巻三十立読抜盗句歌集

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巻三十立読抜盗句歌集

今はよにもとの心の友もなし老いて古枝の秋萩の花

桐一葉ふと好日を怖れけり(豊長みのる)

人に家を買はせて我は年忘れ(芭蕉)

句作りの文語不識や寒の梅(藤田湘子)

秋簾女七つの隠しごと(田中恵子)

手の平に転ろがす定年水割りグラス(鈴木正季)

主義主張異つてよき花見かな(宇多喜代子)

コンビニのおでんの湯気や冬に入る(八木健夫)

エンゼル・フィッシュ床屋で眠る常識家(川崎展宏)

有為転変母の浴衣が雑巾に(生出鬼子)

名月や月の根岸の串団子(正岡子規)

献立の一転二転底冷す(山本美紗)

古草や識らぬ木太り識る木失せ(富安風生)

ここ残し秋刀魚の食べ方知らぬ妻(高澤良一)

健康を酒量で試し三ケ日(笠原興一)

輸出する和物の絵付梅匂ふ(稲垣光子)

肉じゃがのほっこり煮えて春嵐(甲斐住子)

物少し状ながながと歳暮かな(島田雅山)

ふくろうに聞け快楽のことならば(夏井いつき)

ゆるゆるとゆるゆる蛇に巻かれけり(佐藤文子)

鰯雲飛行機雲を許したり(蛭海停雲子)

口ぐるま乗るも処世か忍草(丹後日出雄)

玉の井荷風ごのみの冬のまち(橋田治子)

荒百舌や今日を限れる芸者の身(小坂順子)

タンメンの白と緑や夜半の秋(今井聖)

世の中は稲苅る頃か草の庵(芭蕉)

あぢさいのもう欺けぬ終のいろ(谷本元子)

梅咲くや何が降ても春ははる(千代女)

居眠りが居眠り誘ふ目借時(橋本典男)

二の足を踏む誘はれし岩魚釣(茨木和生)

秋ともし一病が吾の羅針盤(大木あまり)

その道の人か利休の墓洗ふ(森田峠)

やはらかき雨も三日や鉦叩(青谷小枝)

測るたびちがふ血圧小鳥来る(都丸美陽子)

相場師がじつと見ている蟻地獄(木俣正幸)

冬の夜五彩の黒を着る男(九里順子)

煮詰まつてゆくは夫婦の愛・憎・無視(筑紫磐井)

阿呆面して十六夜の月眺め(栗田麻紗人)

芒の穂双眼鏡の視野塞ぐ(右城暮石)

着ぶくれて敢へて世間に物言はず(菖蒲あや)

ひたむきに歳暮つかいの急ぐなり(岡本松濱)

居候三杯目にはそつと出し

女房の味は可もなく不可も無し

朧夜やカサブランカの弾き語り(徳永てい子)

菊日和いふにいはれぬお人柄(角田律子)

太公望灯火親しみ仕掛け編む(佐藤功子)

どん底の暮しのときの雑煮椀(河崎初夫)

料理書の底の聖書や十二月(中川朝人)

野菊とは雨にも負けず何もせず(和田悟郎)

世は不況わたしは不興秋扇(中嶋秀子)

聴きなれしピアノの底の前世かな(田中信克)

花を見る目配りにさへお人柄(高澤良一)

荷船にもなびく幟や小網河岸(永井荷風)

はるばると来て梅林に長居せず(柏村二三子)

餅二つ膨れ付きしを吉とせり(丸井巴水)

卒業名簿筺底(きょうてい)にして小吏なり(野口喜代志)

あたたかしその人柄もさりながら(下村梅子)

どうしても人が人焼く秋の風(斉藤玄)

此所小便無用花の山(其角)

鴨濡れて恋人の傘細かりし(瀬間陽子)

君の名をはたと忘れた咳をする(竹崎奇山)

毛虫落つそこに始まる物語(小泉八重子)

重心を低くしてゆく春の山(久行保徳)

鮎跳ねて簗にとびたる不覚かな(久保木信也)

誤字脱字合格祈願絵馬頓馬(木村いさを)

晩年の犬の歩みや冬たんぽぽ(広渡敬雄)

