(巻三十)健康を酒量で試し三ケ日(笠原興一)

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(巻三十)健康を酒量で試し三ケ日(笠原興一)

7月22日木曜日

窓を開けながら“朝から蝉の鳴き声がすごい!”と細君が云った。ミンミンもジージーも啼いている。

生協へお供した。休日のせいかパックランチ(つまみ兼用)と缶ビールという 親爺の一人買いが目立つ。

地中も暑くて我慢できないのだろう、ミミズが舗道の所々で干からびている。苦しんだのか?意識不明で苦しまなかったのか?

夕方散歩、少し風もあり歩けない暑さではない。

本日は四千百歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。意識不明になって静かに消えたい。

死を遠き祭のごとく蝉しぐれ(正木ゆう子)

(巻三十)ここ残し秋刀魚の食べ方知らぬ妻(高澤良一)

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(巻三十)ここ残し秋刀魚の食べ方知らぬ妻(高澤良一)

7月21日水曜日

明日は大暑だと細君が告げていた。

大暑には頭使わぬコツプ拭き(高澤良一)

その大暑を前に布団カバーを2枚洗い、タンスの中身の風通しを致した。タンスには吸水容器を入れてあるが満タン水位に近づいてきたので2個とも取り換えた。礼服に黴なし。

さらに冬物ジャンパーを2着クリーニング屋に持って行った。10時であったが十分暑く汗が滴る。

夕方散歩。今日は風がない。一撮した都営団地の鬼ユリです。

本日は三千四百歩で階段は3回でした。

願い事-叶えてください。

自らは打てぬ終止符水中花(卜部黎子)

(巻三十)古草や識らぬ木太り識る木失せ(富安風生)

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(巻三十) 古草や識らぬ木太り識る木失せ(富安風生)

7月20日火曜日

写真は昨日買った菊です。鞠のような菊で弔いのイメージはない。

眼鏡屋さんに同行致す。手元用・読書用の眼鏡ができたようだ。

二人で駅下のマーケットを歩き、昼の弁当と夜の食材にさわらなどを買う。支払いも細君ができるようになり、ありがたいことであります。

夕方散歩した。散歩ができる程度の夕方でした。葛飾野のグランドでは野球部が練習を終わりトンボをかけていた。

本日は五千歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。任せるしかないのだ。

あきらめてゆらりと豆腐桶の中(出口とき子)

(巻三十)名月や月の根岸の串団子(正岡子規)

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(巻三十)名月や月の根岸の串団子(正岡子規)

7月19日月曜日

今朝も布団カバーの洗濯を致す。生協へお供致す。細君は花屋さんで花を買っていた。生協では水2リットルボトルの箱を何箱もまとめて買う人が数人いた。作業現場での対策か。しばらく見かけなかった生協印のマスク60枚入り箱が並んでいたので男女一箱ずつ買っておいた。

本日は三千百歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。やはり「消える」という感覚がよろしい。暑いので「溶けて消える」もありか。

(巻三十)有為転変母の浴衣が雑巾に(生出鬼子)

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(巻三十)有為転変母の浴衣が雑巾に(生出鬼子)

7月18日日曜日

昨日は布団カバーを洗濯し、今日はシーツを洗濯した。とにかくよく乾いてくれる。

夕方、図書館に予約本を受け取りに出かけた。予約した本は「予約資料コーナー」に置かれている。他の人が借りる本を見て本を知ることが多い。が、着るものと同じで自分の寸法に合う本にはなかなか出逢えない。

本日は三千歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。背伸びとか無理はよくありません。

今日は、

「「日記」偏痴気の説 - 中野好夫」日本の名随筆別巻28日記 から

を読む。

《 そもそも個人の内部生活に関するもねを、なぜそう書き留めておく必要があるのであろうか。後日の反省の資に書いておくという考え方もあるらしい。が、果してそれも事実かどうだか。反省はもちろん結構だが、それはその折々にさえやればいいので、別に行状の跡までのこしておく必要はあるまい、総じていえば、人間の過去とはすべて排泄物である。わたし自身は排泄物についてなど、まったく関心がないし、排泄物を眺めながらの反省など、想像するだけでも滑稽である。

例の「菜根譚」に、「風、疎竹に来る。風過ぎて、竹、声を留めず。雁、寒潭を度る。雁去りて、潭、影を留めず」という一句がある。年来わたしの大好きな言葉だが、人間の行蔵の跡も、できればこうありたいものだと思う。あたかもたえて存在しなかったかのように、消えてしまえるものならは、これほど望ましい一生はないはずである。》

