BBC:Smart Consumer

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Smart Consumer 
 
https://www.bbc.co.uk/programmes/p07nxkt9
 
Second-Hand Clothes

Smart Consumer with Simon Hoban on the boom in second-hand clothes 

0025:cast-offs
放棄したもの、脱ぎ捨てたもの、

0004:“Hello. Welcome to SmartConsumer. I am Simon Hogan. On this broadcast, we are talking about second hand clothes. We hear people’s best bargains.”

Gucci, xxxxx, and paid hundred pounds for that xxxxx. Honestly. you would pay thousands.”

“How to find them?”

“If you are living in a quite poor area, go to somewhere posher definitely because where there the people got money, donate their clothes.”

“And how you could end uq wearing the cast-offs of celebrates?”

“xxxxx, xxxxx, xxxxx, lots of big names in the fashion world donating things to the xxxx. There are definitely lot more designer wear there.”

なかなか聞き取れませんが、古着チャリティーでの手柄話で始まってますが本題はファースト・ファッションと環境問題です。Oxfamも出てきます。

聞き取るのが難しいのですが、ボチボチやってみます。

「価値について - 岸田秀」中公文庫 続ものぐさ精神分析 から

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「価値について - 岸田秀」中公文庫 続ものぐさ精神分析 から

わたしは本書で書いているようなことを大学の講義でもしゃべっているのだが、受講している学生たちからときどき、「そのような考え方をしていてむなしくないのか」と質問されることがある。わたしの考え方によれば、人類の歴史は幻想をもってはじまり、社会は幻想で成り立っており、恋愛も幻想なら、異性の性的魅力も幻想、親子の愛情も幻想、何でもかんでもみんな幻想というわけで、わたしの講義を聞いていると、一部の学生は、世の中が何となくむかしくなってき、この先生は本気でそう思っているのだろうか、まるで人生にはそのために生きるに値する価値などどこにもないみたいではないかなどと疑問に思うらしい。
まったくその通り、わたしは本気でそう思っている。まさかふざけて、幻想だ、幻想だとわめいているわけではない。そして、そのために生きるに値する価値なんてどこにもないと思っている。そのように答えると、「それではなぜ生きているのか、なぜすぐ死なないのか」と重ねて質問してきた学生がいたが、わたしにはこの質問は意外であった。
こういう質問がでる前提として、人間が生きているのはそのために生きるに値する何らかの価値のためであって、そのような価値がないなら死んだほうがましだという考え方があると思われる。わたしは、このような考え方こそおかしいと思うのである。いや、ただおかしいだけでなく、きわめてはた迷惑な考え方だと思う。
そもそも人間がそのために生きるに値する価値なんてありっこない。そんなことは、ちょっと考えればわかることである。もしあるとすれば、誰が人類にそのような価値を与えたのか、どこからそれは降ってわいてきたのか。もし人類にそのような価値があるとすれば、猫にもそれはあるのか。虫にもそれはあるのか。もし人類にあって、猫や虫にないとすれば、どこにその違いの根拠があるのか。逆にもし、猫や虫にもあるとすれば、人類、猫、虫に共通な価値の根拠はどこにあるのか。もしあるとすれば、その根拠は何か。要するに、価値というものも、わたしに言わせれば、例によって例のごとくいつものことながら、人間の勝手な幻想に過ぎないのである。
しかし、そう言ったからとて問題は解決しないことはわかっている。問題は、人間はなぜ生きるための価値というものを欲しがるかということである。そういうものを欲しがることが、間違いのはじまりなのである。犬畜生は生きるための価値を求めず、ただ生きているだけだが、人間はただ生きているだけでは満足できず、おのれの存在の意味を問い、その価値を求める、したがって、人間は犬畜生より高等であると説く人がいるが、わたしに言わせれば、これこそ人間のたわけた思いあがりであって、人間が、犬畜生と違って、生きるための価値を求めるのは、その自然的生命を十全に生きておらず、したがって、生きることのむなしさを感じざるを得ず、そのむなしさから逃れようとして、そのような幻想にすがりつこうとしているのである。つまり、生きるための価値を求めるのは、むなしさに耐えられない人間の弱さゆえであり、卑怯なふるまいであって、人間が犬畜生より高等である理由になるどころか、逆に、劣等であることを証明するものである。
(ここまでにしておきます。)

(巻二十六)年金を木椅子の冷えにたしかめる(松尾火炎樹)

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(巻二十六)年金を木椅子の冷えにたしかめる(松尾火炎樹)

6月25日木曜日

医事:

月に一度の検診とお薬を頂きに駅前クリニックに伺う。

看護師も事務方も暇そうにしている。私の後に患者なし。

細君のところにセールスを掛けてきた歯科といい、このクリニックといい、患者が減っているのは確かなようだ。しかし、病院は飲み屋とは違い気が向いたから行くところではあるまい。痛みや不快、疲労や不自由さを感じていたから医者に行っていた筈だ。

それがこの流行り病の影響でいなくなったと云うのが解せない。この流行り病で虫歯も痛風も治ったのか?

