(巻二十七)梅雨の月傘をさす人ささぬ人(川崎展宏)

f:id:nprtheeconomistworld:20201125081735j:plain

(巻二十七)梅雨の月傘をさす人ささぬ人(川崎展宏)

11月24日火曜日

昨日より8度下がって12月中旬の気温だそうだ。そんな今日、予定通りガス器具の安全点検でガス会社の方がお見えになった。ガス点検なりすまし強盗は二人組が多いようだが、本物は一人でいらっしゃった。

先ず、室外のメーターや給湯器を点検し、それから室内で、台所とガスファンヒーターのガス漏れ点検をして終わりました。

宿泊を伴う外出の際に元栓を締めたいのだが栓の場所が分からずいた。今回そこも教えて頂いた。

細君は感じがよかったらお渡しすることにしていたペット茶を差し上げていた(異議なし)。

本物は世に出たがらず寒の鰤(加藤郁乎)

散歩:

雨が降りだす前にといつもより早く出かけて、買い物だけで逃げ帰ってきた。コンビニの灰皿は遂に撤去され、喫煙場で残るのは駅前だけになった。灰皿を出しておいても手間がかかるだけで売り上げにはそれほど貢献しないだろうし、近所が厭がっていたのだろう。

生協を出てフランス餡パンを買おうとパン屋に寄ったが売り切れだった。この時間、午後三時、で売り切れになるのは作っていないからだろう。普通の餡パンもあと二個しか残っていなかった。“売れないから作らない”、負のスパイラルか?確かに生協に置いてある山崎パンの高級餡パンの方が大きくて50円も安いのだから迷う。山崎餡パンが大きさを維持しているのに対しパン屋の餡パンは今や饅頭ほどの大きさに縮んだ。

本日三千四百歩で階段は2回でした。

冬めくや道行く人の黒づくめ(苗代碧)

願い事-叶えてください。ふ~と消していただくとありがたい。

「ふたりで老いる楽しさ - 小田島雄志」ベスト・エッセイ2007

f:id:nprtheeconomistworld:20201124082723j:plain




ひとりで老いるのはさびしいことだろう。そう思う。さいわいぼくは、同年生まれの妻といっしょに老いてきたし、これからももっと老いていくだろう。もちろん今まで、老いゆえにとまどうこともあったし、いらだつこともあった。だが七十代に入ってからは、老いることの楽しさも見いだせるようになった。その例を三つほどあげてみよう。今ひとりで老いようとしている人に、再婚のつれあい、学生時代の親友、いや、茶飲み友だちでもいい、同じ時代に貧しさに耐えたり恋愛映画に感動したりした思い出を共有する同年輩の話し相手を身近にもつよう、すすめたいからである。
最初に老いを自覚するのは、電車で席を譲られたときではない。そのときはただびっくりし、「けっこうです、どうもありがとう」などとボソッと言って、そそくさとその場を離れたりするが、腹の中では「まだ席を譲られる歳じゃねえやい」と強がっている。だが自分の気持に体が追いついていけなくなったとき、はっきり老いを自認することになる。
たとえばプラットフォームに入る電車の音を聞いて、若いころなら階段を二段ずつ飛んで駆けあがり、飛び乗ったのに、やがて気持は飛び乗るところまで行ったのに体はやっと階段をのぼりきろうとするところでドアが閉まり、「ああ」と言うことになる。この「ああ」が、年齢の自覚なのである。
それが七十代になると、駆け出す前にはじめからあきらめてしまう。そのとき、ひとりなら若干の切なさ、なさけなさが気持にまじるかもしれないが、たとえば同年齢の妻といっしょだと、妻を思いやっ(たふりをし)て、「次の電車にしよう」と言えるわけである。