運命と片付けられてちゃんちゃんこ(杉山文子)

夏籠りと人には見せて寝坊哉(小林一茶)

何びとも時あるものと知りながらなほいそがるる人ごころかな(明治天皇)

短日や釣師迷はず竿しまふ(秋野三歩)

ヒキガエルつるり腑に落つささめごと(阿川木偶人)

仮の世のほかに世のなし冬菫(倉橋羊村)

散るものは散て気楽な卯月哉(正岡子規)

交番はいつもからつぽ花曇(半田陽生)

たのしみは草の庵の莚敷きひとり心を静めおるとき(橘曙覧)

慎重派大胆派ありケルン積む(村手圭子)

はこばれているとは知らぬ海鼠かな(山田麦城)

色里の名残の小窓野分立つ(中村初枝)

これやこの旬のさんまも冷凍魚(石塚友二)

目立たぬを身上とせり葛の花(関森勝夫)

ある日彼どつと老増す冬帽子(黒田杏子)

近松忌響(とよ)む高架を上に酌む(秋元不死男)

好色者(すきもの)は大抵無口竹婦人(中原道夫)

鰭酒や畳の上で死ぬつもり(亀田虎童子)

持ち唄は一つで通すちちろ虫(安藤しげる)

通帳にらんで女動ぬ道の端(きむらけんじ)

一つ趣味をば三十年亀鳴けり(永野由美子)

潜りたきこともあらうにみづすまし(岩瀬ミチ)

冷まじや湖底の村の私語(ささめごと)(斎藤達也)

梟のもの知り顔に夜は更けぬ(涌羅由美)

昼飯に酒を添へたり冬紅葉(斎藤まさし)

ポケットのなかでつなぐて酉の市(白石冬美)

あやまちを重ねてひとり林檎煮る(白石冬美)

バスはるかゆらめいてみゆ薄暑かな(白石冬美)

春服にポケットのなき不安かな(鹿野佳子)

飴いくつもポケットに転がす指の骨(鈴木すなを)

父健気人参買つて葱買つて(冨田正吉)

極月に眉月一つ星ひとつ(袴田菊子)

酒ゆえと病を悟る師走かな(其角)

電飾を勝手に巻かれし冬木らの哀しき貌が我が内に棲む(瀧上裕幸)

おろおろと生きてきたりし年月をええじゃないかと思うこのごろ(前川久宜)

多言語の雑踏の中歳の市(笹間茂)

露の世のなほも仮想の世に遊ぶ(近藤七代)

炒飯を妻に分け置く一茶の忌(しかい良通)

人生寒し風の迅さの捨馬券(竹鼻瑠璃男)

逃れきて終のすみかの炬燵かな(長谷川櫂)

審判を見上げ少女の夏果てぬ(北山順子)

(巻三十)審判を見上げ少女の夏果てぬ(北山順子)

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(巻三十)審判を見上げ少女の夏果てぬ(北山順子)

10月4日月曜日

本日で巻三十は読み切りとなりました。追って一挙掲載いたします。

午前、駅前の泌尿器科へ処方箋を貰いに行き先生に経過報告。しばらくは病院の方へ行くことになりますが、また何かありましたら宜しくと御礼。

写真は昨日活けた秋明[しゅうめい]菊という花で実は菊ではない花だそうです。

わたしの顔が覗かれており白菊黄菊(篠原信久)

午後の散歩は4時ころからさくら通りのリハビリ病院まで歩いた。病院に入り、インフルエンザ予防接種について伺ったところ特に予約無しで接種してくれるとのことだ。午後も受け付けてくれるのでこちらとしてはありがたい。それに駅前に行くよりは遥かに近い。

本日は五千三百歩で階段は2回でした。

願い事-知らないうちに叶えてください。

(巻三十)逃れきて終のすみかの炬燵かな(長谷川櫂)

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(巻三十)逃れきて終のすみかの炬燵かな(長谷川櫂)