先行き不安で我慢しているのか?

駅前散歩:

駅前の喫煙コーナーが再開されていた。

Suicaの残額が二千円を切ったので五千円チャージしておいた。特に出かける予定はないが、久しぶりに神保町あたりを歩いてみたいとは思う。

細君からラジカセとCDラジカセの下見指示があったので電気屋に寄った。ラジカセはまだ二機種あった。CDラジカセは五機種かな。いずれにしても消えてゆく運命だ。私が愛用しているICレコーダーはまだソニーパナソニックオリンパスの三社が作っているようだが、これもいずれはなくなるだろう。ICレコーダー本体も困るが、より切実なのはイヤホーンである。イヤホーンが店頭から消えてゆく。手持ちはあと三本だ。

虎造と寝るイヤホーン春の風邪(小沢昭一)

帰りは雨が降り始めたのでバスに乗った。

本日五千五百歩で、階段二回でした。

読書:

上田三四二氏の漱石修善寺の大患と世間との和解の文章を読み直した。漱石の随筆は何編かコチコチしてあるが、入院物が多い。やはり刺々しい作品よりは円やかな読み物の方が落ち着く。

肩に来て人懐かしや赤蜻蛉(漱石)

そこで和解前の 『入社の辞』を読み返したが、確かに世間に喧嘩を売っているようだ。

漱石紀行文集ー小品ー入社の辞 - 夏目漱石

 

大学を辞して朝日新聞に這入ったら逢う人が皆驚いた顔をして居る。中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある。大学をやめて新聞屋になる事が左程に不思議な現象とは思わなかった。余が新聞屋として成功するかせぬかは固(もと)より疑問である。成功せぬ事を予期して十余年の径路を一朝に転じたのを無謀だと云って驚くなら尤もである。かく申す本人すらその点に就ては驚いて居る。然しながら大学の様な栄誉ある位置をなげうって(漢字)、新聞屋になったから驚くと云うならば、やめて貰いたい。大学は名誉ある学者の巣を喰っている所かも知れない。尊敬に価する教授や博士が穴籠りをしている所かも知れない。成程そう考えて見ると結構な所である。赤門を潜り込んで、講座へ這い上がろうとすり候補者は ー 勘定して見ないから、幾人あるか分らないが、一々聞いて歩いたら余程ひまを潰す位に多いだろう。大学の結構な事は夫(それ)でも分る。余も至極御同意である。然し御同意と云うのは大学が結構な所であると云う事に御同意を表したのみで、新聞屋が不結構な職業であると云う事に賛成の意を表

したんだと早合点をしてはいけない。

新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ、教授や博士になりたがる必要はなかろう。月俸を上げてもらう必要はなかろう。勅任官になる必要はなかろう。新聞が商売である如く大学も商売である。新聞が下卑た商売であれば大学も下卑た商売である。只個人として営業しているのと、御上で御営業になるのとの差丈(だ)けである。

大学では四年間講義をした。特別の恩命を以て洋行を仰つけられた二年の倍を義務年限とするとこの四月で丁度年期はあける訳になる。年期はあけても食えなければ、いつ迄も噛り付き獅噛みつき、死んでも離れない積でもあった。所へ突然朝日新聞から入社せぬかと云う相談を受けた。担任の仕事はと聞くと只文芸に関する作物を適宜の量に適宜の時に供給すればよいとの事である。文芸上の述作を生命とする余にとって是程難有(ありがた)い事はない、是程心持ちのよい待遇はない、是程名誉な職業はない。成功するか、しないか抔(など)と考えて居られるものじゃない。博士や教授や勅任官抔の事を念頭にかけて、うんうん、きゅうきゅう云っていられるものじゃない。

