(巻二十七)一振りのセンターフライ夏終る(八木忠栄)

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(巻二十七)一振りのセンターフライ夏終る(八木忠栄)

 

9月23日水曜日

 

散歩:

 

雨が落ちてきそうなので早々と9時に散歩に出掛けた。

第一チェック・ポイントのコンビニで珈琲など喫しているとポツリときたので次のドラッグストアに急いだ

 

雨粒の顔に当りてより夕立(山下美典)

 

ドラッグ・ストアでは箪笥用の防虫剤を買って来いと云われていた。

防虫剤はクロゼット用とファンシーケース用とか、収納場所によってパッケージがちがうが、箪笥用のパッケージの在庫は極めて少なく棚の一番端に寂しく並べてあった。

当節の住宅は箪笥を置かずに生活できるようになっているのだろう。

過日、地方都市に移住した息子の部屋を見たがウォーク・イン・クロゼット

があり、箪笥の居場所はないようだ。

箪笥もだが、郵便受けに押し込まれている不動産のチラシを見るに、「押入れ」のない物件ばかりのようだ。畳の部屋も敷き布団というものも姿を消したのだろうか?

息子の1LKに畳はない。

 

春愁や箪笥の上の薄埃 (源通ゆきみ)

 

本日は三千歩で階段2回でした。

 

読書:

 

図書館から借りた本を終った。予約した本はまだ届かない。

空白を“蔵書”、

 

「水・渡船 - 永井荷風岩波文庫 荷風随筆集(上)

 

で埋めているが、

 

《 今試[こころみ]に東京の市街と水との審美的関係を考うるに、水は江戸時代より継続して今日においても東京の美観を保つ最も貴重なる要素となっている。陸路運輸の便を欠いていた江戸時代にあっては、天然の河流たる隅田川とこれに通ずる幾筋の運河とは、いうまでもなく江戸商業の生命であったが、それと共に都会の住民に対しては春秋四季の娯楽を与え、時に不朽の価値ある詩歌絵画をつくらしめた。しかるに東京の今日市内の水流は単に運輸のためのみとなり、全く伝来の審美的価値を失うに至った。隅田川はいうに及ばず神田のお茶の水本所の堅川[たてかわ]を始め市中の水流は、最早や現代のわれわれには昔の人が船宿の桟橋から猪牙船[ちよきぶね]に乗って山谷[さんや]に通い柳島に遊び深川に戯れたような風流を許さず、また釣や網の娯楽をも与えなくなった。 》

 

綺麗で荷風の本領発揮といったところでしょうか。

 

柳島から来る都電23系統月島行きで隅田川東岸を通学したのは50年以上前のことだ。

 

荷風忌や路面電車の隅の席(金田好生)

 

健康、不健康:

 

血圧のことで診察を受け、一番軽い薬を飲みはじめて一週間経った。

血圧の薬と云うのはすぐに効くらしい。もう安全圏に戻った。

戻ったのはいいが、これもある意味死ぬまで続く延命措置だなあ。

 

願い事-以下のとおりです。叶えてください。

 

ポックリのピンピンコロリで早く消えるのが願いだ。