庫版を出しますものの、いぜいとして「完成品」には道遠いものがあります。しかし日本語という私たちの民族文化をより良いものにみがきあげてゆく上で、これは小さいなりに意味のある作業のひとつだとは思っています。さらに多くの人々の批判・教示を得て、近い将来により進んだ改訂版を出せるようにしたいものです。本書をとくに「日本語の」作文技術とした理由は、諸言語の中の日本語という意味を表したからであって、内容がそのまま反映した結果といえましょう。「国語」という表現には問題点が多いようです。
ひとつ陳謝しておかなければならないことがあります。この本ではさまざまな例文が実際の単行本・新聞・雑誌などから実例として拾われていますが、良い例としての場合はともかく、悪い例の場合は筆者個人の名は挙げておりません。しかし私が創作したものではないことを示すために、出所は明らかにしてあります。その結果、少々困ったことが起きました。私は専門の言語学者や文法家ではないのですから、わざわざ悪文をさがすために本を買いはしないし、そんなヒマもありません。ということは、その本なり雑誌なりを読みたくて求めたのですから、何らかの意味でそれらは私のために役立ってくれたのだし、著者にしても尊敬すべき人である場合が多いわけです。そうした本や雑誌の文章を読んでいながら、ついでの作業として、あくまで余分なこととして、気付いたときに悪文を拾っておいたのが、ここで俎上(そじよう)に置かれたさまざまな例文であります。これではまるで、尊敬すべき筆者に対して私が恩をアダで返したようなことになってしまうではありませんか。しかし、それをやりたくないからといって、あらためて悪い例をさがし求めて本をあさる余裕はとうていありません。仕方なく。すべてそれらを利用させてもらいました。申訳ありません。実際、知人・友人どころか親友の文章さえ悪い例として出してあるのですから。私自身の悪文も分析してあります。それに、文章論・作文論の類を書いている人々にせよ、いわゆる「文豪」たちにせよ、全くスキのない完璧な文章ばかり当人が常に書いた例などかつてあったためしがないようですから、この種の問題では自分のこともタナに上げない方が宜しいようです。したがって、そうした悪文の例は決して内容も悪いというわけではありません。むしろ反対のことが多いと考えてください。内容とは無関係。単に技術上の話だけです。新聞から拾った悪文にしても、圧倒的に多いのは『朝日新聞』ですが、これはなにも一般紙の中で朝日が最も文章が悪いということでは毛頭ありません。私はいわゆる三大紙としてはふつう朝日を主に読むので
(
のちに『東京新聞』の方がより多く読むようになったが)、その結果として実例も朝日から拾ったものが多くなったというだけの単なる物理的因果関係であります。

こうして一応まとめてみますと、どうして も不完全さが気になって、あのことも書くべきだった、このことにも触れるべきだったという思いが次々と出てきます。何かを公刊するというときに常に避けられぬことなのでしょう。また助詞の問題については、本書をまとめているうちにもその重要性をますます痛感しましたので、いずれ改めて独立的に調べたいと思っています。
このつたない講義録が動機または一助となって、一人でも多く「現場」から書き手が現れてくれるなら、こんな嬉しいことはありません。
一九八一年一一月二二日