それだけでなく、続けて、
「電車にやっとまにあった人はたいていむつかしい顔をして新聞をひろげたりするのに、乗りそこなった人はなぜかニヤッて笑うわね」
「そう言えば貧乏学生時代、階段の途中に一円玉が落ちているのを見つけて、一瞬迷ったけれど、電車を一台見送ってもいいや、と拾ったときは、われながらせこいと思いながらニヤニヤしてしまったね」
といった楽しいばか話を交わすことができる。これも若いころにはなかったゆとりという老いの特典から生まれるものである。
次に老いをいやおうなく意識させられるのは、ど忘れの頻発である。特に、固有名詞、人の顔は思い出せるが、名前は断固出てこようとしない。そのとき、同じころ同じ映画を見歩いたはずの人がそばにいると、
「ほら、あの俳優、なんていったっけ、フランスの裕次郎
ジャン・ギャバン?」
といった対話ができ、しかもこのように一発で当たるとふたりともなんだかハッピーになるからおもしろい。また逆に、
「あの女優ね、えーと、ジ......ジ......」
「ジジ・ジャンメール?」
「じゃなくて、もっと若い......」
「ジュディ-・ガーランド?ジェーン・フォンダ?」
「いや、ほら、ジェラール・フィリップと共演した......」
「『赤と黒』?『肉体の悪魔』?」
「いや、『花咲ける騎士道』だ......」
「ああ、ジーナ・ロロブリジダ?」
などと、正解にたどり着くまで時間がかかるのも楽しめる。やっと正解が出たときの喜びは、テレビのクイズ番組で他人が賞金や賞品を手に入れるのを見るより、はるかに大きい。あたりまえの話だけど。
ぼくの場合、認知症防止のため、わざと妻に仕掛けることもある。このゲームは食後のお茶を飲みながら、散歩の途中、などいつでもどこでもできるので、おすすめである。
最後に、おたがいに発音があやふやになり、耳も遠くなると「言った」・「聞いてない」の言い争いや、言いちがい・聞きちがいのすれちがいが日常茶飯事になってくる。が、この歳になるとそれさえ笑いのタネにすることができるようになる。たとえば、
「そろそろ歯医者に行かなくちゃ」
「なに言ってるの、会社はもう退職したでしょ」
「退屈なんてしてないさ、奥歯が痛いんだよ」
「職場にいたい、って気持はわかるけど、おとなしくうちにいれば?」
「うん、そのうちに入れ歯を入れることになるかもしれん」
といったたぐいのトンチンカン問答をしたあと、聞きちがいとわかったら、「おまえの耳が悪い」、「あなたの口のせいよ」と相手を責めずに、日本語っておもしろいなあ、と笑い飛ばすユーモアのセンスでかわせばいいのである。
若いころには思いもよらなかったことに出会って、年とったなあ、と落ちこみたくなるとき、その気分をはねのけて、なにがなんでも楽しんでやろう、と気持をきり替える必要がある。楽しみは待っていてもこない、こちらから見つけ出すものなのだから。

(巻二十七)焼さんま得手のものなる箸捌き(高澤良一)

f:id:nprtheeconomistworld:20201124081840j:plain

(巻二十七)焼さんま得手のものなる箸捌き(高澤良一)

11月23日月曜日

本日も午前は晴天なり。が、昼を過ぎたあたりから雲が広がった。見れば桜木もすっかり葉を落とした。

掃き寄する桜落ち葉の香り立ち今日は午後より雨との予報(大下一真)

散歩:

駅前へ図書の返却に出かけた。普段の月曜日は図書サービス・カウンターはお休みだが、今日は祭日なのでサービスをしている。

なるべく借りる本との差し換えで返却するようにしているのだが返却日が迫ってきた。お願いしている図書がなかなか揃わないようだ。『日本の名随筆「広告」天野祐吉選』などは11月7日にお願いしている。順番待ちでもないのに動きがない!この本を読む人はなく、開架から外されて書庫の奥深くで不遇をカコツているのか?しかし、予約してから貸出しまでの日数がある程度予測できないと年末年始に読む本の計算が難しくなる。

アリバイの無き書庫におり今日の月(森沢程)

帰りに生協で買い物をしたが、常食としているお亀納豆の賞味期限が12月1日になっている。いよいよ師走だなあ!

