「借家と持家(後半) - 諸井薫」河出書房新社 男の節目 から

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「借家と持家(後半) - 諸井薫」河出書房新社 男の節目 から

それはさておき、戦後日本は戦前の借家文化から、一気に持家文化に逆転した。
焼跡から奇跡的な経済復興、朝鮮戦争特需をバネに高度成長が日本の産業を戦前以上の規模に巨大化させ、個々の企業の業績は急カーブに右肩上がりを持続し、内部留保もふくれ上がった。
そのあたりから、多くの企業が持家制度を作り、社員に低利、長期弁済の住宅購入資金を貸し付けるのが一つの流行となった。
都営や公団の、エレベーターのないアパートですら、抽選で入れた人は少なく、大多数は木造モルタル二階建、トイレ共用といった私営アパートで、それこそ“兎小屋”的生活に甘んじていたのが、一気に“城持大名”になれたのだ。その名もマンション、しかも区分所有ながら土地付きである。それこそ夢のまた夢だったに違いない。
そしてバブル全盛期、右肩上がりがいつまでも続くという甘い展望と、低金利をいいことに、億ションと呼ばれる分不相応な高級マンションへの住み替えが流行し、そこへ青天の霹靂のような大不況の乱気流に突っ込み、元も子もなくしてレンタル・アパートに逆戻りという、悪夢のような現実に遭遇した話も随分と耳にした。
いや、かりにそんなバブルに浮かされることなく、地道にやってきた人達にとっても、“持家”は、思いも寄らぬツケをつきつけてきた。
考えてみれば当たり前のことなのだが、木造一戸建、コンクリート集合住宅の別なく、家には耐用年数というものがあって、それが過ぎれば建替えるか、大幅に手を加えなければならなくなる。しかもその耐用年数なるもの、コンクリート住宅なら六十年といわれてそれを真に受けているととんでもないことになる。
確かにコンクリートの躯体自体は雨露をしのいでくれるが、給排水設備は悪臭を発し、外壁は見るも無残な廃屋の様相に様変わりしてしまう。もちろんこうなったら売ろうにも買い手はつかず、それに売れたとしても二束三文で、買替え物件の頭金にもならない。
しかも、買ったのが昭和四十年代の前半、そろそろ三十年経とうとしているわけで、当人も定年、もしくは定年直前で、これからその建替え資金や買替え資金を作ろうにも、手立てがない。第一金融機関のローンの条件は七十歳までに完済というのが普通だ。
となると、排水管からの下水の悪臭に耐え、住人同様、老い朽ちの兆候顕著な古いマンションを“終の棲家”とするしかなくなる。なんのために爪に火をともすようにして営々三十年もローンを払い続けてきたのかと、持って行き場のない忿懣に腹が煮えるのである。