(巻二十三)さむざむと老人が行く無理もなし(菅原けい)

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(巻二十三)さむざむと老人が行く無理もなし(菅原けい)

9月18日水曜日

晴れくもり

横着して傘を持たずに出掛けたが、予報通りの雨に遭いました。

桃買つて予報通りの雨に遭う(松井国夫)

雨に濡れるのは文科省の駐車場から千代田線の駅までで、財務省のほぼ一辺。それと最寄りバス停から団地の号棟までで、こちらの距離は財務省の一辺よりやや長い程度であります。
ですから、余程の強雨でなけれはそれほどは濡れないのであります。
加えて帽子を常時着用していますから、髪の毛が濡れることはありません。もっともその濡れるはずの髪の毛があった沃野は今や枯れ野となってしまいました。

若ければ走つた筈が秋時雨(岩藤礼子)

テレビ

マギーさんからお菓子のお裾分けを頂く。ありがとね!

教卓に誰ぞ置きたる檸檬あり(井上睦子)

本

「死を憎まば、生を愛すべし(吉田兼好の死生観とその普遍性) - 中野孝次」文春文庫 清貧の思想 から

を読みました。

厭離穢土[おんりえど]という言葉を以下の文中で知りました。

《 こんなふうに短い文章で、ノミで穿[うが]つように鋭く明快に、死というものが思いもかけず襲いかかることを説く。この文章の力は並大抵のものではない。よほどふだんから深く死の来襲について思索を深めていた人の認識であって、『徒然草』の魅力は、生をそんなふうにいつ来るか知れぬ死の上に浮ぶ危うい時と認識し、しかしだからと言って『一言芳談抄』の坊さんたちのように、「とく死なばや」と厭離穢土[おんりえど]をすすめるのではなく、そういう生であるからこそ、

されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらをや(第九十三段)

生きてある今のありがたさの自覚へと人を誘うところにある。たった一行の短文だが、この言葉は一度知ったら忘れられぬ力強さに満ちている。》

生まるれば遂にも死ぬるものにあれば
この世なる間は楽しくあらな
(大伴旅人)