(巻二十三)クローバに置く制服の上着かな(村上鞆彦)

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11月10日日曜日

一言は冬物送れ息子去る(潤)

10時半に来着し十二時間後にこの一言だけを残して立ち去りました。
世間様とはうまくやっているのでしょうけれど。

とじ傘

午後はお散歩。
駅前までの第三ルートを開拓致した。
第一ルートはバス通りを直進するルートで散歩道としては“下”であります。
第二ルートは曳舟川親水公園沿いの道で、これは散歩道としてはなかなかよろしいのですが、このルートも直線なのであります。やはり散歩道というのは紆余曲折が望ましいのであります。
今日開拓したルートは新道を横切りさくら通り(写真)を環七方向に歩くルートです。
このルートは角角があり適当に曲がっていてよろしい。
環七に出たあと、江北橋通りまで進み、そこで左折してしばらく進み、ゆーロード商店街(写真)を駅前まで歩きました。

曲がりまがり朝の町内四千歩のぼりぐだりす一筆書きに(相原法則)

そうやって到着した駅前広場では“両さんべーごま大会”が開かれておりました。(写真)

本

「イズムの功過 - 夏目漱石講談社文芸文庫 漱石人生論集 から

を読んでみました。読んでみただけでよくわかりません。そういう本の方が多いのです。

本

「われらの就職難時代 - 野坂昭如」中公文庫 風狂の思想 から

わからない本を読んでも仕方がないので、少しは分かる本に切り換えました。

《 こんな具合だったから、大学文学部を出て、現在就職している方をみると、事情の好転したことはよく知っているのだが、どうしても尊敬してしまう。よく入れたものだ、よほど秀才だったにちがいない、恥をかくといけないから気をつけようと、あまりむずかしい話はしないように心がけるのである。》

が締め括りでございました。

野坂さんは仏文でしたか!五木さんが露文で野末さんが中文、文太さんと小百合さんが二文?
まだ現役の方がたもいますが、巨泉、六輔、青島、とあの頃を、今から思えば無邪気だったあの頃を、演出したのはこれらの早稲田諸氏かな?