10月3日日曜日

穏やかな秋の朝である。暑くもなく寒くもない。まだTシャツに短パンで過ごせる。

午後散歩に出かける。世の中はどうなっているのかと裏道伝いに駅前まで歩いてみた。行き交う人は皆マスクをしている。特に人出が多いと言うこともない。餃子で一杯したくなり、北口の王将で一杯。菊正の瓶詰一合が550円で餃子6個一皿がいくらか分からないが両方で810円だった。餃子は日高屋より旨い。帰り「ときわ」の前を通ったら閉店の知らせが貼ってあった。淋しい話だ。大将は元気にしているだろうか。3時過ぎに帰宅。餃子臭は嗅ぎ付けられずに済んだようだ。何しろ飲食店への立ち入りは厳禁で解除されていないのである。

ゆく年を封じ込めたる餃子食ふ(楠田英明)

本日は五千七百歩で階段は2回でした。足腰の回復に努めているが、だいぶ調子が戻った。

朝日俳壇から二句書き留めました。

一途なり明日を恃まぬ蝉の声(渡辺荻風)

長き夜や駄句推敲の果ての駄句(三輪憲)

酒一合が結構効いて、午後から夕方にかけてゴロゴロばかりしていた。昼酒は難しい。

願い事-静かに叶えてください。

「家のめぐり - 若山牧水」日本の名随筆26肴 から

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「家のめぐり - 若山牧水」日本の名随筆26肴 から

先づ野蒜[のびる]を取つてたべた。これは此処に越して来た時から見つけておいたもので、丁度季節なので三月の初め掘つてみた。少し過ぎる位ゐ肥えてゐた。元来此処の地所は昨年の春までは桃畑であつた。百姓たちが桃畑の草をとつて畑つづきの松林の蔭に捨て、毎年捨てられた草が腐つて所謂腐草土となり、その腐草土の下にこの野蒜は生えてゐたのである。しかも無数に生えてゐる。ざつと茹でて、酢味噌でたべる。いかにも春の初めらしい匂ひと苦味とをもった、風味あるものである。
神武天皇だかの御歌の中に『野蒜つみに芹つみに......』といふ句のあるのがあるが、わたしは郷里で幼い時よくこの野蒜つみ芹つみをやつた。野蒜は田圃の畦にあり、芹は水気をもつた田中の土に生えてゐた。どうしたものかこの野蒜つみはわたしのすぐ上の脚の不自由な姉と関係して考え出される。多分一二度も一緒に行つたことがあつたのであらう。それでも水田のくろを這ふ様にして摘んで歩く彼女の姿を端なくも見出でた記憶が残つてゐるのかも知れぬ。
つぎに嫁菜をよく摘んだ。これは寧ろ細君の方が先に見つけそして彼女の好みで摘んだものである。家の東は桃畑となってゐるが、二三人の百姓しか通らぬ桃畑の畔にも桑畑の畔にもいつぱい生えて居る。ほうれん草にも飽く頃で、一二度はおいしいものである。
たんぽぽの根は、牛蒡の様に、きんぴらにしてたべる。柔かだつたら牛蒡と違つた味をもつてゐてうまい。東京にゐた時、まだ学生の時分、戸山ヶ原で掘つて帰つて下宿の内儀を困らせたことがある。稀に八百屋の店さきでも見かけたことがあった。此処では誰も見返りもしない。
家の東と北は畑で、西と南は庭さきから直ぐ大きな松林となつてゐる。所謂沼津の千本松原の続きで、ツイ先頃までは帝室御用林であつたが、今は県が払下げてしまつた。二三町三四町の広さで、海岸ぞひに四里近い長さを持つた松原である。この松原の他と違つてゐるのはその下草に種々の雑木が繁茂してゐる事である。松は多く二抱へ三抱への大きさで聳え立ち、その枝や幹の下蔭に実にいろいろな木が茂ってゐるのである。で、海岸の松原といふものの、中に入つてしまへばいかにも奥深い森林らしい感じがする。その雑木のなかにわたしは楤[たら]を見付けて喜んだ。
楤[たら]の芽はうまい。これも季節の味で、その頃になれば自づと思ひ出さるる。そしてなかなか手に入らぬものの一つである。この木は竿の様な幹で、幹にとげを持つて居るそして芽は幹の尖端に生ずる。枝を持つたのもあるが、先ず幹だけの一本立が多い。何しろとげだらけの幹を撓[たわ]めて摘むので、なかなか骨が折れる。そしてその芽のやや伸びて葉の形をなしたものには裏にも表にもまたとげを生じて居る。この木が不思議とこの松原の中に多いのだ。庭さきから林に入つて行けば早や四五本のそれを見るのである。晩酌の前に一寸出かけて摘んで来ることが出来る。但し、番人に見つかればこれは叱られるに相違ない。
楤[たら]を探しつつくさぎの芽をも見付けた。臭木と書くのであらうとおもふが、この木はその葉も枝も臭い。ただ、若芽のころ摘んで茹づればそのくさみは抜け、歯ざはりのいいあへものとなるのである。
ともに味噌あへにするのであるが、楤[たら]には少し酢を落すもよい。楤[たら]の芽の極く若い大きいのだと、紙に包んで水に湿めし、それを熱灰に入れてむし焼にするのが一等うまい。独活[うど]の野生の若いのをもまたさうしてたべる。これは然し、ほんの一つか二つ、初物として見出でた時に用ゐらるる料理法でもある。つまり非常に珍重してたぶる謂[いひ]である。
二階などからはわたしの庭とも眺められるその松原にはまた無数の茱萸[ぐみ]の木が繁つてゐる。それこそ丈低い林をなしてゐる所がある。苗代ぐみもあれば秋茱萸[ぐみ]は今が丁度熟れどきである。昨日の朝、浜に出て地曳を見てゐた。そして一緒に網のあがるのを待つてゐた二人の娘がいつか見えなくなつた。程なく帰つてきた彼等はわれ先にと『阿父さん、手をお出しなさい』といふ。見れば二人ともに袂にいつぱう赤い小さな粒々の実を摘みためてゐるのであつた。
松原で咲く花のうち、最も早く咲いた木苺の花は既に散つて、こまかな毛を帯びたその青い実が見えて来た。そして森なかの常盤木にからんで枝垂れてゐる通蔓草[あけび]の花がいま盛りである。桃畑であつた時のままに置いてある家の垣根にもこの蔓草はいつぱいにからんでゐる。

