(巻三十六)野をゆけど野に親しまず冬の川(田中裕明)

(巻三十六)野をゆけど野に親しまず冬の川(田中裕明)

2月12日日曜日

曇りで明けたが10時前に青空になる。朝家事は洗濯。

昼飯喰って、一息入れる。

後釜の初炊きをするのでその時間帯2時半から3時半まで禁足となる。

炊飯器にはいろいろなスイッチがあり、選択肢がある。普通米、無洗米、五穀米とかで、炊き方も極上とか寿司とか5つくらいの選択肢がある。60頁もある取説を捲り、試行錯誤でボタンを押して、セットして、炊飯開始。一時間弱でピコピコと鳴り、心配しながら蓋を開けたらちゃんと炊けていた。

菜飯炊く使ひ勝手の悪き釜(中島信也)

炊けたのはよいのだが、片付けも取説を睨みながらになった。部品名が頭にスッと入らず手間取った。

説明書読めど蛙の目借時(大曲富士夫)

しかし、電気炊飯器で炊いたご飯がずいぶん美味しくはなった。

白金のご飯黄金の寒卵(日下光代)

願い事-涅槃寂滅、酔生夢死です。

いろいろゴタゴタしていたので俳壇が6時ころ届けられた。中から、

春隣見えないけれど死の隣(二宮正博)

を、

ちらつく死さへぎる秋の山河かな(福田甲子雄)

の隣に書き留めた。

「光の鱗 - 西村寿行」文春文庫 巻頭随筆3 から

を寝る前に読み返してみた。

寄居虫や東京といふ潮だまり(山崎崇世)

「光の鱗 - 西村寿行」文春文庫 巻頭随筆3 から

昔、漁夫をしていた頃があった。

家が瀬戸内海で小さな網元をやっていた。敗戦後のことである。生家は名もないような島にあった。海のオデキのようにポツンと突き出た島だ。

島の段々畑の一面に桃の木の林がある。その桃がうっすらと色づくと、鰆[さわら]網漁がはじまる。

鰆が終わると鯛である。

鯛網のつぎはまなかつをの網だったように記憶している。まなかつおが終わると冬だ。冬は、これもうろおぼえだが、いかなご漁だった記憶がある。

いかなごを獲る網のことを島ではバッシャ網といった。

バッシャ網は急流に張る。軍艦が使うような巨大な錨を二つ投げ込み、その間を網でつないである。いかなごが潮に流されて来ると、その網にかかる寸法だ。網の目は鯨でも潜り抜けそうに荒いが、いかなごは抜けない。おそれて中心部に寄ってくる。中心部には長い袋がついている。そこに入って一網打尽になる。

漁夫は船にいて、袋だけを引き揚げる。空にして、また、放り込むのである。ずいぶん間の抜けているようで、滑稽でもある漁法だが、それでも豊漁だったようだ。

しかし、網を張る場所は汽船の航路であった。上り下りの客船、貨物船がひっきりなしに通る。つねに危険がつきまとっていた。

昼間はよい。漁船がみえるから、先方で進路を変えてくれる。問題は夜だ。バッシャ網は昼も夜も休みなしだ。六時間ごとに潮が変わるから、そのたびにどちらか片方の錨を動かして、網を反転させるだけである。

夜、漁船は小さなバッテリーの灯を点[つ]けているだけだ。波があったり、雨や霧があると、遠くからはその灯がみえにくい。灯がみえないと、巨大な鉄船が闇を割[さ]いて真一文字にのしかかって来る。

漁夫は死に物狂いになる。そうしたときのばかりではないが、たいていは焚き火をしている。その薪を掴んでわめきながら振り回すのである。おかしな漁夫がいた。その漁夫はあわてると、いつも、決って、シャモジを掴んで振り回すのだった。

冬の海、とくに夜の海は寒い。何枚も下着を着込んではいるが、潮気を吸って、重くて、冷たい。漁船は波に揺られどおしだ。ぼくは新米だから、汽船の見張りが仕事だ。

先輩の漁夫は眠っている。ぼんやりと海をみている。海にはバッテリーランプの落とす灯が無数の波に映えている。光の鱗のようにチラチラしている。みつめているとどういうわけか哀しくなる。潮気を吸った服の重くて冷たいのが哀しみを誘い出すのかもしれない。

ある夜、どこへ向かうのか、きらびやかなライトで船体を飾った客船が通った。豪華客船であった。その船はぼくたちの漁船を最初から避けてくれた。しかし、遠のいたわけではなかった。すぐ傍を通ったのである。

船客にみせるためだったのだと思う。舷側にはおびただしい男女が出ていた。客船はビルの二階か三階の高さがある。男女がぼくを見下ろしていた。着飾った男であり、女であった。女たちの白い貌[かお]がぼくの脳裡に灼きついた。客船は灯火の波に包まれていた。凄絶なほどの美しさにみえた。

やがて、豪華客船は遠ざかった。ぼくの漁船は客船の残した波のあおりに翻弄された。小山のようなうねりが何波も襲いかかるのだった。

ぼくは闇に消え行く豪華客船を見送った。どこに行くのかわからない。どのようなひとびとが乗っているのかも、わからない。わからないままに、最後の灯が闇に溶けるまでみつめた。

都がある - ぼくは、そう思った。豪華客船の消え、着飾った男女の消えたかなたにはきらびやかな都がある。波のはてに、闇のはてにある都に、客船は向かったのだと思った。

ぼくは都もみたことがなければ、豪華客船に乗ったこともなかった。せいぜい、高松市に出て映画館に入るのが冒険であった。

海のかなたには都がある。客船はその都に向かい、ひとびとも都に向かう。泣きたいほど哀しかったのをおぼえている。

無学文盲で、色の真黒い漁夫の小伜に、かすめすぎた女たちの白い貌は、無縁の存在であった。都とは縁のない自分が、哀しかった。

二十何年か後に、ぼくは東京に住んでいた。

中野区と新宿区の境であった。毎晩、妙正寺川沿いの道を歩いて、家に戻った。流量の少ない川だが、それでもアーク灯の光を落としている。無数の光の鱗が流れ去っていた。ときに、立ち止まってみつめた。あのときの光の鱗と変わらなかった。その部分にはあざやかな瀬戸内海の過去が息づいていた。重くて冷たい服が自分を覆っているのが感じられた。

都に住んですでに十数年になる。

たしかに、都ではあった。しかし、ぼくは、宿無しに近い状態であった。だれも、かまってくれなかった。都の心臓部をみたこともない。白い貌の女はみかけるが、近寄るすべもない。二十何年か前と、本質的には、変わるところはないのだった。

いつまで、この光の鱗をみつづけねばならないのかと、それが、哀しかった。