(巻三十)エンゼル・フィッシュ床屋で眠る常識家(川崎展宏)

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(巻三十)エンゼル・フィッシュ床屋で眠る常識家(川崎展宏)

7月17日土曜日

梅雨明けで好天で暑い。洗濯をして生協へお供した。生協の横の花屋さんは生協の開店時間までには花を店先に並べ終えているのだが、今朝は並んでいない。帰りに見ても並べていない。はて?と思って「やる気無いのかな?」と細君に話すと日射しが強くてコンクリートの上に置いておくと萎れてしまうのではないか、と返してきた。そうだとすれば我が家のミカンの鉢も苦しんでいるのかも知れぬ。家に戻り早速鉢をベランダの東の端から西の端に場所替えした。直射がなくなるから幾分か照り返しも弛むのではなかろうか。様子を見ていて元気が

なくなるようであれば裏に移そう。

夕方、少し涼しくなったところで千円床屋へ行く。一人待ちでさっさと終わり隣りのコンビニで角白とコロッケで喉を潤した。酒を飲んだのは何ヵ月ぶりだろうか。酒を飲みたいという“~したい”が残っていたことは慶ぶべきなのだろう。

角打ちの隅に犬座す夕薄暑(和田桃)

本日は三千七百歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。静かに消えたい。

「熱 - 古井由吉」ベスト・エッセイ2012 から

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「熱 - 古井由吉」ベスト・エッセイ2012 から

熱中症という言葉はいつ頃から一般に使われるようになったのだろう。そう古いことではないように思われる。初めてこの言葉を目にだか耳にだかした時、私は胸を衝かれた思いがしたものだ。
そう血の気の多い人間ではないつもりでも、折り折りにはつい物事に熱中し過ぎて、のぼせ、たかぶり、いらだち、心身を傷めるのは、これも抜きがたい病いか、と。
何ごとかと知らされた後も、はて、子供の頃から親たちにやかましく言われた日射病と同じではないらしく、暑気あたりとも違うようで、どういうものなのか、いまひとつ腑に落ちない。というのも、私は夏の盛りにも仕事部屋に冷房を入れない人間なのだ。しかも仕事の時間は午後から日の暮れまでと決まっている。日盛りの労苦である。始める時には、この暑苦しい中で、暑苦しい仕事を、と自分の稼業を呪いたくなることもあるが、やがて難所にかかると、額の汗も忘れて、「熱中」している。我慢ではない。このほうが夏の長丁場が持つのだ。体質なのだろう。
もうかれこれ四十年あまりそうしている。それ以前はと言えば、まだ一般家庭に冷房のゆきわたらなかった時代になる。その間に都会の夏は暑くなった。未明の最低気温が二六度と聞いて驚いたのも、もう三十年近く昔のことになる。しかし私の子供の頃も、都会の夜更けは暑苦しかった。
パタリパタリと、寝床の中で団扇をつかう音を、今でも夏の夜には思い出す。その音がだんだんに間遠になり、かすかになり、やがてふっと止む。寝息が伝わってくる。
ところがしばらくすると、団扇がやけに動き出す。まどろんだところで、汗がもうひとしきり噴き出してきたらしい。
思春期の頃には、夏の夜に寝つかれないままに、もう小説などを読むようになっていたので文豪たちの作品の、夏の夜の濡れ場などを思いうかべて、さぞや暑かっただろうな、などといまさら心配したものだ。あれは、人がおたがいに熱ければ、そう暑くも感じないものだ、と後年になり知らされた。人の恋情や欲望は凄いものだ、と老年に入ってからは感嘆させられる。
男女の、結びつきは酉の市のころから師走にかけて、別れは旧盆のころからお彼岸にかけて、と言われるが、そうとはかぎらない。
それにしても、水分をまめにとりなさい、日中は涼しいところにいなさい、外へ出る時には帽子をかぶりなさい、などと私のような年寄りのためにしきりに言われるが、これが子供の頃に親たちに言われたのとそっくりである。昔の年寄りは日盛りにも熱い番茶を所望して、ふうふう吹きながら飲んでいた。そして午睡の場所を心得ていた。どこの家でも風通しがよいというわけにはいかない。それでも風のわずかに抜ける路[みち]を、年寄りは知っていた。その細い風の路に細くからだを添わせて、膝を立てて眠っていた。