大学で講義をするときに、いつも犬が吠えて不愉快であった。余の講義がまずかったのも半分はこの犬の為めである。学力が足らないからだ抔とは決して思わない。学生には御気の毒であるが、全く犬の所為(せい)だから、不平は其方(そっち)へ持って行って頂きたい。

大学で一番心持ちの善かったのは図書館の閲覧室で新着の雑誌抔を見る時であった。然し多忙で思う様に之を利用する事が出来なかったのは残念至極である。しかも余が閲覧室に這入ると隣室に居る館員が、無闇に大きな声で話をする、笑う、ふざける。清興を妨げる事は莫大であった。ある時余は坪井学長に書面を奉って、恐れながら御成敗を願った。学長は取り合われなかった。余の講義のまずかったのは半分は是が為めである。学生には御気の毒だが、図書館と学力がわるいのだから、不平があるなら其方へ持って行って貰いたい。余の学力が足らんのだと思われては甚だ迷惑である。

新聞の方では社へ出る必要はないと云う。毎日書斎で用事をすれば夫で済むのである。余の居宅の近所にも犬は大分居る、図書館員の様に騒ぐものも出て来るに相違ない。然しそれは朝日新聞とは何等の関係もない事だ。いくら不愉快でも、妨害になっても、新聞に対しては面白く仕事が出来る。雇人が雇主に対して面白く仕事が出来れは、是が真正の結構と云うものである。

大学では講師として年俸八百円を頂戴していた。子供が多くて、家賃が高くて八百円では到底暮せない。仕方がないから他にニ、三軒の学校をかけあるて、漸くその日を送って居た。いかな漱石もこう奔命につかれては神経衰弱になる。その上多少の述作はやらなければならない。酔興に述作をするからだと云うなら云わせて置くが、近来の漱石は何か書かないと生きている気がしないのである。夫丈ではない。教える為め、又は修養の為め書物も読まなければ世間へ対して面目がない。漱石は以上の事情によって神経衰弱に陥ったのである。

新聞社の方では教師としてかせぐ事を禁じられた。その代り米塩(べいえん)の資に窮せぬ位給料をくれる。食ってさえ行かれれば何を苦しんでザットのイットのを振り廻す必要があろう。やめるなと云ってもやめて仕舞う。休(や)めた翌日から急に脊中(せなか)が軽くなって、肺臓に未曾有の多量な空気が這入っつ来た。

学校をやめてから、京都に遊びに行った。その地で故旧と会して、野に山に寺に社に、いずれも教場よりは愉快であった。鶯は身を逆(さかし)まにして初音を張る。余は心を空にして四年来の塵を肺の奥から吐き出した。是も新聞屋になった御蔭である。

人生意気に感ずとか何とか云う。変り物の余を変り物に適する様な境遇に置いてくれた朝日新聞の為めに、変り物として出来得る限りを尽すは余の嬉しき義務である。

願い事-叶えてください。手短にお願いします。

BBC:Money Box

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Money Box
 
https://www.bbc.co.uk/programmes/m000b0c5
 
How To Retire Young
 
A US movement called FIRE – Financial Independence Retire Early – urges millennials to save their income and budget so much they can retire before they're forty. Is it realistic? 

遁世するということではないようだ。働かなくてもいいという選択肢を確保するということらしい。

0058:“I guess you can trace the root back to in history and xxxxx ‘Dowton Abbey’, that is an example of aristocracy who lived off their wealth, and did not have to work. And I guess what financial independence is xxxxxxxxx equivalent of xxxxx that can offer to every one to save their money and xxxxx for you and hopefully get to point where working becomes optional.

ということで聞き取れず、穴空きの書き取りしかできません。

続いて他のコメンテーターからFinancial
independence には賛同するが  Retirement Earlyには寿命が伸びたので同意しかねると発言が続いている(と思います)。

0142:“Oh I agree with the first part of  FIRE, ‘Financial Independence’. I don't like RE, ‘Retirement Early’. I just don't think it is  practical for people to xxxxx thinking in their thirties, fourties or even fifties necessarily they can retire early or take the option not work because all living for longer, and we got to think hard about how we can save for to cover later life xxxxx xxxxx xxxxx time or not. But should not stop.

分からないところが多い。

0215:trail blazer = 開拓者

この開拓者の話の初めのところ

0235:“I was a such young man at the time and I didn't even exactly know what I wanted. And I did know I just wanted to be out of cubicle and I wanted my weekdays looked like weekends. But as it turned out I worked quite a bit on other things, just haven't done any software design since then but I xxxxx love carpentry. So I have done lot of that. Innovating houses for myself and for friends. In some I have made money and some of xxxxx I have lost money unfortunately.

