2/2「亭主は単なるヒモなのか、ライオン - 竹内久美子」浮気人類進化論 から

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2/2「亭主は単なるヒモなのか、ライオン - 竹内久美子」浮気人類進化論 から

ライオンが、特にオスが強いというのは本当だろうか?もしそうだとするなら、彼らはいったいいつ、我々に百獣の王たる所以を示してくれるのだろう。
しかし、その前にライオンの観察者たちから報告された衝撃的事実、つまり彼らも子殺しをするということを知っておくべきだろう。ハヌマンラングールの子殺しの発見は、野生動物界には仲間殺しはないというそれまでの常識を大きく覆すものだったが、その十年あまり後、イギリスのB.C.R.バートランドはライオンでも同様の子殺しが行われることを発見した。
ライオンとハヌマンラングールとは社会構造上の類似点が多い。ライオンの集団(プライドと呼ばれる)には、四~一二頭のメスの成獣と数頭の子どもがいる。これはハヌマンラングールと同程度の規模である。オスの子どもは成長すると誘いあうようにして一緒にハレムを出て行くが、メスは生まれ育った集団を一生離れない。そのため集団内のメスどうしは母娘や姉妹、いとこなどの血縁関係にあり、集団が保有するなわばりは、このメスたちによって継承されていく。この点もハヌマンラングールの場合とそっくりである。
ただ一つ大きく違っていることは、ライオンの集団にはオスの成獣がたいてい二~三頭存在していて、乱婚的な複雄群になっていることだ。もっとも、このオスたちも元はと言えば同じ集団で生まれ育った兄弟などで血縁関係があることが多い。共に集団を出て放浪生活を続けるうち、どこかに適当な集団をみつけ、協力して襲ったあげく、そこのオスたちを追放して新しい亭主におさまったという経歴の持ち主たちである。
ハヌマンラングールの場合、乗っ取りに成功したオスたちは仲間割れをおこすので、ハレムの主になるのはそのうちの一頭だけであった。ところが、ライオンのオスたちは仲間割れをおこさず集団を共有する。それは、そうしなければそれ以降の集団の防衛に支障をきたすからではないだろうか。
彼らも乗っ取りに成功したなら、乳飲み子をすべて殺す。そして、肉食性であるためそれを自分たちで食べてしまうのである。「いたいけな乳飲み子を......」という感情論はこの場合にも通用しない。乳飲み子だからこそ殺し、その母親の発情を促さねばならないのだ。ライオンのメスも、我が子を殺したオスを受け入れ、やがて子を産む。
新しいオスの連合は、当然のことながら、今度は乗っ取りを防止する側にまわる。彼らは何もしていないように見えても、集団の防衛という大変な責務を負っているのだ。それに、オスが狩りをしないのは、実のところそれどころではないからだろう。もしオスが狩りに全力を傾けているときに離れオスが連合して襲って来でもしたら、誰が集団を守るのか。狩りという他の動物を相手にする仕事はメスに任せ、同種間の攻防戦はオスが責任をもって行なうという分業が生じたのである。

また、オスが真っ先に獲物に食らいつくことには、強い子孫を残すという意味があるらしい。オスたちが満腹すると、次に食事を許されるのはメスたちである。そして子どもは最後に回され、そのときにはもう、肉も内臓もそう多くは残っていない。子どもたちは他を押しのけてでも食らいつかないことには生きていけない。この争いに勝てない弱い子たちは実際、どんどん餓死していくという。ライオンは子どもたちの食事の順序をわざと最後に回すことで、彼らにサバイバルゲームを行わせているらしいのだ。
しかし、もちろんこんなことを面白がる親があるはずはない。大人になってから苦労をせぬように、早いうちに強い者のみを生き残らせておこうとする親の慈悲て言うべきだろうか。「獅子は千尋の谷に子をつき落とす」というが、本当のところは「獅子は子どもたちに十分な食物を残さない」というべきなのだ。
百獣の王であるライオンは、他の動物との競争において強さを増してきたのではない。同種内での厳しい生存競争によってはからずも「百獣の王」と呼ばれるようになってしまったのだ。彼らが強いのは本当だ。けれども、その強さが獲物に対してはどういうわけか発揮されず、時にとんでもないドジぶりを披露してしまったりする。そこがまた百獣の王の余裕と言うべきではないか。