納豆の粘りのつよく今朝の冬(川崎展宏)

本日は六千五百歩で階段は2回でした。

BBC

Money Box

Looking for work

Recent unemployment figures show 16 to 24 year olds have been hit hardest by the economic effects of coronavirus. We discuss where, and how, to find work.

https://www.bbc.co.uk/programmes/m000nmd6

流行り病関連のテーマが多く、その一つです。CVの書き方やビデオ面接についての助言をしているようです。一人目は空港関係者で経験も知識もあるのですが、それをどのように新たな職種の採用担当者に分かってもらい、採用に繋げて行けばよいか助言を求めていました。後半はよく解らず。

願い事-叶えてください。

「『鍵-谷崎潤一郎』の解説 - 山本健吉」新潮文庫 鍵・瘋癲老人日記 から

f:id:nprtheeconomistworld:20201123083714j:plain

「『鍵-谷崎潤一郎』の解説 - 山本健吉新潮文庫 鍵・瘋癲老人日記 から



『鍵』の第一回は、昭和三十一年一月の『中央公論』誌上に掲載された。その後、三カ月中絶して、第二回は同誌五月号に、第一回分を再録併載して発表され、以後十二月号まで一回も休まず、第九回をもって完結した。
『鍵』はその第一回が雑誌に発表されたときから、その大胆な性の叙述が大きな反響を呼んだ。議会でさえ問題とされ、谷崎氏は執筆途上に聞えてくる俗論の渦に、大いに悩まされた。だが、私に言わせれば、この小説は露骨な描写を問題とするにはあまりにも具体性に欠けた、抽象的な小説なのである。
第一ここには、生きた具体的な人間は、ただ一人も書かれていない。ここには四人の男女が登場する。そのうち、主人公と木村とは、京都のある大学教授と書かれているが、彼等の教授らしい言動が、ただの一つでも書いてあるわけではない。もちろん、書けなかったのでなく、書こうとしなかったのだし、書く必要もなかったのである。
主人公の妻であるヒロインの郁子も娘の敏子も、同様である。彼等の心の生活は、すべて捨象[しやしよう]されている。四人とも陰険な性格と書かれている程度で、彼等がいささかでも心の動きを見せるのは、それが性の欲求にもとずくかぎりにおいてである。そして、その一点を拡大するために、他のすべての感情も知性も、切り棄てられてしまった。強いて類比を言えば、乳房や臀部や性器だけをむやみと拡大して表現した縄文土偶のごときものであろうか。
この小説には、五十六歳の夫と四十五歳の妻との日記が交互に現われ、組合されている。それは表向きは秘密の日記で、その隠しどころに二人とも苦心を払っているのであるが、それが相手に読まれることを始めから考慮に入れ、しかも読んだということをいささかもそぶりに出さないことを期待している。そして書いて行くうちに、それは読まれることを望むようになり、自分の欲求を暗黙のうちの伝達方法となり、また相手の欲求を自分の望むように目覚ませるための手段となる。さらにそれは、相手をあざむくための手段となり、相手を破滅させるたくらみがこの手紙のなかに仕組まれるに至る。
愚かしい、あるいは陰険な権謀術数が、この日記によって戦わされるのだが、それは彼等の心の動きによるものではなく、彼等の性の欲求によっている。彼等は自分の感情も思想も、それに係わりのあるすべての生活も、すべて作者に預けてしまって、その抽象化された性本能を主軸として動かねばならない。完全に自分の性本能の傀儡[かいらい]と化すという、抽象的な役割が、彼等には課されているのである。

 