質素な生活かと訊かれて、比較の問題だと答えている(と思う)。

0300:“So, is it fairly frugal?”

0304:“I would say no. I would say xxxxx American middle class life style, which to me, is extremely, it’s among the top wealthiest countries in the world, so there is nothing frugal about it. Slightly less ridiculous
xxxxx xxxxx average American style.
All depend on your prospective. You are expecting to have two gigantic SUVs, be on vacation you know, on golf resort six months of year, my life would look like frugal, compare to that.

ここまでにしておきます。再度挑戦します。

「一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり - 河合隼雄」新潮文庫 こころの処方箋 から

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「一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり - 河合隼雄新潮文庫 こころの処方箋 から

平均年齢がのびて長生きができるようになったが、またそれだけに老後をどう暮らすかということも、人間にとっての大きな課題になりつつあるようである。ただ生きているだけで、苦しいことばかり続いたり、いつもいつも淋しいおもいをして生きていたのでは、いくら長生きをしたといっても、あまり意味がないような気がする、というのである。
子どもが居ないので老後のことを随分と心配して居[お]られる方がある。ところが一方では子どもが居るのだが、何のかの言って、親を老人ホームに入れてしまって、面会にもやって来ない。子どもの方は自分の家族や友人たちと楽しく暮らしている。そんなのを聞くと腹が立ってきて、電話でイヤミでも言いたくなる。すると子どもは、またおじいちゃんからのいやがらせの電話だと思うので、ロクに聞いてもくれない。こんなことなら「いっそのこと子どもなど居ない方がよかった」、「なまじ子どもが居るので腹が立つことが多い」ということになる。
夫婦の間でもそうである。夫婦でも年をとってから相手が居てくれてよかったと思っている人と、「この相手さえいなかったら......」と思っている人とある。一人だったら好きなことができるのに、なまじ相手がいるので気を遣ってしまう。そして、二人で顔を合わすと何だかトゲトゲとしてきて、腹が立つようなことを言い合ってしまうのである。
このような夫婦で、片方が亡くなられ、残された方はそれ以後、元気で楽しく......と思っていたら、その方も相ついで亡くなられるような例が割にある。「居ない方がいい」と思っている相手に、実のところは無意識に依存していることが大きかったのである。前に「文句を言っているうちが華である」と、述べたが、夫婦の場合もそうであることが多い。お互いに文句を言いながら、実はよりかかり合い、支え合っているのである。だから、文句を言う相手が居なくなると、自分の方もガックリと参ってしまうのである。
一人でも落ちついて楽しく過ごしている人もある。もっとも一人で楽しくと言っても、一人だから自由でいいとか、好きでもない人と一緒にいる人の気持がわからないとか、何のかのと言いながら、一人で楽しみを追いかけまわしたり、一人の楽しさをみせびらかして生きているような人もあるが、そんなのは偽物であることが多い。本当に楽しい人は、もう少し静かである。一人でもたのしいのだから、何のかのと他人をわずらわす必要はない。一人の楽しさを多くの人々に見せつけている人は、本当の一人になったとき、それに見合うだけの税金として、相当な涙を流して居られると考えていいだろう。それもまたひとつの生き方なので、別によしあしは論じることもないが、ただ羨ましがる必要のないことは事実である。
一人で楽しく生きている人は、心のなかに何らかのパートナーを持っているはずである。もちろん、そのパートナーは人によって異なる。「内なる異性」のこともあろう。母なるもの、父なるもの、かも知れない。「もう一人の私」と表現されるかも知れない。ともかく「話し相手」が居るのである。人間は自分の考えを他人と話し合うことによって、随分と楽しむことができるし、客観化することもできる。一人で生きてゆくためには、そのような意味で「二人」で生きてゆくことができねばならない。
一人でも二人であることを、少し面白くするために、ぬいぐるみなどに名前をつけて、一緒に住んでいる人もある。帰宅したときにも「今帰ったよ」とか「今日はこんなことがあってね」とか話しかけるのである。うまくゆくと、ぬいぐるみの方からもいろいろ面白いことを喋ってくれるはずである。
二人で生きている人は、一人でも生きられる強さを前提として、二人で生きてゆくことが必要である。無意識的よりかかりや、だきこみが強くなりすぎると、お互いの自由をあまりにも奪ってしまい、たまらなくなってくるのである。このことは別に依存が悪いと言っているのではない。人間は誰かにある程度依存しないと生きてゆけないし、依存したり、されたりするのも楽しみのひとつとも言える。問題は、まったく無意識的に一人立ちの力を失ってしまっているところにある。一人でめ生きてゆける人間が二人で生き、お互いに助け合ってゆくところに楽しみが見出だせるものなのである。
同じようなことをしていても、自覚のあるなしによって結果は大分変わってくる。一人でも二人、二人でも一人で生きているつもりができているか、それをどの程度やっているかなどについて自ら知っていることが必要である。

