2/2「親と子 - 加藤秀俊」中公文庫 暮しの思想 から

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2/2「親と子 - 加藤秀俊」中公文庫 暮しの思想 から



そんなふうに考えてくると、いったい、親子とはそもそも何であるのか、という根源的な疑問をあらためて問いかけてみなければならないようにも思われる。
おそらく、この問に反発するひとも多かろう。親子は親子だ、親子の骨肉の情というのは自然なもので、それは理屈で分析できるものではない - そんなふうにいうひともあろう。
じっさいのところ、桑原武夫他の『「宮本武蔵」と日本人』によると、吉川英治著『宮本武蔵』にふくまれるモチーフのうち、「骨肉愛」という無条件的な徳目への読者の共感はきわめて高い。とりわけ農・漁村の読者は「骨肉の愛は人間自然の情であって、世の中のずべての人びとに通ずる大きな愛情である」という命題に、圧倒的な支持を与えている。
それはそれでよいのかもしれぬ。しかし、「骨肉の情」というのは、ことによると、これまで論じてきた親子の「問題」をやわらかく、あいまいに包む糖衣のようなものであるのかもしれない。苦い薬をのむのがいやだから、糖衣錠でごまかしているようなものだ。
安岡章太郎の『海辺の光景』は、その糖衣をはがす小説である。わたしは、この作品の評判をきいてはいたが、こんどはじめて読んで、大きな衝撃をうけた。現代小説のなかでこんなにも親子関係の本質に肉薄したものを、わたしは他に知らない。
『海辺の光景』の主人公信太郎の母は南国の精神病院に入院している。病名は老耄性痴呆症。入院させられたとき、母はひとりポツンと窓から海のみえる病室にすわっている。
「信太郎は両手を不器用に母の肩に置いた、すると掌の中に骨ばった小さな肩が感じられた。母は振り向いて、信太郎を横眼で見た。肩においた手に思わず力が入り、軽く前へ圧した。.....信太郎は、部屋の出口まできて、もう一度、振りかえった。そのときはじめて自分から、何か言ってやりたり気持が起った。だだっぴろい部屋の真ん中に、落ち着かなそうに坐って眼をキョトンとさせている母の姿が小さく見えた。」
やがて、母の病状は悪化して、陰惨な死を迎える。
「 - 九日間、そのあいだ一体、自分は何をしていたのだろう。あの甘酸っぱい臭いのする部屋に一体、何のつもりで閉じこもっていたのだろう。たとい九日間でも、そのあいだ、母親と同じ場所に住んでみることで、せめてもの償いをするつもりだったのだろうか?償いというにはあまりにお手軽だとしても、しかしそれなら一体、何のための償いなのだろう。何を償おうとしていたのだろう?そもそも母親のために償いをつけるという考えは馬鹿げたことではないか。息子はその母親の子供であるというだけですでに十分に償っているのではないだろうか?母はその息子を持ったことで償い、息子はその母親の子であることで償う。彼等の間で何が行われようと、どんなことを起そうと、彼等の間だけですべてのことは片が附いてしまう。外側のものからはとやかく言われることは何もないではないか」
ここにある「別れ」のモチーフと「償い」の感覚は、これまでわたしがのべてきたことのすべてを要約している。しょせん、母と子は、通じあうものをほとんどなにも持っていなかったのだ。子は親の子であり、親は子の親である。それだけのことだ。母の死によって、信太郎はそれを知る。そして、じっさいのところ、そのときになって、信太郎は、たぶん、おくれた、あまりにもおくれた「遍歴」をはじめるのだ。
『海辺の光景』は、狂気の母と、終戦後の混乱をその社会的背景にして書かれた小説だ。しかし、わたしには、この小説がかならずしも、その特異な設定によって成立している小説だとは思われない。狂気の母、それは子どもとのディスコミュニケイションの極限をしめすものだ。現代では、すべての親が、子からみれば、意思の通じにくい相手なのである。その極限が狂人なのであった。極端ないいかたをすれば、すべての親は、程度の軽い「狂人」なのかもしれぬ。そして、終戦後の混乱は、わたしがまえに使ったことばを使えば、めまぐるしい社会変化ということなのであった。社会変化のはげしいところで親子が直面する「別れ」と「償い」 - 『海辺の光景』は、それをみごとにえがいている。
 


