「花月西行(其の一) - 上田三四二」新潮文庫 この世この生 から

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花月西行(其の一) - 上田三四二新潮文庫 この世この生 から

ウラジミル・ジャンケレヴィッチ「死」。
白地のカバーに、不吉な黒の一字を浮かび上がらせた五百ページにおよぶ訳書(仲沢紀雄訳、みすず書房)を前に、呆然[ぼうぜん]としている。
うまい言葉がみつからないまま、呆然などと言ってみたが、そこには、或るうとましさの思いがないわけではない。
なぜ、おぞましい死についてかくも雄弁に、時にはほとんど楽しげに、多くの言葉を費やさなければならないのか。そこで言葉は死の舞踏病を病んでいるかのようだ。死にたいするこんなにも深い、嗜虐的なまでの心入れは、日常感覚にとってなにか異様なもののようにおもわれる。
日常感覚は死の隠蔽の上にはたらく。マンホールの上を歩く足は足下に空洞のあるのを忘れている。知っていてもそのために立すくむことはない。日常感覚も死の空洞の上に鉄板を張って、落ち込むことのないものとして生きている。人間が笑うことが出来るのは、死を忘れているからだ。死の際[きわ]まで死を思わないで生きることは人間の生き方のもっとも健全なものにちがいない。たいていね人はそのように生きており、尿路の結石に苦しんだ十六世紀フランスのモラリストも、たしかそういう生き方を推奨していたと記憶する。
しかし結石の痛みが我慢ならぬほど強くなれば、人はいやでも意志のそとにある身体というものに思いいたる。またその痛みが生命の不安を誘い出せば、いつまでも死をよけて通ることも出来なくなる。そしてそのとき、人は、死とは身体の消滅であるというわかりきった事実の前に駭然[がいぜん]とする。一人の人間にとって、彼自身の死だけが唯一正真の死だが、人はいつか、目隠しを解かれて、そういう自分の死と対面しなければならない。
私が ジャンケレヴィッチの「死」に惹[ひ]かれるのは、私自身、結石ならぬもっとずっと予後の悪い病気によって、早々とその目隠しを解かれたことによる。この書物があまりにも死に淫[いん]していると見えることから、或るうとましさの思いのないわけではないことは言ったとおりだが、総じて、私はこの不吉な主題の書物から大きなものを得たような気がしている。
ジャンケレヴィッチは死を三つの面から見ている。
一つは「死のこちら側の死」、すなわち生きている時間にとって死とは何かという問いである。死ぬものだけが生きている。この当り前すぎる事実には、真剣に生きようとするものにとって汲みつくせないほどの含蓄がある。
いま一つは「死の瞬間における死」。ここでは死の刹那が問われる。一回きりの、やり直しのきかない、そして取り返しのつかない死というもの。その最初にして最後の、体験を超えた体験の相が照らし出される。
最後は「死のむこう側の死」である。死のむこう側に、後世というものはなく、虚無があるだけでもないとするのが ジャンケレヴィッチの立場であるようにおもわれる。いや、死後は絶対の無だが、生きていたという事実そのものが光芒[こうぼう]を曳いて無の上に懸かっていると、彼はこの最後の章ばかりは楽しげどころか額に脂汗さえ滲ませながら、生のために、生にとっては絶対の不条理である死にむかって、つよく主張している。
もちろん、三つの別々の死があるのではない。それらは同じ死における視線の当てようの違いからくる三つの面であり、しかも、著者の視線そのものはつねに生にとっての死という生きる者の視線であるがゆえに、一貫性はゆるがないのであるが、私がここでとくに刺戟[しげき]を受けたのは、第三の「死のむこう側の死」という観点だ。
「死のむこう側の死」はけっしてめずらしい観点ではない。めずらしいどころか古来宗教の目的としてきたところはすべてこの「死のむこう側の死」、すなわち死後の救済にあり、また一般に死といえば死後を含めているのであってみれば、これほどありふれた観点もないといっていいほどだ。死は死後にいたってはじめて死たり得る。第一の、待つ死としての「死のこちら側の死」、第二の、来てしまった死としての「死の瞬間における死」、この二つは、言ってみれば第三の、来てしまった死の後として「死のむこう側の死」のためのものであり、それへの過程にほかならない。死後への関心抜きの死への関心というものは本来あり得ないのである。
けれども、死後への関心抜きの死への関心というのが、これまでの私の立場だった。私は死後への関心を抜きにして、人よりもはやく目隠しを解かれてその前に立たされてしまった死に立合い、死に慣れようとした。
私の死への昵懇[じつこん]の仕方を絵解きにすれば、次のようになるだろうか。