 

(巻三十)人生寒し風の迅さの捨馬券(竹鼻瑠璃男)

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(巻三十)人生寒し風の迅さの捨馬券(竹鼻瑠璃男)

10月2日土曜日

細君がお越しにきて、血圧を測って、パンを焼いてミルクで食べて、薬を飲んだ。薄い血尿が続くが痛みや熱はない。

入院中の衣類の洗濯をした。本日は晴天なりで寝床マットと毛布を干した。

杞憂あり明けて朝来て毛布干す(鈴木明)

午後はゴロゴロして4時過ぎに散歩に出かけた。図書館へ行き予約した図書5冊を借りた。そこから曳舟川通りを歩き連光寺さまへ廻り今月の御言葉を一撮いたす。寺から亀中に沿って歩き、新道を渡り二丁目の裏通りをリハビリ病院へ歩く。二軒ある水商売屋さんは再開していた。生協に入り電池と饅頭を買い帰宅。本日は三千百歩で階段は2回でした。三千百歩なのだが、七千、八千歩いたような感じだ。たかだか3日間の入院でも足腰はすぐに衰えるのではなかろうか。

歩かねば芭蕉になれず木下闇(吉田未灰)

5冊借りた本は外れでありました。困った。

願い事-あの病院で静かに叶えてください。コワクナイ、コワクナイ。

入院の際には俳句手帳とICレコーダーを持参した。どちらも暇潰しに役立ったが、ICは軽さを優先して電池1本のBBCだけが蓄積されているオリンパスにした。今度入院するときは音楽も蓄積されている電池2本のソニーにしよう。最期の3曲は、「春夏秋冬」(泉谷さん)、「かもめ」(研さん)、 「河の流れのように」(美空さん)、 に今のところ決めている。「港町ブルース」(森さん)、「襟裳岬」(森さん)、「秋桜」(山口さん)、「時代」(中島みゆき) と聴きながら昏睡したい曲はあるあるあるである。

「老後資金(仮題) - 荻原博子」宝島社刊『60歳からの新・幸福論』から抜書

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「老後資金(仮題) - 荻原博子」宝島社刊『60歳からの新・幸福論』から抜書