五十六歳の夫は、体力も性的な欲求もめっきり衰えながら、観念的にはいよいよ旺盛になっていて、彼は最後の余力を振りしぼってその観念的欲求に仕えようとする。そして如何なる条件も、自分の死の恐怖も、それを制禦[せいぎよ]する力とはならない。滑稽と言えば滑稽だが、厳粛でもある。
「ソノ時僕ハ第四次元ノ世界ニ突入シタト云ウ気ガシタ。忽[たちま]チ高イ高イ所、トウリ[難漢字]天ノ頂辺ニ登ッタノカモ知レナイト思ッタ。過去ハスベテ幻影デココニ真実ノ存在ガアリ、僕ト妻トガタダ二人ココニ立ッテ相擁シテイル。......自分ハ今死ヌカモ知レナイガ刹那ガ永遠デアルノヲ感ジタ。......」過去におけるもっとも厳粛な哲学的思索といえども、彼が性の陶酔という方法で到達したこの永遠の瞬間の追求であったという点で、変るものではない。
夫は妻の肉体を何物にも代えがたいものと思っている。四十五歳の妻は、いまや淫欲旺盛な、女の肉体の成熟の頂点と言うべきであるが、女らしい身嗜[みだしな]みで身をよろっているので、夫は妻の肉体から十分の性的満足を受取ることができない。そこで彼は、木村という若い男を妻の肉体の極限まで近づかせるようにし、その嫉妬の刺激で自分の衰えた欲求をふるい立たせ、さらにまた、妻の豊満な肉体のうちに眠っていた性的に未開発だった欲求に目覚めさせようとする。そのたくらみは、十分に成功したように見えたし、彼は近来とみに血圧が高くなったことを忠告する医者の言葉を聞き流し、陶酔を求めて極限まで行く。
だが、その夫の意図には大きな誤算があった。性的に目覚めさせられた妻は、夫の貧弱極まる肉体を、若くたくましい木村の肉体の魅力と比較することで、はなはだしい嫌悪感を抱くようになる。木村との関係も、夫がひそかに希望したすれすれの限界に止まることができず、彼の言う「オーソドックス」な肉体関係にまで行く。木村による性的な欲求の開発と肉体の訓練とは、逆に夫をますます妻の肉体の魅力に溺れさせることになるが、それは妻の夫への殺意によるさそいの手であった。彼は妻の肉体の上で卒中を起し、さらに二度目の卒中で死んでしまうのである。

小説とは元来、自由意志の劇であり、主人公は自分の破壊すらも、自分の自由な意志によってあえと選び取るものとすれば、この『鍵』においても、主人公がみずから好んで自分の破壊に飛びこんでいる点で、それは自由意志の劇だと言えるかも知れない。だが『鍵』の主人公は、性的欲望以外のあらゆる人間的な属性を捨象した抽象的人物なのだから、そこには実は本能的欲求だけがあって、人間の意志はないのである。するとこの小説は、自由意志の悲劇ではなく、そのパロディとしての、性的欲望の喜劇なのである。このこと自身が不毛であり、破滅であるという判断を超えて、あえて窮極にまで突き進む欲望のどうにもならぬ狂暴さが、ここに戯画化されている。それを不毛なものとして描き出しながら、その不毛なものにかかわらざるをえない人間の業の深さを、作者は噛みしめているのだとも言えよう。
性だけを純粋に抽出して描き出すという手のこんだ方法を試みることで、奇々怪々な性の本態の背後に、人間の生と死についての洞察をにじみ出させる。
それは、作者が老境において達した人間認識の一端である。そこには人間の性愛と死とが、不可分の主題としてないまじっている。それは源氏物語においては響いていた主調低音であるが、『細雪』では聞くことのできなかったものである。そしてそれは、次の『瘋癲老人日記』において、いっそう深められているのを見ることができるだろう。

(巻二十七)物知の蘊蓄を聴く屏風かな(野中亮介)

f:id:nprtheeconomistworld:20201123082544j:plain

(巻二十七)物知の蘊蓄を聴く屏風かな(野中亮介)

11月22日日曜日

秋晴れで無風で気温は20度近くまで上がりました。

今日の朝日俳壇から

村じゆうを巡りて秋を惜しみけり(北村純一)

を書き留めたが、私は町内を一巡りして秋惜むであります。

日曜日の午後は学校のクラブ活動はないのか?両校とグラウンドに誰も居らず。暇も潰しもできずただ通過。いつものパン屋さんでフランス餡パンをと入ったが売り切れで、仕方がないから普通の餡パンに致した。それでも散歩ができて、屋根の下で毎日餡パンを戴ける幸せに感謝します。

本日は三千八百歩で階段は3回でした。

細君は渋谷の事件で加害者の母親に同情しきりであります。不幸、厄はいつどこから降ってくるか分からない。

読書:

