「夜の隅田川 - 幸田露伴」中公文庫 文豪と東京 から

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「夜の隅田川 - 幸田露伴」中公文庫 文豪と東京 から

夜の隅田川の事を話せと云ったって、別に珍らしいことはない、唯闇黒というばかりだ。しかし千住から吾妻橋厩橋、両国から大橋、永代と下って行くと仮定すると、随分夜中に川へ出て漁猟[りょう]をしている人が沢山ある。尤も冬などは沢山出て居ない、然し冬でも鮒、鯉などは捕[と]れる魚だから、働いて居るものもたまにはある。それは皆んな夜縄を置いて朝早く捕るのである。此の夜縄をやるのは矢張り東京のものもやるが、世帯船[しょたいぶね]というやつで、生活の道具を一切備えている。底の扁[ひら]たい、後先もない様な、見苦しい小舟に乗って居る余所[よそ]の国のものがやるのが多い。川続きであるから多く利根の方から隅田川へ入り込んで来る、意外に遠い北や東の国のものである。春から秋へかけては総ての漁猟の季節であるから、猶更左様いう東京からは東北の地方のものが来て働いて居る。
又其の上に海の方-羽田あたりからも隅田川へ入り込んで来て、鰻を捕って居るやつもある。羽田などの漁夫[りょうし]が東京の川に来て居るというと、一寸聞くと合点がいかぬ人があるかもしれないが、それは実際の事で、船を見れば羽根田の方のはみよし[難漢字]の方が高くなっているから一目で知れる。全体漁夫という者は、自分の漁場を大切にするから、他所へ出て利益があるという場合にはドシドシ他所へ出て往って漁をする。それは是非共漁の総ての関係からして、左様いうように仕なければ漁場が荒れて仕舞うので、年のいかないものや、働きの弱い年寄りなどは蹈切って他所へ出ることが出来ないから、自分の方の漁場だけで働いて居るが、腕骨の強い奴は何時でも他所へ出漁する。そういうわけで羽根田の漁夫も隅田川へ入り込んで来て東京居るのだ。それも昼間は通船も多いし、漁も利かぬから夜縄で捕るのである。此等の船は隅田川に入って来て、適宜の場所に夜泊して仕事をして居る。斯ういうように遠くから出掛けて来るということは誠に結構なことで、これが益々盛になれば自然日本の漁夫も遠洋漁業などということになるので、詰り強い奴は遠洋に出掛けてゆく、弱い奴は地方[じかた]近くに働いて居るという訳になるのだろう。
縄の外にど[難漢字]以って魚を捕ってるものもある。縄というのは長い縄へ短い糸の著いたはり[難漢字]が著いたもので此はりというのは「ヒョットコはり」といって、絵に書いたヒョットコの口のようにオツに曲がって居るはりです。此はりに種々の餌を付けて置くので、其餌には蚯蚓や沙蚕[ごかい]も用いる、芋なども用いるが、其他に「ゴソッカイ」だの「エージンボー」だのという、陸[おか]にばかり居る人は名も知らないようなものがある。
それから又釣をして居る人もある。季節にもよるが、鰻を釣るので「数珠子釣り[じゅずごづり]」というをやらかして居る。これは娯楽にやる人もあり、営業にやる人もある。数珠子釣りははりは無くて、餌を綰[わが]ねて輪を作る、それを鰻が呑み込んだのをたま[たま]で掬って捕るという仕方なのだ。面白くないということはないが、さりながら娯楽の目的には、ちと叶わないようなものである。同理別法で櫂釣というのを仕て居る人もある、此の方が多く獲れる。はりを用いて鰻の夜釣をして居る人もある。時節によって鱸を釣ろうというので、夕方から船宿で船を借りて、夜釣をして居る人がある。その方法は全く娯楽の目的で、従って無論多く捕れるという訳にはゆかぬ。
大きな四ッ手網を枝川の口々へかけているものも可なり有る。これには商売人の方が九分であろう。雨の後などは随分やっているものだ。また春の未明には白魚すくいをやるものがある。これには商売人も素人もある。
マア、夜間通船の目的でなくて隅田川へ出て働いて居るのは大抵こんなもので、勿論種々の船は潮の加減で絶えず往来[ゆきき]して居る。船の運動は人の力ばかりでやるよりは、汐の力を利用した方が可い、だから夜分も随分船のゆききはある。筏などは昼に比較して却って夜の方が流すに便りが可いから、これも随分下りて来る。往復の船は舷灯の青色と赤色との位置で、往来[ゆきき]が互に判るようにして漕いで居る。あかりをつけずに無法にやって来るものもないではない。俗にそれを「シンネコ」というが、実にシンネコでもって大きな船がニョッと横合から顔をつん出して来るやつには弱る、危険千万だ。併し如何に素人でも夜中に船を浮かべているようなものは、多少自分から頼むところがあるものが多いので、大した過失[あやまち]もなくて済み勝ちである。
人によると、隅田川の夜は淋しいだろうと云うが決してそうではない。陸の八百八街は夜中過ぎればそれこそ大層淋しいが、大川は通船の道路にもなって居る、漁士も出て居る、また闇の夜でも水の上は明るくて陽気なものであるから川は思ったよりも賑やかなものだ。新聞を見ても知れることで、身を投げても死損ねる、......却って助かる人の方が多い位に都の川というものは夜でも賑やかなものだ。尤も中川となると夜は淋しい、利根は猶お更のことだ。
大川も吾妻橋の上流[かみ]は、春の夜なぞは実によろしい。しかし花があり月があっても、夜景を称する遊船などは無いではないが余り多くない。屋根船屋形船は宵の中のもので、しかも左様いう船でも仕立てようという人は春でも秋でも花でも月でもかまうことは無い、酒だ妓[おんな]だ花牌[はな]だ虚栄[みえ]だと魂を使われて居る手合が多いのだから、大川の夜景などを賞しそうにも無い訳だ。まして川霧の下を筏の火が淡く燃えながら行く明方の空に、杜?が満川の詩思を叫んで去るという清絶爽絶の趣を賞することをやだ。

(「文芸界」明治三五年九月定期増刊号)