100万円の投資で70万円得する「繰り上げ返済」

老後資金問題の根源にあるのは住居の問題かもしれません。住居は人生における最大の固定費です。
持ち家派の人は、マイホームという人生最大の買い物を、人生の大半の期間を使う分割払い(住宅ローン)で購入したわけです。勘違いしている人が多いのですが、家は住宅ローンを完済するまでは資産ではなく「借金の塊」です。もし、住宅ローンを抱えながら投資をしている人がいるとすれば、それは言語道断の話。それはお金を借りながらギャンブルに興じているのと同じことです。
私がいつも声を大にして言っているのは、「返済に勝る運用はなし!豊かな老後は住宅ローンがないところで成立する!」です。
住宅ローンは退職金で繰り上げ返済をして完済すればいいと考える人もいますが、退職金は年金だけでは足りない医療や介護の部分のお金として、キープしておくべきべです。
金利が低い時に住宅ローンを組んでいるのだから、早く返さないほうがいいという考えも間違っています。どんなに金利が低くても銀行の儲けである利息は必ず付いており、借りたお金は一刻も早く返済してこそ、次の道が開けていくというものです。
今も35年ローンを組んでいる人が目立ちますが、たとえば現在45歳で、10年前に35年のローンを組んだ人は70歳で完済。この人は65歳までの再雇用時代もローンを抱え、さらには年金生活時代も返済が続くことになります。60歳時点での残債を見ると(一般的なローンである35歳で借入金額3000万円、金利1・8%、借入期間35年、ボーナス払いなしで試算)、ローン残高は1057万円。これを70歳までに返済しなければなりません。60歳時点でローンが1000万円以上残っていたら、それは下流老人への道を選択しているようなものです。
そこで、すでに多額のお金を借りている人は、今日から借入金額を少なくするための努力をし、できる限り短期間で返済する努力をするべきです。定年前にはローンを終え、身軽になっておくのが家計における第一の優先順位です。
借金を減らす最強の方法は、「繰り上げ返済」です。ローンは一日でも早く返すとその分の利息分を払わなくて済むため、期間が短くなる「期間短縮型」で行うこと。先ほどの人がローン返済6年目に100万円分を繰り上げ返済していれば、利息が約70万円減り、借入期間も1年5カ月短くなります。つまり繰り上げ返済は利息が少なくなって、期間も短くなるので、ダブルで得をするというわけです。100万円の投資で70万円を儲けるのは至難の業ですが、繰り上げ返済なら、実行した人全員が100%の確率で得をするんです。
住宅ローンの繰り上げ返済は、最強の資産運用と言えます。

 

「空き家」急増で賃貸派には福音

もし、現在40~50代の家族持ちの人で、いまだに賃貸物件に住んでいることが恥ずかしいと思っている人がいたら、大きく胸を張ってください。私は身軽なほうが最終的に勝つかもしれないと思います。
今後日本は、少子高齢化が加速度を増すため人口はどんどん減っていくのに、新築物件の供給が過剰に続いてきたため、空き家が増えてしまっている。考えてみれば、一人っ子と一人っ子が結婚し、マンションを買ってしまったら、都心でも双方の親の家2軒が将来的に余ることになるんです。これからの日本は、ますます空き家が増えるのは間違いありません。野村総研によれば、2023年の空き家率予測は21・1%、33年には30・4%、実に2000万戸超が空き家になると予測しています。
一生賃貸というと、「高齢になると、家を貸してもらえない」と心配する人がいますが、全然そんなことはありません。
賃貸経営は、空室が最大の恐怖。貸したい若者は人口減少で少なくなるのですから、老人に家を貸さなければ経営が成り立たなくなります。
また、「一生、家賃を払い続けていけるかどうか心配」と言う人もいますが、これも心配ありません。日本はセイフティーネットが充実しているので、資産がなければ都営アパートという手もあり、老人でも借りやすいUR賃貸住宅も、今後、空室が増えていくのが目に見えているので、更新料なし、保証人なしで借りられるはずです。
たしかに、年金暮らしで家賃を払うのは大変かもしれませんが、マンションを買った人も、管理費や修繕積立金、固定資産税は一生払っていくことになるのです。一軒家を買った人も年数が経過すれば、家のどこかがガタがきてリフォームが必要になるはずです。賃貸なら身軽に動くことができますから、子どもたちが独立して家族構成が変わるたびに、激安物件を探しては引っ越せばいいんです。
ただし、安いとはいえ老後のための住居費と日々の生活費は変わらずにかかりますから、貯蓄をやめないことだけは、釘を刺しておきます。