荷風と東京〈断腸亭日乗-私註〉(上)-川本三郎(岩波現代文庫)』を読み始めた。

《また、大正六年十月二十六日には、身辺整理をしている異様な記述がある。

「晴天。写真師を招ぎて来青閣内外の景を撮影せしむ。予め家事を整理し万一の準備をなし置くなり。近日また石工を訪ひ墓碑を刻し置かむと欲す」

三十七歳の男が、身辺を整理し、さらに、墓碑の準備までしている。普通とはいえない。

しかし、「余生」「万一の準備」とあるわりに荷風は元気で、大正六年、七年を無事に過ごす。そして大正八年一月十六日にはまた、こう書く。

「余既に余命いくばくもなかを知り、死後の事につきて心を労することすくな[難漢字]からず」

三十九歳の男が「余命いくばくもなき」と書く。これもまた普通ではない。「断腸亭日乗」を読んでいてまず驚くのは、荷風が終始、自分の気力、体力が落ち死期が近いのではないかという恐れを抱いていることである。》

この本は丁寧に読むことになりそうだ。図書館の蔵書だから借りっぱなしには出来ない。上下を交互に借りていこう。

願い事-叶えてください。今なら思い残す事なく逝けそうですが、怖さ半分、もういいやが半分です、ハイ。

「光の鱗 - 西村寿行」文春文庫 巻頭随筆3 から

f:id:nprtheeconomistworld:20201122083333j:plain


「光の鱗 - 西村寿行」文春文庫 巻頭随筆3 から

昔、漁夫をしていた頃があった。
家が瀬戸内海で小さな網元をやっていた。敗戦後のことである。生家は名もないような島にあった。海のオデキのようにポツンと突き出た島だ。
島の段々畑の一面に桃の木の林がある。その桃がうっすらと色づくと、鰆[さわら]網漁がはじまる。
鰆が終わると鯛である。
鯛網のつぎはまなかつをの網だったように記憶している。まなかつおが終わると冬だ。冬は、これもうろおぼえだが、いかなご漁だった記憶がある。
いかなごを獲る網のことを島ではバッシャ網といった。
バッシャ網は急流に張る。軍艦が使うような巨大な錨を二つ投げ込み、その間を網でつないである。いかなごが潮に流されて来ると、その網にかかる寸法だ。網の目は鯨でも潜り抜けそうに荒いが、いかなごは抜けない。おそれて中心部に寄ってくる。中心部には長い袋がついている。そこに入って一網打尽になる。
漁夫は船にいて、袋だけを引き揚げる。空にして、また、放り込むのである。ずいぶん間の抜けているようで、滑稽でもある漁法だが、それでも豊漁だったようだ。
しかし、網を張る場所は汽船の航路であった。上り下りの客船、貨物船がひっきりなしに通る。つねに危険がつきまとっていた。
昼間はよい。漁船がみえるから、先方で進路を変えてくれる。問題は夜だ。バッシャ網は昼も夜も休みなしだ。六時間ごとに潮が変わるから、そのたびにどちらか片方の錨を動かして、網を反転させるだけである。
夜、漁船は小さなバッテリーの灯を点[つ]けているだけだ。波があったり、雨や霧があると、遠くからはその灯がみえにくい。灯がみえないと、巨大な鉄船が闇を割[さ]いて真一文字にのしかかって来る。
漁夫は死に物狂いになる。そうしたときのばかりではないが、たいていは焚き火をしている。その薪を掴んでわめきながら振り回すのである。おかしな漁夫がいた。その漁夫はあわてると、いつも、決って、シャモジを掴んで振り回すのだった。
冬の海、とくに夜の海は寒い。何枚も下着を着込んではいるが、潮気を吸って、重くて、冷たい。漁船は波に揺られどおしだ。ぼくは新米だから、汽船の見張りが仕事だ。
先輩の漁夫は眠っている。ぼんやりと海をみている。海にはバッテリーランプの落とす灯が無数の波に映えている。光の鱗のようにチラチラしている。みつめているとどういうわけか哀しくなる。潮気を吸った服の重くて冷たいのが哀しみを誘い出すのかもしれない。