(巻二十六)あらかたは二番煎じに初時雨(加藤郁乎)

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(巻二十六)あらかたは二番煎じに初時雨(加藤郁乎)

6月24日水曜日

散歩と買い物

降りだしそうな空模様なのでいつでも逃げ帰れる範囲をうろついた。

麦の秋さもなき雨にぬれにけり(久保田万太郎)

新道を一本裏に入った風呂屋(銭湯か湯屋の方がよいかな)の通りに千円で遣ってくれる床屋を見つけた。この店は昔ながらの床屋のようだが、ガラス窓に“男1000円襟そりつき”と書いた貼り紙を出ていた。カミソリを使うということかな。四千円頂く床屋をやってきたのだろうが、背に腹は変えられずというところか?
床屋に毎月四千円掛けられる年寄りはこのうらぶれた場末の一画にはそうはいないのだろう。
隣の湯屋の入浴料は470円となっていた。毎日湯屋へ通えば一人当たり月に15000円掛かるのか!
貧乏人が銭湯で金持ちが内風呂という時代ではないようだ。

女湯の暖簾駆け抜け夏来る(川里隆)

家賃よりローンの返済額の方が安いから家を買へと言うのがキャッチコピーだ。状況で渡世の仕方は変わるのだろう。

本日三千六百歩、階段二回でした。

季事:

細君から暑中見舞いはいつからかと訊かれた。調べたら小暑からで今年は七月七日が小暑だと出ていた。

家事:
三日分の洗濯と肉豆腐。

読書:

斃れてのち已む」 

という言葉を知った。

《 荷風最晩年の『日乗』の原型はここにある。荷風さんは鴎外先生と命日を同じくすることを若いときから望んでいた。老いていよいよますますそれを希求し、それで鴎外にならって《陰。正午浅草》をえんえんと書きつづけたのである。
以上再説。というわけで、この推理に今度は、すでにふれたように、文化勲章を貰ったのはまさしく『断腸亭日乗』全巻ゆえ、との確信が加わる。斃れてのち已む、なのである。「正午浅草」の書きつがれた理由は十分に解明されたものと勝手に考えている。》

 「飾り立てた霊柩車で...... - 半藤一利ちくま文庫 荷風さんの戦後 から

願い事-叶えてください。

BBC:The Why factor

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The Why factor 

 https://www.bbc.co.uk/programmes/p048qwnx

Assisted Death
 
Is it ever right to take a life? Mike Williams explores the ethical dilemmas of assisted death.

0520:physician assisted death

0500:
“The case of Brittary Maynard, who was a young woman, who unfortunately passed away from brain cancer. Her case, her activism around her experienced with end of life care really prompted wide spread campaign around xxxxx California to provide physician assisted death.”

0725:AVD-Assisted Voluntary Death

0730:“I wanted to fight for legalization in other countries. It cannot be that very very ill people who would be judged as non able to travel by any doctors are travelling to Switzerland just to end their life. This is inhuman.”

1235:Hippocratic oath  -  do not harm

“The Hippocratic oath should be replaced by something else. I xxxxx xx swear any time I will prolong life as long as life is  worth living for the person concerned. And always the person concerned. If life is just suffering and it will never ever get better again, then I do have the right to help end this life in security.”

1311:
“Some others believe that this option has made available before widely available parade of care services, more available to patients xxxx the question whether participating in death row really is the most ethical way to approach end of life option.
Others believe that this constitutes slippery slope that it would disproportionately affect vulnerable groups and might even be expanded and, in the future, cue include patients with non-terminal illness or non-volunteer euthanasia.

1350:からの三人目は手強くて聞き取れません。後日再度挑戦いたします。

私は心身の苦痛から解放されるために死を選択ができることは結構なことだと思います。

euthanasia=安楽死という用語は一回だけ、あまり良いニュアンスでなく出てきました。

何度もしっかりと聴いてみます。