「ジョー、鉄兵、松太郎はこうして生まれた - ちばてつや」新潮文庫 百年目 から

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「ジョー、鉄兵、松太郎はこうして生まれた - ちばてつや新潮文庫 百年目 から

僕が気になるスポーツは、野球と相撲。リアルタイムで見ることができなくても、必ずテレビでチェックして、安心したり、ガッカリしたりしてから寝ます。でも、どちらかというと、観戦するより、自分でする方が好きですね。
テニスと草野球をやっています。特にテニスは、ラジオ体操代わり。毎朝8時頃起きて、何か口に入れて、近所のテニスクラブで一汗かいてから顔を洗う(笑い)。これは、ひとつには、アトピー体質改善のためなんです。汗をかいて、お風呂に入って、薬を塗るという生活のリズムがあると調子がいいんですね。一汗かいてからだと、非常に落ちついて仕事ができるということもあります。昼食をとってから夜中の12時まで仕事をするのですが、こんな風にスポーツを生活に組み込めるようになったのは、ここ10年のことですよ。それまでは、眠る暇もないほど仕事に追われていましたから。
スポーツ漫画を描き始めたのも、少年マガジンの方針。僕の意志じゃなかったんです。それどころか、仕事が遅いから週刊誌は自信がないと断っていたくらい。そしたら、今度は原作者をつけるから構成と絵だけやってくれと頼まれた。そこで、渋々受けたのが「ちかいの魔球」だったんです。本でルールを見直したり、人気球団をリサーチしたり、担当の編集さんに教えてもらいながら野球を覚えました。もちろん、子供の頃から草野球くらいはしていましたけれど、最初はマウンドを描くのを忘れてしまうくらい野球には疎[うと]かったんですよ。
あしたのジョー」の場合は、「ハリスの旋風[かぜ]」という作品を書いた時に、ボクシング部で暴れるエピソードがあったので、ボクシング部の雰囲気というのはどんなものか見学に行ったんです。その時、取材したコーチの話の中に、「この中のほとんどの人間が、咬ませ犬として潰れていくんだ。才能があって光っているやつが上へ行くためにね」という言葉があって、それを聞いているうちに、この世界のことを書けそうだなと、初めて自分から描きたいと思った作品でした。



それぞれのキャラクターは、取材をしているうちに浮かび上ってきます。たとえば、相撲の教習所から相撲部屋までお相撲さんを尾行したことがありました。すると、教習所の食堂で驚くほど食べたのに、帰りにペロリとラーメンを平らげちゃう。その後でお菓子を買って、可愛い女の子が通ると目で追っている。そういう姿を見ると、彼らはまだ子供なんですね。しかも、部屋に戻ると厳しい生活が待っている。教習所から部屋までの道中だけが天国なんだなとか、いろいろなことが見えてくるわけです。
種目は何でもいいんです。松太郎というと相撲漫画、鉄兵というと剣道漫画と言われますが、僕が描きたいのは、人間のドラマなんですよ。松太郎のような無神経な男を相撲という封建的な世界に放り込んだらどうなるのか、鉄兵のような野性児を都会の規律の厳しい名門学校へ入学させたらどうなるのか。人との出会いによって、輝きのない人生を送っていた人が自分の才能に目覚める。あるいは、不良で危なっかしい人間が生きる悦びに気がつく。そうなった時にひたすら人生を昇りつめていく姿を描きたい。僕にとって、スポーツものは、人間の生きざまをわかりやすく表現するための手段なんですね。
もちろん、そこにはドラマが必要です。ジャイアンツが桑田を指名した時に清原が泣いたでしょ。その後で西武に入団しジャイアンツと戦って、優勝が目前の場面でも泣いた。それを僕は一塁側で見ていたんですが、胸があつくなるようなドラマを感じました。あるいは、才能はあるのに身体[からだ]に恵まれない、逆に身体はあるのに才能が足りないという場合もある。そういう挫折を繰り返しながら成長するところにドラマを感じます。だから、おしなべて身体に恵まれていない人が努力する姿を描くのが好きなんですよ。相撲でいえば寺尾。あの身体で真っ向から攻めて弾き飛ばされたりしている姿を見ると、ああ健気[けなげ]だなと応援してしまう。野球でいうと、大石とか若松。身体のない人は精一杯やらないとみんなと並べない。スポーツは何でも格闘技ですから、思いっきり燃焼しているという感じがして爽やかなんです。
勝ち負けは二の次。たとえ負けても、よくやったと思うことができれば、見ている方も元気になれます。そこがスポーツの素晴らしいところだと思います。感動に、プロもアマもありません。草野球といえども、ファインプレイがあれば興奮しますよ。
実は、僕、この間テニスの試合でめずらしく仲間に褒められて「こういうことがあるからやめられないんだな」と思ったばかりなんです(笑い)。