(巻三十)露の世のなほも仮想の世に遊ぶ(近藤七代)
10月1日金曜日
7時ころ部屋から青戸方向を一撮。町の屋根は濡れているが、雨粒はよく見えない。ラウンジに移り国道6号線を見下ろすと樹々が軽く揺れている(一撮)。まだ、町行く人の傘が煽られているようには見えない。カッパを着た犬が散歩している。
案外と野分の空を鳥飛べり(加藤かな文)
8時に美味しい朝食を頂く。パンであるが温めた食パンでトーストではない。これについては納得している。病院給食にトーストを用意するのは無理だ。
9時ころ才色兼備の薬剤師さんが来て薬の説明を受ける。尿酸値は5・1だったそうだ。彼女は少し脅すところがあって、「貴方の場合は長い間服用しているので大丈夫のようですが、尿酸値を下げる薬は肝臓障害を起こすことがあります。」などと言う。
9時半に主治医先生が来て今後の治療についてお話を頂く。3週間後に診察し、腎臓内の石の処置を検討することになる。今後はやはりこの病院で定期的に診察を受けた方がよいだろう。
院長先生や主治医先生や薬剤師さんの話振りを重ねると、2年半前の状況はかなり悪かったらしい。「あのときは大変だったが」のニュアンスで話される。
秋風やあとから気付くこと多し(加藤あや)
廊下では老女が「もういいわよ!もう嫌だわよ!」と嫌々ながらリハビリの訓練を受けている。トレイナーのお兄さんの熱意と婆さん無気力が廊下でスレ違う。これも酷しい延命措置と云えるのではなかろうか?婆さんも「生きたくもないが、死にたくもない」という心境で、多分、キツいリハビリまでして生きていたくはないということなのだろう。
いそぐ蟻なまける蟻とすれちがふ(吉田未灰)
ナース・ステーションに老人が来てウォシュレットが壊れていて困ると苦情を言っている。ナース・ステーションでも承知していて設備担当には連絡済みらしい。老人は他の階のトイレに行かせてくれと言っているようだが、感染対策でそれはダメだそうだ。どちらがいけないと言うこともないが、ウォシュレットがないと用が足せないという老人が出てきたようだ。私はウォシュレット無しで我慢して済ませたが、私も便座・水洗でないともう用が足せないかもしれない。便利なものに慣れると後戻りできなくなる。農耕牧畜を始めてしまい後戻りできなくなってしまった人類の宿命だ。
洋式の水を流して明易し(福本弘明)
11時に退院手続きを終わる。所得が減ったので限度額も下がった。慶ぶべきや?風雨やや激しくなる中をリハビリ病院行きのシャトルバスで帰る。ありがたいことに運転手さんが手前のバス停で停めてくれて歩く距離は最短で済んだ。
本日は千七百歩で階段は0回でした。
家に戻れば静寂も平穏も無くなる。ドアを開ければ傘の置場所から何から何まで煩いことを言われる。3日間の沈黙分を吐き出すかのようだ。おまけにラジオからは不愉快・不景気なニュースが垂れ流されてくる。お蔭できれいだった尿が赤くなった。あ~嫌だ嫌だ。
午後になり、風雨一層激しくなる。
やがて5時になり、葛飾区から峠は越したので避難所は閉鎖するとのメールが入る。しかし風は収まらず7時過ぎても哭いている。
この駄文を読んでくれているマリさんがお見舞メッセージをくれました。マリさんありがとね。
願い事-あの病院で叶えてください。多分、苦痛少なく逝かせて下さるのではないだろうか。コワクナイ、コワクナイ。
病室の壁とカーテンで囲まれた静寂な空間で目を閉じていると、“まっ、いいか”という諦めがにじみ出てくる。ここで座していれば不愉快な思いもせずに逝けるのではないかと“希望”さえ湧いてきた。
夜、PCのメールを開くとOB会からの訃報が入っていた。また七十歳前後の前期高齢の方が亡くなった。みんな逝くんだから、コワクナイ、コワクナイ。私も逝かなくっちゃ。
願うことただよき眠り宝船(富安風生)