(巻二十六)熱燗や掴みどころのなき男(松永幸男)

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(巻二十六)熱燗や掴みどころのなき男(松永幸男)

 

9月12日土曜日

 

昨夜は寝はぐってしまい払暁まで寝床で悶々と過ごした。

そこから寝込んだので定刻には起きられず。

寝はぐったのは耳鳴りがひどかったためだ。

何故耳鳴りがするのだろう?今もしている。年を取れば仕方がないのだろうが、気になってしまう。

 

耳鳴りの耳振つて聴く時雨かな(小出恋)

 

9時ころ起こされた。五時間くらいは寝たのだから、まあいいか。

散歩でもして気分転換してらっしゃいと云われて雨の落ちてきそうなさくら通りを歩いてみた。

 

散歩:

 

中途半端は困るという意識があるのだろう、さくら通りのそばにあるクリニックの診察時間などシゲシゲと見てしまった。そのクリニックは土日も午前中は診察しているようだ。

生前供養に菓子でも買って帰ろうかと思ったが、雨が降りだしたので

 

駄菓子買ふ生前供養や秋彼岸

 

と句を駄句を捻っただけで家路についた。(写真は日々の供物です。)

 

本日は三千歩で階段二回でした。

 

読書:

 

「検査は身体に悪い - 土屋賢二」文春文庫 紅茶を注文する方法 から

 

《人間は、自分がどんな人間であるかに強い興味を示すものだ。自分の容姿を鏡や体重計で仔細に点検したり、自分にどんな才能があり、どんな運命をたどるが、などを知りたがるが、それも若いうちだけだ。

年をとると、もっと重要なことがあることに気づき、鏡を見るよりもスポーツ新聞を読む方を選ぶようになる。

実際、中高年の者が自分を点検してもロクなことはない。点検の結果判明するのは、本人が思っている以上に、才能がなく、他人に嫌われ、病気が進み、この先すべてが悪化する一方だということぐらいだ。

こういう事実を発見してどこが面白いのであろうか。人間ドックに進んで入る人の気が知れない。検査しなくても悪いところがあるに決まっているのだ。

それをわざわざ検査で探すのは、一カ月放置していた牛乳がどうなっているかを確認するようなものだ。それを確認したがるだけで異常と診断してもいいくらいだ。》

 

と始まっています。

土屋先生の仰るとおりです。良くないところを指摘されるだけで縮みあがります。小心ゆえ、耳鳴りがはじまります。

 

“知らぬが仏”とも云ます。「告知」は難しい問題ですが、今はするらしい。

 

晩秋やあつさり癌と告知さる(松重幹雄)

 

願い事-叶えてください。つまり、小心ゆえ知らないうちに逝きたいということです。

 

真贋は知らぬが仏土用干(岩崎美範)