 

節約に勝る貯めワザなし

私はいつも「借金減らして、現金増やせ!」と口ぐせのように言っているので、あだ名が「キャッシュー荻原」になってしまいました。収入を増やすのは難しいかもしれませんが、支出を減らすことは誰にだってできます。
これ以上の節約は無理という家庭でも、意外とムダが隠れているのが固定費です。「通信費」「保険料」「自動車経費」を見直せば、月1万円を浮かせるのは簡単です。
先日、私の友人が格安スマホに乗り換えました。スマホ本体は今まで使っていたものを使い、電話番号も同じです。友人はこれまでドコモに月額で約6000円払っていたんですが、現在はデータ通信3GBと音声通話30秒20円で月1500円ほどだとか。これを家族3人分として計算すると、年間約16万円も節約できるのです。友人は「格安スマホに換えてよかった」と会うたびに言っています。
このように節約することで、現金が増えるのです。「なんだ、節約か。節約するのは好きじゃない」と言った、そこのあなた。「節約に勝る貯めワザなし!」をぜひ、実行してみてください。
現役時代から「借金減らして、現金増やせ!」を実行し、年金をもらうのを少しでも遅くすれば年金だって増えます。年金を65歳から受け取らず、66歳以降にもらい始めることを「繰り下げ受給」といいますが、1カ月遅くもらうごとに年額が0・7%ずつ加算されます。65歳で月10万円の年金をもらえる人が、70歳からもらうことにした場合、年金は月14万2000円の支給額になり、これが亡くなるまで続きます。年金額は物価スライドで毎年変わりますが、支給額の割合は変わりません。
5年待って142%になる資産運用は、かなりの“高成績”です。
この場合の損益分岐点は82歳。81歳までに亡くなると、65歳からもらい始めたほうがよかったことになり、82歳以上生きれば得する計算です。もしかしたら、これが目標になって1日でも長生きしようと努力するかもしれません。
65歳ではなく70歳からもらうと年金が142%も増えるのがわかっているのだから、その5年間分を年金に頼らず生活するために、若いうちから「現金増やせ!」、つまり貯蓄をすることが大切です。
少しでも遅く年金をもらうことは、リスクのない立派な資産運用なんです。

 

夫婦円満の秘訣は「同じ方向を向く」

これまで老後のお金についていろいろと話してきましたが、老後を幸せに過ごすためには、お金以上に大切なものがあります。それは「夫婦仲」です。
そもそも論になってしまいますが、老後はお金がなくても、夫婦仲がよければそれだけで幸せなもの。老々介護も、住宅ローンの繰り上げ返済も、節約も、年金の繰り下げ受給も、夫婦が力を合わせてこそサクセスします。
話の締めとして、夫婦が仲良くするコツを伝授しましょう。
まず、夫婦できちんとお金の話をすることです。感情的になるのではなく、家計をデータとして計上し、「うちの家計はこうなっている」と夫婦でコンセンサスをとるのです。もし、家計がピンチなら同じ危機感をもつことで、「同志」になれるのではないでしょうか。
もうひとつは、犬や猫を飼うことです。私の友人で、65歳を過ぎて初めて犬を飼った夫婦がいるんですが、犬は夫婦仲を取り持つ大活躍をみせているそうです。
実は、ペットを飼うというのは一つの案でしかないのですが、転じて何を伝えたいのかというと、夫婦は向き合うのではなく、“同じ方向を向く”ことが重要なんです。ペットはその役割として最適だと思いのです。二人でテレビを観ることもいいと思います。お金の話を真剣にすることも同じことです。人間は同じ方向を向くと、心も自然と同じ行き先にたどりつくものです。
何が起きても二人で乗り越えられるような、「夫婦仲」という土台がしっかりとしていれば、たとえお金に困ることがあっても、意外に幸せな生活はできるものだと思います。

