「熱 - 古井由吉」ベスト・エッセイ2012 から

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「熱 - 古井由吉」ベスト・エッセイ2012 から

熱中症という言葉はいつ頃から一般に使われるようになったのだろう。そう古いことではないように思われる。初めてこの言葉を目にだか耳にだかした時、私は胸を衝かれた思いがしたものだ。
そう血の気の多い人間ではないつもりでも、折り折りにはつい物事に熱中し過ぎて、のぼせ、たかぶり、いらだち、心身を傷めるのは、これも抜きがたい病いか、と。
何ごとかと知らされた後も、はて、子供の頃から親たちにやかましく言われた日射病と同じではないらしく、暑気あたりとも違うようで、どういうものなのか、いまひとつ腑に落ちない。というのも、私は夏の盛りにも仕事部屋に冷房を入れない人間なのだ。しかも仕事の時間は午後から日の暮れまでと決まっている。日盛りの労苦である。始める時には、この暑苦しい中で、暑苦しい仕事を、と自分の稼業を呪いたくなることもあるが、やがて難所にかかると、額の汗も忘れて、「熱中」している。我慢ではない。このほうが夏の長丁場が持つのだ。体質なのだろう。
もうかれこれ四十年あまりそうしている。それ以前はと言えば、まだ一般家庭に冷房のゆきわたらなかった時代になる。その間に都会の夏は暑くなった。未明の最低気温が二六度と聞いて驚いたのも、もう三十年近く昔のことになる。しかし私の子供の頃も、都会の夜更けは暑苦しかった。
パタリパタリと、寝床の中で団扇をつかう音を、今でも夏の夜には思い出す。その音がだんだんに間遠になり、かすかになり、やがてふっと止む。寝息が伝わってくる。
ところがしばらくすると、団扇がやけに動き出す。まどろんだところで、汗がもうひとしきり噴き出してきたらしい。
思春期の頃には、夏の夜に寝つかれないままに、もう小説などを読むようになっていたので文豪たちの作品の、夏の夜の濡れ場などを思いうかべて、さぞや暑かっただろうな、などといまさら心配したものだ。あれは、人がおたがいに熱ければ、そう暑くも感じないものだ、と後年になり知らされた。人の恋情や欲望は凄いものだ、と老年に入ってからは感嘆させられる。
男女の、結びつきは酉の市のころから師走にかけて、別れは旧盆のころからお彼岸にかけて、と言われるが、そうとはかぎらない。
それにしても、水分をまめにとりなさい、日中は涼しいところにいなさい、外へ出る時には帽子をかぶりなさい、などと私のような年寄りのためにしきりに言われるが、これが子供の頃に親たちに言われたのとそっくりである。昔の年寄りは日盛りにも熱い番茶を所望して、ふうふう吹きながら飲んでいた。そして午睡の場所を心得ていた。どこの家でも風通しがよいというわけにはいかない。それでも風のわずかに抜ける路[みち]を、年寄りは知っていた。その細い風の路に細くからだを添わせて、膝を立てて眠っていた。