「モデルの弁 - 常磐新平」文春文庫 巻頭随筆3 から

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「モデルの弁 - 常磐新平」文春文庫 巻頭随筆3 から

生れてはじめてモデルになった。どんな製品のモデルからも縁遠いと思っていたが、中年男のしょぼくれた、きの弱そうなところがいいのだというおだてに乗って、英和辞典のモデルとして、三時間ばかり写真をとられた。どうしてモデルを引きうけたのかと後悔したがら、スタジオの照明を浴びて、笑ったり喋ったり、精一杯気楽にかまえたつもりでいた。
その英和辞典のポスターは十二月一日から、学生が乗り降りする駅にはりだすと聞いていた。その日の朝から電話がひっきりなしにかかってきた。見ましたよ、とどなたも笑いながら言うのだった。迫力はありますね、と言う人もいたが、そういう人はポスターをほめるのに明らかに困っていた。
午後、仕事で御茶ノ水で降りて、改札口を出るとき、私は思わず顔をそむけた。三枚のポスターで、等身大の私が図々しく笑いかけている。まいったなあ。
してはいけないことをやってしまう、私の悪い癖がまた出た、とおもった。自分には向かないと知りつつも、なんとかなるだろうと難しいこともつい引き受ける。だから、気が弱そうで、意外に厚かましい。
鮨屋の若旦那は国電の駅でポスターを見て、あれじゃ辞書は売れませんね、と言った。中年になりかかった映画評論家は新宿まで行くのに、代々木駅でポスターを見かけて、途中下車したそうである。若き翻訳家は、夫人から、関根恵子さんと同じ大きさなポスターがはってあるという電話がかかってきたらしい。彼は、関根さんのポスターなら家に飾りますが、あなたのどうも、と私に言った。
暗いニュースばかりだった。私は英和辞典に悪いことをしたのではないかと思った。その辞典は、私も久しく愛用している。もともと辞典類は好きであるが、この英和辞典にはとくに愛着があった。
それで、モデルの話があったとき、ほかに候補者がいなければ、このオレがという気持になったのである。でも、モデルはセーラ・ロウェル嬢がいいのではないでしょうか、といちおうは言ってみた。
信頼する英和辞典の宣伝のモデルになるのも悪くないのではないかと考えたことも事実である。そうすれば、英語がものすごくできるようにみられるのではないかという、さもしい根性もあった。つまり、生れてはじめてモデルになるについて、私の心は複雑にゆれうごいたのである。しかし、後悔することはすでにわかっていた。宿酔のときのように、布団をかぶって、嵐が過ぎるのをじっと待っていなければならない事態を覚悟していた。
私がしょげているのを見て、先輩は慰めてくれた。さすがにプロの写真家はちがう。あの写真はきみの一番いいところをひきだしているよ、と。もちろん、私にしても写真家にひそかに感謝している。まさに私自身なのである。ポスターの私にむかってお辞儀しちゃったという人もいるほどだから。
そうではあるけれど、私は、ポスターを見て電話をかけてきた人たち以上にショックを受けた。学生が多い国電や地下鉄の駅の掲示板で、等身大の私がにやにやしているかと思うと、申しわけありませんとお詫びしたくなってくる。手の内をさらけだしたようで。何も私ごとき者がしゃしゃりでなくてもよかったのではないか。
私を力づけてくれた先輩はこうも言った。あれは、「私も英語が話せなかった」という顔だよ。だから、辞書が売れるんじゃないかね。ほんとに、あれは英語のできる顔じゃない。宣伝の人はそこに目をつけたんじゃないのかな。そうであればいいと思う。一冊でも多く英和辞典が売れてくれれば有難い。私の顔がなくても、いい辞書なのだ。
顔ではいつも苦労してきた。拙書に著者の写真を入れるというので、写真を何十枚かとってもらった。できあがってきた写真を見て、もっといいのがなかったんですかと訊いたら、担当編集者から、そんなもんじゃないですかと言われて、そんなものかと思ったことがある。
そういう苦い経験があっても、モデルになった私の神経は相当に太いといわなければなるまい。ただ、ちっとも晴れがましい気持にはなれないでいる。
ポスターはとりさられたのに、いまでもまだ電話がかかってくる。相手の話にかならずエヘヘヘとかオホホホという笑声がはいる。その笑声の意味はわかっている。笑う人たちは、あのカーディガンがよかった、高かったでしょうとか、シャツがいいとか、鉛筆を持つ手が自然でいいなどと言う。彼等は私の顔が存在していないかのような口ぶりである。まあ、いいや。
しかし、毎日電車て通勤しながら、あの目立つポスターにまったく気がつかなかった友人もいたのである。その友人にモデルの弁を語ったら、冗談はよせと言われた。