『海辺の光景』については、江藤淳のみごとな評論『成熟と喪失』がある。この評論にもわたしは多くを教えられたのだが、江藤の論点のひとつは、日本の親子のあいだにあるほとんど近親相姦的にまでみえる情緒の問題である。
それは、日本の育児文化のパターンと関係する問題だ。西洋の基準でみると、日本の育児文化は、子どもをスポイルしている。甘やかしすぎている。リースマンの『日本での会話』にはくりかえし、そういう観察が顔をのぞかせる。要するに、乳離れが遅いのである。子の「自立」がおそいのである。いや厳密にいえば、日本の育児では、そもそも「自立」ということが子どもには課せられあるいは期待されていないのかもしれない。
かなり大きくなるまで、日本の子どもは、ひとり寝をしない。母に抱かれて、皮膚的に接触しながら育つ。母親の添い寝がおわっても、親といっしょの寝室で寝る。およそ「孤独」という経験が日本の子どもにはあまりない。いや、子どもを「孤独」にすることを日本の親は好まない。にぎやかに、おとなたちにとりかこまれて子どもは育つ。子どもが「個人」として「孤独」をかみしめる機会があまりないのだ。生まれおちてから、学校を出るまで、親子はいっしょに寝起きする。
わたしは、それと対照的なひとつの例をイギリスの寄宿舎学校にみる。ちょうどひと時代まえの「成長小説」の主人公たちの「遍歴」がはじまった時期、つまり、十代のはじめに子どもたちは寄宿舎学校にいれられる。親の家に戻るのは、休暇のときだけだ。もちろん、財政的には、月謝を払うのは親である。しかし、子どもは物理的・心理的に親からすっかり隔離され、親から「自立」する。いや、多くのイギリス研究の書物によれば、イギリスの上層中産階級では、乳幼児期から、子どもは親から離れてしまう。育児は乳母[ナニー]の仕事であるからだ。
メリー・ポピンズ』の世界は、そのようなイギリスの育児文化を物語ってくれる。イギリスでは乳母が子どもを育てる。生まれた瞬間から、イギリス人は「骨肉」によってではなく、「他人」によって指導されるのだ。かれらは誕生と同時に「遍歴」をはじめるのかもしれない。
イギリス文化のなかにある頑固さとよそよそしさは、たぶんこの点と関係している。最近わたしはG・ゴーラーの『死・悲しみ・喪服』というふしぎな本を読んだ。これは、現代イギリス人の死に対する態度を描いた評論だが、この本によると、イギリス人にとって死はあまり情緒的でない。近親者の死も、冷静にむかえられる。もともと親子は、初めから隔離されている。日本の小説にあらられるような「骨肉」の一体感のようなものは、そこにはない。
程度の差こそあれ、親子の分離はアメリカについてもいえる。アメリカ人は、高校までは親とともに暮らすが、大学レベルでは寄宿舎生活をする。高校までの家庭生活でも、はやくから個室ですごす。
こうした西洋の習慣は、親子の「別れ」を制度化したもの、とみることができる。赤ん坊のとき、あるいは、おそくとも思春期に、親子を制度的に「別れ」させてしまうことで、子は親からの相対的な「自立」の道をあたえられているのである。さいごまで、「別れ」と「償い」に悩む日本の親子とそれは対照的だ。
旧制高校の全寮制をなつかしむ声が日本で依然として高いのも、ことによるとこの問題と関係しているかもしれない。親から離れて同世代人が共同生活すること - そのことによって、じつは、日本の若ものたちは「自立」を模索することをゆるされていたのである。それが、いまは、ほとんど消滅してしまった。親子は顔をつきあわせておなじ屋根の下に暮らす。「別れ」のときは、どこにも用意されていない。
このことは、これからの日本の家庭と教育を考えるとき、だいじなポイントのひとつではあるまいか、と思われる。親子が、べったりと「骨肉の情」という糖衣につつまれて、あいまいな人生をそれぞれに設計する習慣は、再検討されてよいのではないか。とりわけ、これから育ってゆく子どもたちが幸福な自由をつくってゆくためには、なんらかのかたちで、日本文化は「別れ」のときを制度化するくふうを凝らすべきだ。具体的には育児の方法、家屋の構造、そして学校制度 - こうしたすべてのものが、これからの親子関係という視点からもういちど考えなおされるべきだろう、わたしは思う。
 


