(巻二十三)地玉子のぶつかけご飯朝の冬(笠政人)

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 (巻二十三)地玉子のぶつかけご飯朝の冬(笠政人)

9月1日日曜日

今日三十歳になった男の子がthe地方都市に無言で戻って行った。無言たろうが無愛想だろうが、とにかくちゃんとした職について呉れたのでありがたい。

秋茄子やあとは上手に果つるのみ(阿知波裕子)

午後お暇をいただけましたが、呑む気にもなれず図書館に行ってみた。

図書館に涼むは爺ばかりなり(潤)

図書館内ではお喋りができないので婆さんは出没しないのであります。

本

「記録癖 - 別役実ちくま文庫 思いちがい辞典 から

を読みました。

《 「日記」中毒の最初の兆候は、「今日は何も書くことがない」と書き始めることで知られる、と言われている。勿論、論理的に考えれば、「書くことが何もない」などということは、おかしなことである。少なくとも彼は、その日一日生きたのであり、生きた以上「書くこと」もないはずはないからである。つまり彼は、このころから生きることの内容を「書くべき価値のあること」と「ないこと」に区別し始めているのであり、そのように生き始めているということであろう。
「今日も残念ながら書くべきことは何もない」と書き始めることによって、その症状はもうひとつ深化する。殆ど気が付かないことであるが、このとき彼は、「書くべき価値のある」生き方をしなかったことについて、その生き方のためでなく、「日記」のため、悔やみ始めている。そのことが、彼の人生のためでなく、「日記」のために「残念」なのである。
そしてこの病状は、或る日突然、「今日は書くことがあった」と、喜々として筆を運び始めることによって、決定的なものとなる。そのとき既に彼は、生きるために「日記」を書くのではなく、「日記」を書くために生きることを始めているからであり、しかも彼自身、そのことに気付いていないからである。》

あたしの日記は大したこと書いてないし、それほど重症ではないでしょう。

夏痩せて日記の余白目立けり(広瀬米)