「メスをめぐるシビアな競争が脳を大きくする - 澤口俊之」知恵の森文庫 脳がわかれば世の中がわかる から

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「メスをめぐるシビアな競争が脳を大きくする - 澤口俊之」知恵の森文庫 脳がわかれば世の中がわかる から

さて、多妻型のほうが脳も大脳新皮質も大きいことがわかったので、今度は、「群れの大きさ」を考えてみましょう。多妻型では一妻型よりも群れが大きいので、群れの大きさが脳の大きさと関係する可能性があります。
そこで、相対脳重を横軸にとり、群れの大きさを縦軸にとって比較してみると、群れが大きければ脳が大きく、群れが小さければ脳も小さいことがわかります。同じことが、大脳新皮質の大きさでもわかりました。群れの大きさというのは、社会関係の複雑さの程度を表すと考えられるので、社会関係が脳や大脳新皮質の進化に深く関与してきたはずです。
このデータでおもしろいのは、群れの大きさから、逆に、あるべき脳の大きさが推測できる、ということです。
そこでヒトはどうかというと、ヒトの基本社会での群れの大きさはだいたい一〇〇人であると言われています。ところがヒトは、一〇〇人という群れの大きさから予想される脳の大きさを、かなり超えて大きいのです。
群れが大きいほど脳も大脳新皮質も大きいことを初めて発見したのは私ですが、その論文の影響を受けて、こうした問題をあれこれ議論した人がいます。イギリスのダンバーという研究者です。
ヒトの群れを一〇〇人とするのは、脳の大きさから見て、あまりに少なすぎる。そこでダンバーが言い出したのは、「言葉」ということなんです。
群れの大きさが社会関係の複雑さと関係するとしても、群れが同じ大きさであっても、ネットワークの密度によって、社会関係はまったく違ってくる。言葉という手段を持つヒトは、たった一〇〇人であっても、ものすごいコミュニケーションの密度を持っている。逆に一〇〇人ぐらいで、ようやく保つような頭なんだ、と。
たしかに、ヒトの基本社会の群れの人数は、少ない。脳の大きさから考えたら、何千人ぐらいあってもいいはすなんです。だからそれは、言葉のネットワークによる社会関係の複雑さが反映しているというわけですね。
ダンバーの考えが正しいかどうかわかりません。ひとつの仮説ですが、ヒトの脳の特徴に「言語関連領野が多い」ということを踏まえると、かなりありそうなことです。
このことは「心の理論(Theory of Mind)」という脳機能を考えてもうなずけることです。難しげな機能ですが、要は「他人の心を読み取る能力」のことで、脳科学の分野では「読心(mind-reading)」と簡単に言っています。
この能力は社会関係にとても重要ですが、前頭葉の特定の領域が担っていること、そして、ヒトに特有らしいことがわかっています。しかも、心の理論では言葉(とくに声に出さない内語)を使うことが多い。
さらに、これはごく最近の私の考えですが、脳は「他人の脳を操作する」という特徴をもっています。「読心」ではなく「心操作(mind-operation)」あるいは「脳操作(brain-operation)」ですね。相手の脳を操作して、自分の都合のよいようにさせる働きで、これも言語を介することが多い。「読心」もこの脳操作では重要です。相手の心がわからなければ、相手の心(脳)を操作することができない。
こうした脳操作系がヒトでは最大限に発達した。だから、一〇〇人程度の社会でも社会関係のために使う脳の労力は並大抵ではなく、脳はフル回転せざるを得ない。それて、ヒトの場合は群れの大きさはあまり大きくないけれど脳は非常に大きくなったと考えるわけです。

これと関係して興味深いのは性関係です。脳操作は男女関係でも重要で、恋愛とか結婚というのは、いわば互いの脳の操作し合い、つまり、騙し合いみたいなものですからね(笑)。
ヒト以外の霊長類では言葉は使えませんが、脳操作系はもっていますし、ヒトと同じようなことをオス・メス間でしているはずです。つまり、霊長類一般でも性関係と脳の大きさは深く関係する可能性がある。
そこで、私はこの点を調べてみることにしました。そのときに使った指標が、さっき言った性的二型です。性的二型は性関係と密接に関係しますので、性的二型の程度を縦軸にとって、脳の大きさを横軸にとってみました。すると、一定の傾向が見られる。メスに比してオスが大きいほど、脳が大きい。
これはどういうことかというと、オスが大きいということは、メスをめぐるオスの競争が激しいということなんです。この性競争が激しければ、体の大きいオスが遺伝子を残す確率が高い。
それに、そうした社会ではオスはどんどん追い出されるわけですね、邪魔だから。戦いに敗れたサルは、勝者のサルにとっては邪魔なんです。よく、あぶれザルというのがいますが、戦いの末、疲労して、群れを追い出されて、死ぬこともあります。
ですから、そもそもは生まれた時の生物学的な性比はおおむね一対一ですが、群れのなかでの社会的性比は違ってきます。オス一匹に対するメスの数は、オスが大きく競争の激しい社会では、どんどん増えてくる。
この社会的性比の対数を縦軸にとって、やはり脳の大きさを比べてみる。すると、よりハーレムに近くて社会的性比が大きいほうが、脳が大きいということがわかります。つまり、メスをめぐる激しい競争のなかで、うまく身を処したオスだけが子孫(遺伝子)を残せる。その結果、脳が発達したということになります。

この性的な競争ということを、ヒトの場合は、どう考えたらいいのでしょうか。サルでもそうですが、体力よりもむしろ、さっき言った脳操作のような「脳力」がヒトではより重要ですね。そして、脳力が高ければ、当然ながら、社会的にも成功する可能性が高い。
そこで、ヒトの場合は社会的なステイタスみたいなものを見ようじゃないかということになったわけです。つまり、収入とかどんな家に住んでいるかとか、どんな食べ物を食べているかとか。そういう社会的ステイタスと子どもの数とを比較してみる。
なぜ子どもの数かというと、よりうまく交尾をし、子どもをうまく残したほうが、自然選択では優位、つまり、より適応的だと見なせるわけです。そういう選択を繰り返して、大脳のきわめて発達した、つまり頭のいい人類ができたはずなので、現代でもそうあるべきだという話なんです。
ところが、社会的ステイタスを横軸にとって子どもの数を縦軸にとってみると、反比例するんですね。社会的なステイタスが低いほど、子どもは多い。これは、一般的な感覚でも納得できるのではないかと思います。
ところが、その後の調査でこれと逆のデータが出たんです。あまり極端に違う社会を一緒にするからいけないというわけで、先進国だけを調査対象にし、子どもの数ではなく、性交の頻度をとりました。すると、社会的ステイタスの高い人ほど、性交の頻度も高いという結果が出ました。
もっと最近になって、配偶者以外、つまり愛人との性交の頻度とか、さらには、隠し子の数との関係も調べられたんですが、やはり社会的ステイタスの高い人ほど、愛人との性交の頻度も隠し子も多いらしいです。
こうしたデータは、アンケート調査でやったのでどこまで信用できるか問題もあるんですが、とりあえず、メスをめぐる競争に勝ったオスがより多くの子孫を残すという、先ほどの話にある程度沿った結果にはなったわけですね。人類でも性競争が脳の進化にかなりの程度関与してきたことはまちがいないようです。