「日本への布教(『侍-遠藤周作』の書評) - アンソニー・スウェイト〔小野寺健訳〕」光文社知恵の森文庫 ロンドンで本を読む 丸谷才一編著 から

 

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「日本への布教(『侍-遠藤周作』の書評) - アンソニー・スウェイト〔小野寺健訳〕」光文社知恵の森文庫 ロンドンで本を読む 丸谷才一編著 から

『侍』の英訳が出版されて、すでに六冊の英訳が出たいま、遠藤周作は確実に現存の一流作家の一人となった。一九七六年に英訳が出た『沈黙』は彼の傑作だが、これは十七世紀半ばを舞台に、遠藤の言葉を借りると日本の「泥沼」にはまって迫害をうけた、宣教師と日本人をふくむクリスチャンたちの過酷な運命をたどったもので、非常な迫力にあふれた権威あるものだった。
『侍』は、それより三十年ほど前の時代をあつかっているが、当時はまだ日本政府が宣教師たちと何らかの妥協をする可能性がわずかながらあって、イエズス会フランシスコ会が、対立して日本人の魂をうばいあい、ついでに通商の権利と日本という国までうばいあっていた。『沈黙』のばあいとおなじく物語は史実に忠実に則しているが、こまかい事実がどれだけ正確だろうと、遠藤はいかなる意味でも狭義の、あるいは文学的ジャンルにおける、歴史小説家ではない。日本ではめずらしいカトリック信徒である彼は、文化的・心理的衝突という境界領域を発見したのであって、強固な因習と対決する不屈の意志や、信仰と野心の迷いや弱さは、すべて彼自身の体験なのである。
西に向かってメキシコを植民地化したスペイン人が、東に転じて日本のキリスト教化をねらったとき、彼ら宣教師たちは帝国主義ゲームの一翼をになうにいたった。イギリスとオランダは日本との通商の権利を確保していて、日本人には往々にしてカトリック教徒と区別がつかなかったこれら新教徒たちも、同じゲームに参加していたのである。遠藤の小説では、硬直した性格で、熱狂的かつ野心的なバレスコというフランシスコ会の宣教師が、その代弁者の一人になっている。これに対するのが、幕府の命をうけてバレスコとともにノベスパニアすなわちメキシコにおもむく四人の使節の一人で、中級武士の長谷倉である。

この使節団の目的には、二つの面があった。幕府は通商関係の樹立をのぞんでいたのにたいし、長年日本で布教に従事したのち通辞として随行したバレスコは、キリスト教が日本に築いた橋頭堡が危機に瀕しているのを見て、これを強化したいと思っていたのである。事実、彼らが日本を離れているあいだに本格的な迫害がはじまったため、帰国した侍たちは、外国へ行っていたというだけでも政権から嫌疑をかけられずにはすまなかった。
遠藤は侍たちとその随行員たち、それにバレスコの波瀾にみちた旅を、メキシコばかりか、使節団がそこで失敗したのちはスペインからローマまで、たどっていく。全巻は狼狽と、配信と、郷愁と、落胆と、挫折の物語である。現世の教会がもとめているのは殉教者ではなく成功だから、是が非でも日本をキリスト教化したいと願うバレスコの夢は、教会と日本そのものの両者に裏切られる。
だが、長谷倉は、はじめは - 彼の随行員たちとおなじく - 使節団の力を強化するために、ただバレスコにしたがって改宗への道をあゆんでいるふりをしているだけなのに、さいごには、およそ英雄的なものとはほどとおい、挫折を力の本質として十字架上にやつれた姿をさらす「主」を信ずるようになり、同胞の手で処刑されるにいたる。
こうしたパラドックスこそ遠藤の中心主題であって、それこそ『沈黙』と、まだ英訳の出ていない『イエスの生涯』の核心なのである。『侍』ではこうしたパラドックスね追求にさいして、よくわかるように状況の細部が描かれている。物語の進行速度は『沈黙』より遅いかもしれないが、さいごの効果の強さは変わらない。遠藤は、これは「ある意味で自伝的な小説」だと言い、侍の長谷倉が経験したカルチャー・ショックは遠藤自身の、日本の外の世界との折り合いのつけかたに置き換えてもいいと言っている。遠藤は日本のグレアム・グリーンだといういささか見えすいたいいかげんな評判があって、またグリーンも彼を評価している。だが、遠藤はだれにもまったく似ていない、日本の生んだきわめて異例の小説家なのである。
-初出「オブザーバー」一九八二年五月九日号掲載