親子というのは、ふしぎな人間関係である。他の人間関係は、制度的にも心理的にも、必要とあらば清算することができるが、親子関係は清算できない。変化し、めまぐるしく姿をかえる社会のなかで、親子だけは、依然として特殊な関係であることをやめない。
その点、まえにみたイギリスの親子関係などはおもしろい。そこではできるだけその「特殊」性を減らして、人間関係一般に共通の控え目な関係、自由な関係を親子のあいだにつくりあげようとする努力がかたむけられているからである。いっぽうの極には「他人」という、きわめてドライな存在があり、他の極には「親子」というたいへんウェットな関係がある、とするなら、イギリスでは「親子」をすこしでもドライなほうに動かすことが考えられているのだ、いってもよかろう。
そのような考え方と技術が、いますぐ日本でも採用できる、と私は思わない。親子関係のような人間関係も時代とともにかわってゆくが、その変化は、急激な変化ではなく、ゆるやかな変化である。しかし、はじめからみてきたように、日本の親子は、おもてむき「連続」を装いながら、じっさいには、埋めることのできない大きな溝を抱えこんでいる。その溝に、われわれは親として、あるいは子として直面しなければならない。これまではどうにかごまかしのきいた糖衣の表面にも、すでに、割れ目ができはじめているのである。どうしたらよいのか。
わたしは、人間関係における加点主義のようなものを親子関係にあてはめてみたらどうか、と思う。
他人とのつきあいでは、スタートのときの状態はゼロ状態だ。そこから積上げ方式で、つぎつぎに加点されてゆく。そのことで人間関係はゆたかになってゆく。
ところが、一般に、親子関係では、そういう加点主義の考え方は使われない。逆に、親子というのは、その特殊性によって、まず、満足が前提になっている。そして、「問題」が発生するたびに、そこから減点してゆくという思考方式をわれわれは無意識的に採用している。親子とは百点満点のものである、という前提 - そこからの減点は親にとっても子にとっても心の痛むものだ。
しかし、視点をかえて、加点主義をとれば、事態はかなりちがったものになる。親と子という関係は生物的にうごかすことのできない関係だけれでも、社会的世代の落差は厳然として存在する。親子はしょせん、わかりあうことのできないものだ、とまず考えよう。両者は、まずゼロ点
に立っている。そのゼロ点に、親子であるという、その事実によって、三点ぐらい加点してもよろしいが、ほとんどゼロにちかい。親子の努力によって、すこしでも理解しあえるところがあれば、それにさらに加点したらよい。加点がかさなって、五十点、六十点になればすばらしいことだが、加点がなくても、もともとだ。べつに悲観するにはおよばない。
満点を前提にしているから、たとえば、親子のいさかいは「損失感」を双方にもたらす。どこかに百点があって、そこからだんだん減点されてゆくことの淋しさ。それが親子「問題」の源泉なのではないか。減点で五十点になってしまう、というのはやりきれない。しかし、はじめをゼロと考え、加点できずきあげることのできた五十点は、双方にとってのよろこびでありうる。思い切って、親子のスタートをゼロ点におけば、親子についてのまったく異なった可能性がひらけてゆくだろう。
おなじことは、義理の親子関係などについてもいえる。満点が前提になっているかぎり、嫁・姑は、うまくゆくはずがない。理想の関係を想定して、そこから減点するなら、双方、欲求不満にこりかたまってしまう。だが、ゼロ点からはじまって、もし二十点くらいまで積上げができた、ということなら、それは深い満足を意味するだろう。
「骨肉の情」はだいじだけれど、現在から将来にかけて、親子の落差がますます大きくなってゆくことを考えるなら、われわれは、減点主義から加点主義に思考方式をかえたほうがよいのかもしれない。出発点をゼロにおく、ということは、じつは、親子の「別れ」をきっぱりといったんつけるということにほかならないのである。