1/3「これが海だ - 北杜夫」中公文庫 どくとるマンボウ航海記 から

 
 
 
イメージ 1
 
 
 
1/3「これが海だ - 北杜夫」中公文庫 どくとるマンボウ航海記 から
 
今度こそ日本は本当に遠ざかって行った。しかし、やはり感慨など起す閑はない。私は自分の荷物をようやく片づけ終り、隣りの医務室の点検をはじめた。タイルの床には船が持ってゆくミヤゲ物の箱や薬品の箱が積みあげられ、大げさに言えば足の踏場もない。まだ何がどこにあるかも皆目わからない。医務室には一坪足らずの小部屋がついており、薬戸棚とベッドが一つあるが、そこもいろんな箱で一杯で、その間にこの船がハワイに行ったときのヤシの実がひとつ、もう茶色に乾からびてころがしてある。
大きな汽船はいざ知らず、航海中の船は相当に騒々しいものだ。殊に医務室は場所がわるく、エンジンとスクリューの響きがじかに伝わってきて、手術台はぶるぶる震え、ドアはひっきりなしにカタカタ鳴っている。小部屋のベッドは病人用のものだが、振動と噪音のため、こんな所に寝たら陸の病人ならたちまち悪化してしまいそうだ。私は戸棚の引出しを点検し、箱につまった予想外に多い薬品を調べ、注射器やガーゼを消毒し終ってはじめて落着きを取り戻した。私のことをすべてデタラメな男と思う者があったら豚に食われるであろう。そうしているうちにも早くも幾人かが薬を貰いにきたが、船医なんてもうメチャクチャに閑であると聞かされていた私にはちょっと意外であった。聞けば長い航海に出る前にはこれが最後と夜ふかししたり酒を飲んだりする者がいるので、腹くだしとか風邪ひきとか、出港の日には必ず病人が多いとのこと。
すでに夜になっていて、デッキに出てみると周囲は真暗である。船全体が意外に暗い。明るくしておくと視界が利かないため灯火はみな遮蔽してしまうからである。黒い海上を黒い船がゆったりと上下しながらなかなか堂々と進んでいる。船首にかきわけられた波が白く泡立ち、湿っぽい風が耳元をすぎる。やがて、右手の水平線上にほそい三日月がかかり、ひとすじの銀光を黒い海面に流した。そうしつ潮風の匂いをかぎ、船体がゆっくりと傾き、のしあがり、沈むのを感じていると、はじめて或る種の感動が私の胸にあがってきた。
翌日、次第にうねりが大きくなってきた。日本の方角は雲がたむろし、島があるようでないようで判然としない。前甲板は完全に波に洗われている。船首に波がぶつかってくだけちると、それが無数のしぶきとなって船上を横ぎる。波は遠くの方は泥か粘土の造り物のように見え、近づくにつれて生きてのたくって躍っている。日が雲に隠れ、また現われ、それにつれて海面は刻々に変化する。その変化は千様であり、山のそれよりももっと素早く、また荒々しくとりとめなく、一定の規範を有しない。私はしぶきのこない船尾の甲板に出て、潮騒と風の唸りを聞き、溶岩のうねりのように湧き立つ波頭を長いこと見つめた。それは原始の溶鉱炉、最初の生命がこの地球上に生じてきた場所にいかにもふさわしく、重々しく鉛色に湧きかえっている。金具や索具に塩の結晶がこびりついており、指が塩っぽく、特有のねっとりした感じになる。船室に戻ると、潮の香が身体全体に沁みついているのがはっきりとわかる。
私は今や広漠とした海の気をあびて大いに嬉しくなり、たちまちにして一つの詩のごときものをひねりだした。

これは海だ
海というものだ
ああ その水は
塩分に満ちている

さすがに私はこの出来栄えには感服しなかったので、今度はもっと本物の詩を、悽愴[せいそう]なまでに美しいブレーズ・サンドラルスの詩の一節を口の中で呟いてみた。

血だらけのけものの体を
夕方
海辺づたいにひいてゆくのは このおれだ
おれが行くとき
波間から無数のタコが立ちあがる
夕日だ......

(なだいなだ訳)

サンドラルスは我国ではあまり知られていないが、これこそアタオコロイノナの申し子みたいな男で、放浪にあけくれた彼の生涯自体が、すでにホメロス的な巨大な作品なのである。彼が旅した無数の土地、彼が経験したすべての商売を書きならべただけで、それこそ何ページも費やさねばならないので、ここではそんな真似はできないが、一八八七年パリに生れた彼が最初にエジプトにいた父のところに旅したのは生後五日目のことだ。ニキビのできる年頃になると変なマダムに花束を捧げたりなんぞばかりしているので、父にアパートの七階の部屋に幽閉されてしまったが、軽業師そこのけにバルコニー伝いに脱出してしまい、汽車に乗り込むと車中で会った変てこな行商人の相棒になり、ロシア、アルメニア、中国などを行商して歩いた。それ以来彼はもう家族の顔を見ないし定まった居住地をもったことがない。たとえばフランスで養蜂をやっているときにも二十八回転居をした。ロンドンのミュージックホールで手品をやっていたとき、同じ舞台でアルバイトにピエロ役をやっている医学生がおり、楽屋でショウペンハウエルなぞを読みふけっていたが、その名はチャーリー・チャップリンと言った。カナダではトラクターの運転手をやり、米国に渡るポーランド移民船で何回も大西洋を往復し、ニューヨークではルンペンをしながら図書館に通った。彼は以前作った自分の詩がアポリネールによって剽窃されたりしてもてんで意に介しはしなかった。第一次世界大戦が始まると従軍し、兵士たちがどんな具合にオシッコするかとか、イビキと砲弾の関係とか、そんなことばかり観察していた。そのとき右手を失ってしまったが、ますます転々と職業を変え、ジプシーの群に投じたりアマゾンをさかのぼったり、もうあとは書くのも大儀である。
彼はこうした放浪の合間に発作的な勢いで作品を書いているのだが、六十歳を迎えると、おれは自分が作家としての才能があることに気づいたと宣言し、なだ君によれば、最近も彼はとんでもないエネルギーで続々と新作を発表している由だ。いかにも彼らしいのは、どの本を見てもその著作目録の末尾には次の一行がつけ加えられていることである。「あと三十三冊準備中」