 

(巻三十)露の世のなほも仮想の世に遊ぶ(近藤七代)

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(巻三十)露の世のなほも仮想の世に遊ぶ(近藤七代)

 

10月1日金曜日

 

7時ころ部屋から青戸方向を一撮。町の屋根は濡れているが、雨粒はよく見えない。ラウンジに移り国道6号線を見下ろすと樹々が軽く揺れている(一撮)。まだ、町行く人の傘が煽られているようには見えない。カッパを着た犬が散歩している。

案外と野分の空を鳥飛べり(加藤かな文)

8時に美味しい朝食を頂く。パンであるが温めた食パンでトーストではない。これについては納得している。病院給食にトーストを用意するのは無理だ。

9時ころ才色兼備の薬剤師さんが来て薬の説明を受ける。尿酸値は5・1だったそうだ。彼女は少し脅すところがあって、「貴方の場合は長い間服用しているので大丈夫のようですが、尿酸値を下げる薬は肝臓障害を起こすことがあります。」などと言う。

9時半に主治医先生が来て今後の治療についてお話を頂く。3週間後に診察し、腎臓内の石の処置を検討することになる。今後はやはりこの病院で定期的に診察を受けた方がよいだろう。

院長先生や主治医先生や薬剤師さんの話振りを重ねると、2年半前の状況はかなり悪かったらしい。「あのときは大変だったが」のニュアンスで話される。

秋風やあとから気付くこと多し(加藤あや)

廊下では老女が「もういいわよ!もう嫌だわよ!」と嫌々ながらリハビリの訓練を受けている。トレイナーのお兄さんの熱意と婆さん無気力が廊下でスレ違う。これも酷しい延命措置と云えるのではなかろうか?婆さんも「生きたくもないが、死にたくもない」という心境で、多分、キツいリハビリまでして生きていたくはないということなのだろう。

いそぐ蟻なまける蟻とすれちがふ(吉田未灰)

ナース・ステーションに老人が来てウォシュレットが壊れていて困ると苦情を言っている。ナース・ステーションでも承知していて設備担当には連絡済みらしい。老人は他の階のトイレに行かせてくれと言っているようだが、感染対策でそれはダメだそうだ。どちらがいけないと言うこともないが、ウォシュレットがないと用が足せないという老人が出てきたようだ。私はウォシュレット無しで我慢して済ませたが、私も便座・水洗でないともう用が足せないかもしれない。便利なものに慣れると後戻りできなくなる。農耕牧畜を始めてしまい後戻りできなくなってしまった人類の宿命だ。

洋式の水を流して明易し(福本弘明)

11時に退院手続きを終わる。所得が減ったので限度額も下がった。慶ぶべきや?風雨やや激しくなる中をリハビリ病院行きのシャトルバスで帰る。ありがたいことに運転手さんが手前のバス停で停めてくれて歩く距離は最短で済んだ。

本日は千七百歩で階段は0回でした。

家に戻れば静寂も平穏も無くなる。ドアを開ければ傘の置場所から何から何まで煩いことを言われる。3日間の沈黙分を吐き出すかのようだ。おまけにラジオからは不愉快・不景気なニュースが垂れ流されてくる。お蔭できれいだった尿が赤くなった。あ~嫌だ嫌だ。

午後になり、風雨一層激しくなる。

やがて5時になり、葛飾区から峠は越したので避難所は閉鎖するとのメールが入る。しかし風は収まらず7時過ぎても哭いている。

この駄文を読んでくれているマリさんがお見舞メッセージをくれました。マリさんありがとね。

願い事-あの病院で叶えてください。多分、苦痛少なく逝かせて下さるのではないだろうか。コワクナイ、コワクナイ。

病室の壁とカーテンで囲まれた静寂な空間で目を閉じていると、“まっ、いいか”という諦めがにじみ出てくる。ここで座していれば不愉快な思いもせずに逝けるのではないかと“希望”さえ湧いてきた。

夜、PCのメールを開くとOB会からの訃報が入っていた。また七十歳前後の前期高齢の方が亡くなった。みんな逝くんだから、コワクナイ、コワクナイ。私も逝かなくっちゃ。

願うことただよき眠り宝船(富安風生)