ある夜、どこへ向かうのか、きらびやかなライトで船体を飾った客船が通った。豪華客船であった。その船はぼくたちの漁船を最初から避けてくれた。しかし、遠のいたわけではなかった。すぐ傍を通ったのである。
船客にみせるためだったのだと思う。舷側にはおびただしい男女が出ていた。客船はビルの二階か三階の高さがある。男女がぼくを見下ろしていた。着飾った男であり、女であった。女たちの白い貌[かお]がぼくの脳裡に灼きついた。客船は灯火の波に包まれていた。凄絶なほどの美しさにみえた。
やがて、豪華客船は遠ざかった。ぼくの漁船は客船の残した波のあおりに翻弄された。小山のようなうねりが何波も襲いかかるのだった。
ぼくは闇に消え行く豪華客船を見送った。どこに行くのかわからない。どのようなひとびとが乗っているのかも、わからない。わからないままに、最後の灯が闇に溶けるまでみつめた。
都がある - ぼくは、そう思った。豪華客船の消え、着飾った男女の消えたかなたにはきらびやかな都がある。波のはてに、闇のはてにある都に、客船は向かったのだと思った。
ぼくは都もみたことがなければ、豪華客船に乗ったこともなかった。せいぜい、高松市に出て映画館に入るのが冒険であった。
海のかなたには都がある。客船はその都に向かい、ひとびとも都に向かう。泣きたいほど哀しかったのをおぼえている。
無学文盲で、色の真黒い漁夫の小伜に、かすめすぎた女たちの白い貌は、無縁の存在であった。都とは縁のない自分が、哀しかった。



二十何年か後に、ぼくは東京に住んでいた。
中野区と新宿区の境であった。毎晩、妙正寺川沿いの道を歩いて、家に戻った。流量の少ない川だが、それでもアーク灯の光を落としている。無数の光の鱗が流れ去っていた。ときに、立ち止まってみつめた。あのときの光の鱗と変わらなかった。その部分にはあざやかな瀬戸内海の過去が息づいていた。重くて冷たい服が自分を覆っているのが感じられた。
都に住んですでに十数年になる。
たしかに、都ではあった。しかし、ぼくは、宿無しに近い状態であった。だれも、かまってくれなかった。都の心臓部をみたこともない。白い貌の女はみかけるが、近寄るすべもない。二十何年か前と、本質的には、変わるところはないのだった。
いつまで、この光の鱗をみつづけねばならないのかと、それが、哀しかった。

 

 

(巻二十七)かため置く雨月の傘の雨雫(長沼紫紅)

f:id:nprtheeconomistworld:20201122081837j:plain

(巻二十七)かため置く雨月の傘の雨雫(長沼紫紅)

 

11月21日土曜日

 

風はつよく木の葉は舞っているが北風ではない。

 

柴又の落ち葉駆け込む荒物屋(清水二三子)

 

散歩:

高校コースを歩き、明日弦楽コンサートがひらかれる富士の湯の前を通ってみた。湯屋は3時半からのようで、その10分前に通ったのだが主に私よりもお年寄りの老人男女たちがすでに開くのを待って屯していた。買い物はなく、パン屋でフランス餡パンを買って帰宅。

本日は三千四百歩で階段は2回でした。

 

読書:

「ふたりで老いる楽しさ - 小田島雄志」ベスト・エッセイ2007

 

を読んでみた。

 

《ひとりで老いるのはさびしいことだろう。そう思う。さいわいぼくは、同年生まれの妻といっしょに老いてきたし、これからももっと老いていくだろう。もちろん今まで、老いゆえにとまどうこともあったし、いらだつこともあった。だが七十代に入ってからは、老いることの楽しさも見いだせるようになった。その例を三つほどあげてみよう。今ひとりで老いようとしている人に、再婚のつれあい、学生時代の親友、いや、茶飲み友だちでもいい、同じ時代に貧しさに耐えたり恋愛映画に感動したりした思い出を共有する同年輩の話し相手を身近にもつよう、すすめたいからである。》

