「旅 - 吉田健一」中公文庫 汽車旅の酒 から

 
 
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「旅 - 吉田健一」中公文庫 汽車旅の酒 から

三ヶ月毎に、或は大体その位の所で五、六日ずつ、或は一週間位、旅行が出来たらどんなにいいだろうと思う。勿論、日常生活というものがあって旅行も楽める訳であるが、その日々の生活が三ヶ月も続くと、毎朝起きては風呂場まで行って髭を剃り、というようなことが鼻に付き始めて、仕事が一つ終れば、又次のに取り掛かることになり、何よりこの仕事の繰り返しがやり切れなくなって来る。若いうちは別でも、そのうちにそういう仕事の十や二十、或は二百や三百をすませた頃になると、人間は何も仕事をする為に生れて来たのではないという実感が漸く増して、それでも仕事をしないでも暮せる身分になれるまでにはまだ遠いから、要するに、生きている心地もなく仕事を続けることになり、併[しか]しそれが決して自分の本当の姿というものではないということをはっきり思わせて一日でも、一週間でも我々を兎に角、その間だけ解放してくれるのが旅行である。
汽車がごとごと揺れて走っている時、原稿など書けたものではなくて、それよりも、仕事を持って旅行に出掛けるのでは、旅行をする意味がない。それで、汽車はただごとごとと走り、東京駅を八時半頃出た夜汽車が小田原に着いた時、駅でまだ生ビールを紙のコップに入れたのを売っていたのは見付けものだった。汽車に乗っている時は、こういう大したことはない飲みものや食べものを駅で買うのが楽みなもので、用事で横須賀線で鎌倉まで行くのでも、つい横浜でシュウマイを買わずにはいられない。併しそんなものではなくて、生ビールがあるのだから、こっちも、連れの人も、二杯ずつ買った。それがなくなった後は、まだ飲み残しの壜詰のビールとウィスキーがある。寝台が上と下と二つで一部屋になっている構造の寝台車の一室で、下の寝台に並んで腰掛けて、壜類は床に置けば、そう窮屈な思いをしないで飲める。難は、前が壁で、そのうちに何となく監獄にぶち込まれている感じがしてくることであるが、何故なのか、東京から金沢までの夜行には食堂車がないのだから仕方がない。序[つい]でながら、上野から新潟や金沢まで行くどの昼間の急行にも食堂車がないのは何故だろう。ゆっくり飲んだり、食べたり出来ない旅行は意味がない。
併しそのうちに眠くなって、朝起きるともう間もなく金沢である。駅に金沢の友達が宿屋の御主人を連れて立っている。旅行はこれも若いうちはどうか知らないが、新しい所よりもなるべくならば何度も行って、いつ出掛けても楽しめることが解っている場所の方がいいのは、こうして行く先の駅でもう友達が出ていてくれたりして、道を聞いたり、宿屋の玄関で、東京から来た野次郎と喜多林ですがなどと説明したりしないですむからである。何ということはなしに、野田寺町の鍔甚に着いて、着いたらばお風呂に入ろうと思っていたのが、お座敷に落ち着いてビールだの、お銚子だの、河豚の粕漬けだのが並んだのを眺めているうちに、折角、たてておいてくれたお風呂ももう入らなくてもいい気がして来た。金沢の浅野川でも、犀川でも、どっちかの川を見降す座敷で飲んでいれば、体は心に従って綺麗になって、ただもうそれだけで筋肉が弛む。或は、引き締るのか。兎に角、いい気持である。
いつか一度、そうして汽車で着いて半日でも、一日でも、着いた時のままで飲み続けたいと思うのだが、それにしては金沢では、行きたい所が多すぎる。その日は昼の食事に大友楼の大友さんのところへ行った。そこでどんな御馳走が出たかは別として、もうこうなれば完全に旅行をしている気分になり、原稿も締切りもあったものではない。御馳走を食べては、又どこかに行って御馳走を食べて、いつの間にか夜なのだから、- 旅行がしたい。