「苦ということ - 増谷文雄」講談社学術文庫 釈尊のさとり から

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「苦ということ - 増谷文雄」講談社学術文庫 釈尊のさとり から

では、まず、その苦とは何でありましょうか。そこを、まず、とっくりと考えてみなければなりません。
釈尊が、正覚成就ののち、はるかバーラーナシーの郊外、イシバタナ・ミガダーヤにおいて、はじめての説法をなされた時、その最初に説かれたことは、他でもない、苦の問題でありました。苦とは何であるかということでありました。一つの経はそれを、つぎのように叙しているのであります。

「比丘[びく]たちよ、苦の聖諦[しようたい]とはこれである。いわく、生は苦である。老は苦である。病は苦である。死は苦である。歎き、悲しみ、苦しみ、憂え、悩みは苦である。怨憎するものに会うは苦である。愛するものと別離するのは苦である。求めて得ざるは苦である。総じていえば、この人間の存在を構成するものはすべて苦である」

そこに「苦の聖諦」というのは、苦についての聖なる命題というほどの意味のことばがあります。「比丘たちよ、わたしの苦に関する命題はこれである」と、釈尊はまず、苦とは何であるかについて、この「苦の聖諦」」を、はじめて釈尊の説法を聞く五人の修行者のまえに打ち出したのであります。
そこで釈尊が語られたものは、まず、生・老・病・死の四つの苦でありました。これを後代の人々はよく「四苦」と申しました。だが、それだけではない。わたしどもこの人間としての存在は、なおいろいろの苦にとりまかれています。
「怨憎するものに会うのは苦である」。それを中国の訳経者たちは「怨憎会苦[おんぞうえく]」と訳しました。また、「愛するものとの別離は苦である」。それを中国の訳経者たちは「愛別離苦[あいべつりく]」と訳しました。美しい訳語でありました。さらに、「求めて得ざるは苦である」。それは漢訳では「求不得苦[くふとつく]」と訳されました。
そのように追求してまいりますと、結局、「総じていえば、この人間の存在を構成するものはすべて苦である」ということになります。それは漢訳においては「五蘊[ごうん](陰[おん])盛苦[じようく]」などと訳されております。五蘊もしくは五陰というのは、人間を構成する肉体的および精神的諸要素をあげて、人間存在のすべてを指していることばでありまして、つまり、われら人間のそんざいは、いずれの面よりいっても、すべて苦におおわれているのだというのであります。

そこで、ちょっと立ち止まって考えてみなければならぬことは、そのように釈尊が考えられた苦というものは、どうやら、わたしどもが一般に考えているところの苦とは、ちがうところにあるようであります。
たとえば、わたしどもは、怪我をして痛いから苦しいとか、あるいは、貧乏で生活が苦しいとか、苦しいというと、まず、そんなことを考えるようであります。ところが、釈尊は、四苦すなわち生・老・病・死を中心として苦を考えておられます。とすると、どう考えたならばよいか。そう思っている時に、わたしは、ふと、一つの経(南伝、相応部経典、三八、一四、苦。漢訳、雑阿含経、一八、一、難等)において、苦の分類がこころみられていることを知りました。
それは、釈尊の弟子の比丘のサーリプッタ(舎利弗)が、マガダ(摩掲陀)の国のナーラカ(那羅迦)という村にとどまっている時のことでありました。その村は、彼の故郷でありますので、帰省していたのでもあろうかと思います。そこに、かねて知り合いの外道の遊行者のジャンプカーダカ(?浮車)なるものが訪ねてまいりまして、いろいろの質問をいたしましたが、そのなかに、つぎのような問答がしるされているのであります。

「友サーリプッタよ、苦、苦と称せられるが、友よ、いったい、苦とはなんであろうか」
「友よ、これらの三つが苦である。すなわち、苦苦性[くくしよう]、行苦性[ぎようくしよう]、壊苦性[えくしよう]である。友よ、これらの三つが苦である」

このサーリプッタという比丘は、後年いうところの十大弟子中の随一でありまして、その頭脳の明晰なることで知られ、智★第一の仏弟子と称された方でありますが、いま、この質問にたいする応答もまた、明快なるものであります。
彼は、ここで、いわゆる苦なるものを、三つに分類して説明しております。まず、苦苦性というのは、肉体的苦痛によって引き起こされる苦であります。たとえば寒さとか、暑さとか、飢えとか、渇とかといった肉体的苦痛によって引き起こされる苦、“苦しいから苦しい”といった苦であります。
つぎに、まず、壊苦性から申しあげると、これは、環境もしくは身分の変化によっておこる苦であります。たとえば、いままで金持ちだったものが貧乏になるとか、高い地位にあったものが左遷されるとか、順境から逆境に転落する。つまり、“好もしきものが壊する苦しい”が壊苦なのであります。
たが、もう一つの、行苦性というのは、いささか難しい。そこで行とは、古来から「遷流」の義ありと注せられております。つまり、行とは「移ろう」ということであります。万物は流れるであります。この世はすべて無常転変であるということをいっておる言葉であります。

詮ずるところ、この世のすべてのものは、一時[いっとき]としてじっとしておるものはない、すべてが絶えず変化しているのであります。だから、そのなかに住むわたしたちの場合も、生ある者はかならず死があるのであります。若きものめかならず老いるのであります。形あるものはかならずいつか崩れるのであります。まさしく一切が無常なのであります。行苦というのは、そのような世の中に生きて、そのような有為転変によって感ぜしめられる苦しみなのであります。
では、わたしどもは、それらさまざまの苦しみに対して、いかなる対応策をもっているのでありましょうか。まず苦苦性の苦の場合には、その好ましからぬ事象を除くことができれば、それで一応は、その苦しさは克服することができるのであります。
ことしは、暑くってたまらないという時でも、“暑さ寒さも彼岸まで”で、やがて気温が適温になれば、その苦しさもなくなるわけであります。切傷をして痛いという場合も、薬をつけて包帯をしておけば、やがてその苦しみは除くことができましょう。あるいはまた、金持ちであったものが貧乏になったという場合だって、いままでの怠惰に気が付いて心機一転して努力すれば、その苦しみからやがて脱出することもできるでありましょう。
だが、しかし、行苦という場合には、なかなかそうは行きません。なんとなれば、そこでは一切が無常のなかにあります。すべてが絶えず移り易るのであります。生あるものはかならず死なねばならぬのであります。若きものかならず老いねばならぬのであります。あらゆるものが有為転変のなかにある。そのなかにあっては、その苦しみから免れるすべはないように思われます。
釈尊がその出家にあたって担っていた課題、生・老・病・死は、まさしく、その行苦の典型的なものでありました。
そういう私も、すでに七十路を半ばすぎまして、いまや、生・老・病・死のまっ只中におかれております。だから、この行苦というものをつくづくと感ずるのであります。
そんなときには、親鸞聖人がその書簡の一節に、「目もみえず候、なにごともみなわすれて候うえに、ひとなどにあきらかにもうすべき身にもあらす候」などと記された文句が、ふと頭に浮かんでまいります。つらいことでございます。それが、私などは、この年になりまして、ようやくこのことに気が付いているのでありますが、経のしるすところによりますと、釈尊は、まだ若冠二十九歳の時に、このことに気付いて出家なさったということ。そして、いま、ついに正覚を成就なさり、縁起・縁滅の法によって、よくその生起の真相を観察せられ、また、その克服の方途を確立されたのであります。