と、まあ、そんなことが書いてあるわけで、女性の考え方とは多分ちがうだろう。

春深し妻と愁ひを異にして(安住敦)

女性の考え方を一生懸命に推し測ったのが別役実氏で、我が妻の言動の中にもこの願望が読み取れる。

 

「後家 - 別役実ちくま文庫 思いちがい辞典 から

 

後家というのは、一種の社会的な身分のことである。そして、あからさまにそうは言われていないものの、当の女性にとっては、かなり理想的な身分と考えられている。女性にはすべて、「結婚願望」というものが潜在していると言われているが、実はそれ以前に「後家願望」があることが、今日社会学者の調査によって明らかになりつつある。つまり、彼女たちの「結婚願望」は本来「後家願望」なのであり、ものの道理として「結婚」しなければ「後家」になれないから、それがたまたま「結婚願望」として表明されているにすぎないのだ。

従っておおむねの女性は、早いものでは結婚した翌日から、「いつ後家になれるかしら」と考えはじめる。もっと人生に対して積極的で、計画的な女性は、「いつ後家になろうかしら」と考えはじめる、とまで言われているのだ。それほど、「後家はいい」のである。ただし、時々酒場の片隅などで、決して紳士とは言えないような中年男性が、「後家はいいよ」と言っているのを聞くことがあるが、これは意味が違う。この場合は、それら中年男性の性的対象として「後家は味わい深い」ということを言っているのであって、当の「後家」にとっての身分のことを言っているのではないからである。そして、当の「後家」にとっての「後家はいい」という意味など、中年男性には想像もつかない。つまり、それほど「いい」のだ。

もちろん、これまで多くの中年男性が、当の「後家」にとっての「後家はいい」という真の意味を解明すべく、手をつくしてきた。しかし、これだけはどうしようもない。「後家はいい」という真の意味は、当の「後家」にしかわからないのであり、男は、どうあがいても「後家」にはなれないからである。「男やもめ」というのがあるにはあるものの、これはまた、社会的身分としてはこれ以上はないというほど絶望的なものなのだ。「まだ死んでいない」というだけのものにほかならない。

実は、「後家」の別称「未亡人」は、文字通り「まだ死んでいないもの」の意であり、「男やもめ」たちが「後家」もそうであろうと想像して名付けたものであるが、彼女たちが唯々諾々としてその蔑称を受け入れた時、男としては気付いていなければならなかった。もし、「後家」の身分がその蔑称にふさわしいみじめなものだったら、彼女たちは「ムッ」としてそれをはねつけたに違いないからである。つまり彼女たちは、「名を捨てて実を取った」のだ。そして、男どもにはそう思わせておけ、と考えたのだ。

これから考えても、「後家」というものがかなり「いい」ものであることがよくわかる。しかも、「後家はいい」ということは、生物学的にも確かめられているのである。人類の場合、女性の方が寿命が長いということが、あらゆる環境において確かめられており、長いこと生物学的な謎とされてきたのであるが、この「後家はいい」事実と、それによって促された女性たちの「後家にならずにおくものか」という固い決意が、男性の寿命を超えるのであり、一方男性の「男やもめになりたくないな」というたじろぎが、女性に負けるのである。

というわけで、ここへきてすべての男性が、「後家はいい」らしいことを気付かされつつあり、その事実を、いやおうなく認めさせられつつある。それはいい。男性というものは概して寛容な生きものであるから、「そんなにいい」なら「先に死んでやってもいいよ」とすら考えているのだ。しかし、「どんな風にいいのか」という、その点だけは知りたい。それを知らないでは、「死んでも死にきれない」のである。そこで或る男性が、或る「後家」に、「どんな風にいいんだい」と聞いてみた。するとその「後家」は、ニタリと笑って、「フン」とうそぶいた。恐らく、そんな風に「いい」のだろう。

 

願い事-叶えてください。手間をかけずに、君に愉しい後家の日々を贈りたいと願っていますよ。男やもめにはなりたくない。

問はれれば不便と答ふ秋の暮(山本裕)

は避けたい。

明日はいい夫婦の日だ。