私は自分にのこされた人生の時間を滝口までの河の流れのようなものとして想像した。滝口とは「死の瞬間における死」である。滝口までの距離は死までの生の持時間だが、それは水流となって刻一刻、滝口に向っている。私は自分の生を、滝口ちかい水流の一点に想定した。滝口ちかいと言っても、水流の一点である私の生の位置から滝口が見えるわけではない。平面上の一点にあってその平面を見渡すことは出来ない道理で、滝口までの距離は滝に呑み込まれる最後の瞬間まで測定不能であるから、滝口ちかい思いというのもあくまで予感にとどまっている。私にとって私の死は、すぐにも来るべくしていつ来るか予測のつかない曖昧なものとして目の前にぶら下がっており、実際にやって来たとき、それを体験しようとしても私はその瞬間において死んでおり、体験不能である。死は、目前に迫った死であっても本人にとって到来の時期は不明であり、到来したとき、本人は死んでいてその到来を知ることが出来ない。言いかえれば、私にとって唯一正真の死である私自身の死は、私自身にとってないのも同然である。ないのも同然なのではなく、事実、ないのである。私にとって、私自身の死はない。そこに私は、死後なき死というおそろしい認識に耐えるせめてもの慰藉[いしゃ]を見出してきたのであった。
このことを絵解きのつづきで言えば、河の流れに関する私の関心は滝口のところで終っている。滝口を落下してからのちの水流の行方については、私ははじめから思惟[しい]を放棄していた。死後は不可知であり、なまじっかな推量をゆるさないが、直観は死後は無であることを告げているように思われた。死はある。しかし死後はない。死の滝口は、そこに集った水流をどっとばつか[難漢字]に引き落とすとみえたところで、神隠しにでもあったように水の量は消え、滝壺に涸れている。それが死というもののありようだ。誰もたしかめたものはなく、たしかめる手だてもないが、私は勝手にこのように想像し、無と化すことの恐怖におびえながらも、この想像がいちばん私の死の理解にとって納得がいくと思ってきた。
私という存在は河の線分である。私という存在の河は、滝口において表現のおよばない断面をみせて、断ち切られている。
こうして、死後はすでに考慮の外である。死を避けることは出来ないが、死後はないと思い定め、思い定めた上は死後の救済に心を労することなく、滝口までの線分の生をどう生きるかに思いをひそめればよい。
以上が死にたいする私のこれまでの考え方であった。そしていまもその考え方を変えていない。私は魂の持続を信じることが出来ず、身体の消滅のときをもって私という存在の消滅するときと観じて、その死までのさし迫った生をどのように生きるかに関心を振り向け、或る偶然から、と言った方がよいほどのちょっとした選択の機をとおして「徒然草」にちかづき、その一種静寂主義ともいうべき隠遁の人生哲学に共感を見出してきたのであった。
兼好は明日死ぬと思えと言う。思うだけでなく、真実、明日死ぬのが人間のいのちだと言う。さいわい明日死ぬことをまぬがれたものも、明後日を期することは出来ないだろうと言う。そんなふうに言いながら、彼が後世を頼んだふしは見当らず、滝口まちの、滝口までの、その短い生を生きるのに、彼は希望も欲望も執着も、およそ生に附着するそういう情動的なものの一切を否定して、諸縁放下の、つまりは無味無臭の真水のような時間的存在となって、その死までの時間の刻々の脚下を照顧せよと言う。するとそこに - そうなることの過程の説明は省くが、死にさらされながらもその死をはるかな未来に持ち越すかのような、長閑な境涯が出現する。それが彼のいう「つれづれ」である。心理上の一種の錯覚にはちがいないが、そう言ってしまってはならない。錯覚であろうと何であろうと、それへの托身[たくしん]に兼好の発明した心術の極意というものがあった。
兼好は、繰返していえば、死後に何の関心も寄せていない。先途ちかき思いはひしひしと彼をせめているが、後世は - 後世の語は二、三「徒然草」に見えているにもかかわらず、彼の視野に入っていない。兼好は滝口までの線分的生のうちに自己を生き切ろうとする。その生き切り方が、徹底した外界にたいする無欲と自己にたいする無為であり、その無欲と無為をとおして、自己を外部の時間よりずっと遅い刻みをもつ一個の内部時計とするところに、心身永閑の思想とかつて私が要約したような兼好の生き方の独自性があった。
私はいまもそういう兼好の生き方に共感を寄せている。共感を寄せながら、その淡白、その無欲、その無為、その無為への強迫的なまでの志向にかすかな不安のようなものを、あるいはもうすこし言えばかすかな不満のようなものを、覚えるようになっている。実地に追随することの困難を嘆く思いもあるが、それが原因だというのではない。兼好自身さえ、その志向どおりに生きたわけではけっしてなかった。実行の困難は一応棚に上げ、兼好の示した心身永閑の思想として見た場合にも、そのあまりにも静寂主義的な立場が、一抹の不満を呼ぶのである。
私は兼好によって示された心身永閑という心術の地平を離れたくないと思っている。それは死の恐怖に対処するもっとも姿勢の低い態度であり、またもとっも平静で、神秘的なところのない、現実的な有効性をもつ態度にちがいなかった。死を前方に望んで眩暈[めまい]を覚えないものがあるだろうか。兼好の心身永閑の思想は、その眩暈を鎮めるための最良の手段だと言っていい。そのことをしっかり肚[はら]に入れた上で、あえて、この地平に匍匐[ほふく]するような兼好の立場からいますこし頭を持ち上げてみたいという欲求がおこるとき、言い方は唐突だか、西行が私を誘[いざな]う。西行については、私は「徒然草」に親しむ以前に一度、その歌を身に引きつけて考えてみたことがあったのだが、いま「徒然草」を通ることによって、そのとき見えなかった意味が見えてくるのである。