(巻二十五)美術館外も落葉の点描画(島崎靖子)

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(巻二十五)美術館外も落葉の点描画(島崎靖子)

4月23日木曜日

持病が少し良くないような気がした。ちょうどお薬も切れる頃なので一週間早めではあったが駅前クリニックに出かけた。

患者は少な目で空間は確保されていたが、中で待たず外の廊下で順番待ちした。

受付からは遠くないところに立っていたので患者と事務方の話が聞こえる。年寄りの話しはどうせくたばりそこないの御同輩のことだから心に凍みないが、青年・壮年の口にする病名を耳にすると、もしその病を持病として背負っていくならば......とひとごとながら......である。

さり気なく聞いて身にしむ話かな(富安風生)

あたしの方は

啓蟄やエコーで探る腹の虫(石塚寿子)

で診ていただき、悪くはなっていないとのお見立てをいただいた。採血は結果待ちである。

先生からはそろそろCTで見ておいた方がよいなあ、とのお話がありました。来月か?

再発かと怯えし夜の虎落笛(吉田悦子)

薬局も疎いてはいたが、20分待ちとのことでしたので外の公園で日向ぼこ。本日九千二百歩でした。途中で一撮したチューリップ。

花閉づる力の失せてチューリップ(曽我鈴子)

生まれてきた意味も、生きてきた意味も、ましてやこれから生きていく意味もないあたしですが、生まれてきて自己が芽生えてしまえば死ぬのは怖い。医療保険にはご迷惑を懸けるのだが、くたばりそこないが死を怖れてお医者のところへ行くことになる。

宣長が「徒然草」第七段に「命長ければ辱[はぢ]多し。長くとも四十[よそじ]に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」とあるのを難じて、「言[こと]にこそさもいへ、心のうちには、たれかはさは思はむ」「人のまごころは、いかにわびしき身も、はやくしなばやとはおもはず、命をしまぬものはなし」(「玉勝間」)と言ったことは知られている。》

花月西行 - 上田三四二新潮文庫 この世この生 から

に紹介されています。

自己を無くしてしてしまえば死を怖れなくなるらしいが、余程修行積むか、呆けるしかない。呆ければ大変な迷惑をかけることになる。

死を「治療」して頂ければあたしの医療費問題は解決するし、あたしの問題も解決するのですが。

死ぬのはいや蟻のむらがる蝶を見て(死刑囚某)