(巻二十七)立ちさうでたたぬ茶箱さくら餅(丸井巴水)

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(巻二十七)立ちさうでたたぬ茶箱さくら餅(丸井巴水)

10月7日水曜日

部屋着を短パン・ティシャツからチノパン・長袖シャツに更えた。

食事の時間が変わった。夕飯を病院食の如く五時半ころ食べていたが、これが七時半に繰り下がって、細君の入浴中に独りでいただくことになった。

テレビのニュースを見ながら飯を食うのは嫌だという私の希望がこのような力関係が歴然とした形で実現したのである。

さりながら腹はへりけり山桜(東渚)

故あって顔写真を撮りに駅前まで出かけた。

老いた!

秋愁や覚悟を迫る顔の紙魚 (駄楽)

写真は湯屋の煙です。

五月雨ややうやく湯銭さけの銭(蝶花楼馬楽)

本日は三千百歩で階段は1回でした

読書:

「一病息災 - 色川武大ちくま文庫 色川武大阿佐田哲也ベスト・エッセイ から

を読んでいて、

《 俺たち、戦争を知ってるからね。見渡すかぎり焼け跡で、ああ、地面というものは、泥なんだな、と思ったんだね。

そのうえに建っている家だとか、自動車だとか、人間だとか、そんなものはみんな飾りであって、本当は、ただの泥なんだ、とあのとき知ったんだ。

だからね、戦争が終わって、また家が建ち並んで、人間がうろうろするようになったけれども、これは何か普通じゃない。ご破算で願いましては、という声がおこると、いっぺんになくなっちゃって、またもとの泥に戻る。

それが怖いような気がする。なんとか、飾りの人生を、神さまのお目こぼしで続けていきたい。

それには、調子に乗って楽をしてたんじゃ駄目だ、と思う。ご破算にならないように、おずおずと、小さな苦をひろって、小さくなって生きていかなくちゃ。

家の中に住んだり、電車に乗ったり、カレーライスを食ったり、お風呂に入って歌を唄ったり、そういう人並みなことというものは、すでに普通じゃないんだから、それに見合う苦を自分でひろってかなきゃならない。

この考えに中毒してくると、きりがないんだね。またいったんそう考えると、中毒しやすいんだ。》

私は戦争はしらないが御説に頷く。

十二月山手線の安堵感(田中いすず)

毎日風呂に入れるなんてことはほとんど極楽状態なのである。

その極楽状態がいつ地獄に暗転してしまうか、いつも不安で仕方がない。

回天だから小銭を貯め込んでいるくらいではどうしようもないのだ。

運命と片付けられてちやんちやんこ(杉山文子)

色川氏はもっと深淵なことも書かれているのだが、私にはなかなか難しい。

願い事-叶えてください。今のうちに。